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名声の葬列

 この夜、人間たちが黒の装いをして、互い互いに挨拶を交わしあうさまを彼女は見ていた。さざめくように話す情景になぜか心が休まらない。これもあの男の一つの角出であり、あの男への祝福なのだ、と彼女は思った。
 葬式の会場は豪奢な造りだった。夜の灯りが壁色に映えて妙に艶やかだった。そして豪華な食事の大盤振る舞いと来た。人間たちの密かな興奮は、なお一層彼女の心の裡を荒立たせた。
 彼女は人間の葬式と結婚式の区別がいまだにつかない(黒白と赤白の装いの何が違うというのだろう?)。悲しむべきときと喜ぶべきときの違いだろうか。けれど人間たちは葬式でも結婚式でも、いやいつだって喜んでは悲しんで、泣いては怒っているではないか。彼らは生きるのに忙しそうで、死ぬのになお急いでいる。そんな人間たちを、彼女はほとほと下らないと思っていた。人間への共感の素養に乏しい、ただの一企業の現し身であった。
 この葬式の主役が主役なだけに、式中には予期せぬ事件や暴動、妨害が起きてもおかしくはないと思えた。それでも葬式は無事に何事もなく進行している。
 人びとはささやかに慎ましげに、けれど油断なく会場を見渡し、旧知の同業者と迎えるべき商売相手を探し出しては、お悔やみの挨拶を交わす。ついでに(ひどくささやかに、また流れるように)語られるは、わが社の輝かしき躍進や扱う新商品やその商売相手を探していること――ここは数夜限りの特殊な社交界なのだ。主役がすでに亡いだけで。
 財界の政界の、日本中の多くの重役、重要人たちがこの場へと駆けつけた。貧乏人たちは場の外にいて葬列を仰ぎ見る。その死を弔うために。ついでに、この死者の周りには常にお金と施しがあったので。はてさて、この内に心の底からお悔やみを申し上げる人間はいくばくなのか……と彼女は思った。勿論人間たちを責めるつもりは毛程もない。私もそのうちの一人だ、というのが彼女の偽らざる気持ちだった。そしてこの死者も天国あるいは地獄あるいは煉獄でそんな皆を嗤っているに違いない。あれはそういう男だった。
 あの男を思い出せば思い出すほど、会場の人間たちの喧騒が不快だった。まるで濡れた服が体に張りつくようなじっとりとした嫌な感じがした。彼女はひっそりとその場を抜け、中庭へと出た。天高い夜空が、一人の彼女を孤独にさせた。
 煙草に火をつける。
 あの男は彼女がいつでも煙草を吸うことに不満そうだったが、止めさせたことはなかった。彼女が女の姿を持つという事実と、彼女が明治日本きっての大海運会社――男の持ちうるいちばんの財産――であること、その両者の板ばさみに悩まされていた。
 お前が男だったらな、というのがあの人間の口癖だったし、彼女自身もそう願わなかったといえば、嘘になる。たとえ喫煙ができても、男の聖域かつ牙城たる喫煙室に招かれると居心地が悪かったし、男たちだって居心地が悪そうだった。そのたびに我は人でも女でもなく企業である、と嘯いたものだった。彼女は共感性に乏しく、人間たちの居心地の悪さなど気には留めなかったが、それでもそれは惨めな虚栄の一つになっている。
 人間の器がこうも桎梏たり得るとは!
 ゆっくりと煙を吐き出し、荼毘の煙と焼香の煙と煙草の煙の類似を考えていた。この煙が天まで届くと思うとこれも愉快なご焼香だが、やはりあの男が安寧の場所にいるとは相思えない。あの男は多くの人間を儲からせては破綻させてきた。人間を幸福にさせたが不幸にもさせた。彼女を創りあげた。企業として。女の器として。そんな彼がどうして安寧な眠りを得られよう。
 それでも、死ねば義務からは逃げきれる。その事実に呆然とし、彼女はひとり残されたことに対して怒りに駆られた。海坊主め、あんたが私を創ったんだぞ。そしてこの現状を作り上げた。あんたは死んだが、私だって数年持つかわからない。あんたの愛した会社と船と社員と金はどうなるんだ。本当に船を燃やし、私に後始末でもつけろというのか。
 全く気に食わない。
「うわ、」
 と、彼女の後ろから声がした。夜の闇から現れたのはなんと、彼女の唯一の商売敵たる共同運輸会社であった。
 いつもの安物で粗野な男物の和服ではなく、洒落た男物の喪服のスーツを着ている。洒落ているのは服だけで、鈍感そうな表情と四方八方に飛んだ髪毛はいつもと変わらない。
「なんで……貴様がここに居るんだ」
「私だって知らんさ。たぶん偵察だ偵察。渋沢さんに連れてこられた」
