喫水はまだ甘くまだ浅くある

津崎のメモ帳です。兼ログ置き場(新しめの作品はここに掲載してあります)。

No.197, No.195, No.194, No.193, No.192, No.191, No.1907件]

Twitterはfeather(非公式のアプリ)に一時期お世話になっていたのですが、マストドンにもfeatherができたと聞いて導入してみました。サイコーの再会だった。

ここの使い方がTwitterみたいになってきてとても嬉しいです

そもそも物語に救われるのも金や読書バリアフリーが必要だって考えた事がなかった 『ハンチバック』も詰んだままだ

物語や本や「それらに救われたこと」をまるで何かの神話、あるいは運命論みたいに語る人たちは、なにかの優越感と選民思想とを時折滲ませるときがある気がしていて、そこは現実を弁えていきたい。(先ほどの投稿の方たちのことではないが……)

ところで「いくつもの異なった物語を経過して」いる私は「フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができ」ているのだろうか?とは思う

オウム真理教に帰依した何人かの人々にインタビューしたとき、僕は彼ら全員にひとつ共通の質問をした。「あなたは思春期に小説を熱心に読みましたか?」。答えはだいたい決まっていた。ノーだ。

彼らは物語というものの成り立ち方を十分に理解していなかったかもしれない。ご存じのように、いくつもの異なった物語を経過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。その上で「これは良い物語だ」「これはあまり良くない物語だ」と判断することができる。

/村上春樹「東京の地下のブラック・マジック」『村上春樹雑文集』

引用