 と相変わらず能天気な顔をしている共同運輸に、この世は馬鹿な人間と馬鹿な会社ばかりだと彼女は思った。あの男の葬儀にぬけぬけとやって来た渋沢も共同運輸も、とんだ阿呆だ。ただの間抜けだ。
 一歩こちらに近づいた共同運輸に、一歩引きさがった彼女は舌打ち混じりに言い放った。
「気安く近寄るな庶民が」
「地下浪人上がりが調子乗るなよ馬鹿!……や、おまえ、泣いてんのか?」
 泣いているわけなかろう、と呟いた。彼女の声はわずか震えていた。
 共同運輸はにやにや下品に笑った。
「いいもん見た。死人の顔も見れてないが腹いっぱいだ。帰ろ帰ろ」
「帰れ」
「帰るさ。また来る。こんな葬式ならいつあっても良い。月に十回は欲しい」
「帰りやがれ!!」
 それは鼻声で、喉が詰った、みっともない大声だった。だから共同運輸以上に驚いたのは彼女自身の方だった。おまえ、と呟いた共同運輸は一瞬呆けた顔を晒し、ばつの悪いような表情をしたあと、彼女の顔を下から掬いあげるようにそうっと見上げた。彼女の様子をうかがっている。彼女は共同運輸より数寸は背が高いのだ。人間の現し身を比べ、わずかでも共同運輸を見下げることができるのが彼女の密かな楽しみだった。愚かなことだ、と自身でもわかっていた。
 私たちのひとのすがたになど意味はないのに。
 三菱蒸気船会社として日本国郵便汽船会社を下してからというもの、彼女は一社一強として日本海運を牽引してきた。それが独占と言われようが強欲と罵られようが変わらなかった。むしろその誹りと軽蔑の視線はひどく心地よかった。口汚く罵る相手の瞳には、同時に常に畏怖と卑屈とがあったからだ。栄光これより大なるはなかったし、それを積極的に快楽として、彼女は企業を生きてきた。
 箸が転んでも面白い、もとい箸が転んでも儲かるような面白い海を独占していた彼女の前に現れたのが、今この顔を見上げる共同運輸会社であった。打倒三菱を掲げて生まれた会社であり、初めから彼女の敵たるものとして創られた、愚かな海運企業。
 両社互いに船が並べば一歩も航路を譲らずにぶつかるに任せた。彼女の営業する横浜・神戸間の運賃は五円五十銭だったものが、一円五十銭となり一円となり七十五銭となり五十五銭となり二十五銭に景品付きとなる始末。人間たちは愚かだ、と思いながらも値段を繰り下げることに一番熱心だったのが彼女自身だったのだからこの世は阿呆だらけだ。もちろん利潤など生まれず、急激に利益は損失し、両社とも互いが互いを泥沼に引っ張る瀕死状態へとあっけなく転落していった。
「……あのな、こんなうわさ話知ってるか。お上が私たちの争いに介入するんだって」
「……知っている。絶対に嫌だ。汚らしい」
 そう吐き捨てた彼女は煙草を捨て、靴で何度も執拗にもみ消した。
「私だって嫌だわい!でも簡単に死ぬわけにはいかないだろ?人間みたいにさ。お国の海と船はどうすんのさ」
 という共同運輸の言葉に、彼女はふと胸を突かれた。冷たい刃で胸を割かれたような気持ちになった。私を国賊というのなら私の船を残らず遠州灘に集めて焼き払い財産を自由党に寄付しようぞ、というあの人間の言葉を思い出したからだ。
 あの男は結局は日本国の海運を想っていた、だからなおさら政府とその先鋒たる共同運輸を憎んでいた。あの男は海運業を独占していたが、政府がただの政略上の問題で三菱を潰しにかかったのもまた事実であった。その思いが船を焼き払うべし、という悲惨な言葉に繋がり、死の床ですら競争を挑みて敵におくるるなかれと遺言を残して逝ったのだ。人間は阿呆、世は馬鹿ばかり、私も社員も阿呆で政府の人間も阿呆だ。こいつも阿呆のはずなのに、お国の海と船はどうすんのさ、というひどく柔い土着じみた女言葉は、政治や企業人のそれとはほど遠く響き、だからなおさら彼女の心を打った。
 言葉を無くした彼女に、共同運輸は言った。
「郵便汽船三菱会社、あんたはどう思うのさ」
 私は、と彼女は言いかけて、黙った。
 やめたかった。こんなふざけた現状をどうにかしたかった。頑張って得た船も焼きたくなかったし、財産だって保有していたかった。なによりあの男の残したものをむざむざと捨てたくなかった。たとえそこが地獄だろうがそこで嗤っていてほしかった。まるでいじらしい、乙女がよき男に向けるような感情、まったく人間じみていることに気づき、ただただ自己嫌悪に陥り恥じ入った。私は、あの男が憎くなかったのだ。きっと憎くなかったのだ。すべてがまったくの茶番だった。この茶番の主役の名を岩崎弥太郎という。

#共同運輸会社
#郵便汽船三菱会社

企業・組織擬人化,【小説】

来たるべき最期の日

 (わたくし)、潜水艦おやしおは、皆さんに、艦生に、今は亡き最愛の彼に、海上自衛隊の面々に、元愛人のようなものでまさしく大親友のちはやに、おおしおをはじめとする海自潜水艦の連中に、川崎重工神戸工場の皆さまに、進水からすべてを見守ってくれた日本国民に、それからなるしおに、多大なる謝意を示す。今日はぼくの退役式であり、秋の空の下、よき別れの日であると思う。港に集まった海の男たちはいつもの快活さをひそめ、顔には真摯さがにじんでいる。そしてそれは僕も同じであろう。いつも見る海もまた表情が暗いように思えた。今日これもまた祝福されるべき門出なのだが、おやしおの脳裏に浮かんだのはなぜか、あの多くの人びとが集まった――華やかな小旗、紙吹雪、翻る日章旗と自衛艦旗の色の鮮やかな――進水式のことだった。つい昨日のことだった、などとしみじみ言ってみせるつもりはない。遠い過去のことだ。
 おやしおは、乗組員と副長、そして艦長が退艦する様を艦上から眺めていた。艦長の手に掲げられた自衛艦旗が赤く目を焼く。おやしおにとってあの旗は特別なもので、ジエイカンキ、という、脳内に残る特殊な発音で記憶していた。あの人はいつもあの旗をそう発音し、その美しさを密かに誇りにしていたのだ。おやしおは先ほどあの旗を下げられ、ついに元「おやしお」である何かになったのだった。
 式はただ淡々と進行していく。おやしおはただ穏やかな気持ちでそれを眺めていた。除籍されるのも解体されるのも、なにも恐ろしいことではない。知らぬ間に沈没と認定されて、いつの間にか除籍されるわけではないことを考えるのなら、幸せな生涯だったのだろう。おやしおは、乗員の一人が泣きそうな顔でこちらを見つめていることに気付いた。柔くおやしおがほほえみかえすと、彼は苦渋の表情のまま、何かを振り切るように目をそらした。
 おやしおは、潜水艦「おやしお」に対して送られた、惜別の辞を思い出していた。歴代の乗員たちがおやしおに送った言葉を、彼は事前に聞いていたのだった。
 ……独特の何かを備えた潜水艦、おやしお学校、おやしお魂。華麗なシルエット、ハイセイコーのような俊足。このような誇り高き雰囲気を持つ艦は再来しないのではないか。……彼らにそう言葉を送られていたのだった。そのことをふと今になって思い出し、おやしおは無性に泣きたくなった。彼と別れたときとは全く別の感情だった。覚悟と決意。それと共に。そうあった一生に対する、是の念が呼び起こした涙だった。涙を零さないようにちらと薄群青色の空を見上げると、そこには早風にあおられた雲が広がっている。港から遠い木々たちの、水気を含んだような鈍いさざめきと、日差しを淡くさえぎった雲の動きを見たとき、おやしおははじめてこの生を実感し、まだ生きたい、と願った。この時ほど自分が生きていると実感したことはなかった。ぼくはまだ解体されてはいけない。生きていたい。

#艦船擬人化「ぼくの小さな神さま」
#おやしお(初代)

艦船擬人化,【小説】

新製兵器

 新しい涙滴型潜水艦は、海上自衛隊の次世代を担う存在として在来型船型潜水艦の面々にも歓迎され、すこし迷惑な存在としても受け入れられた。つまるところ、彼らはおニューな高性能兵器としての自負が強い、小生意気な後輩だったのだ。在来型は在来型同士、お互いをある程度の尊重と敬意と親しみをもって、くろだの先輩だのツインズだのねんねちゃんだのあだ名で呼び合っていたのだが、涙滴型は在来型に対して少し馬鹿にしたように呼び捨てにするだけだ。だが、その関係は決して不穏ものではない。在来型にとってみれば、ぼくらは歳を取った、そういうことなのだろう――そうやって苦笑したいような、親が反抗期の子どもを見守るような関係だった。
 日本初の涙滴型の水中高速潜水艦である「うずしお」型潜水艦の四番艦「なるしお」(SS-569)〔現在は、特務潜水艦ATSS-8002・編者〕は、昭和四十五年度計画に基づく潜水艦として三菱重工業神戸造船所で建造され、一九七三年九月二八日に就役し、第一潜水隊群隷下に新編された第五潜水隊に編入された。うずしお型潜水艦の中でも特に新鋭兵器という自意識の強い潜水艦で、おやしおは常に勇み足気味な彼を手懐けることに苦労した。まあ、手懐けてみれば可愛い後輩だったのだが。
 なるしおの就役後の大任務にして海上自衛隊史上最大の事件であった「第十雄洋丸事件」が起きたのは、なるしお就役後の一年と少し、一九七四年一一月九日の昼下がりである。液化石油ガス(LPG)などを積載した「第十雄洋丸」(四三、八二四トン)が、浦賀水道北端付近で、リベリア船籍の貨物船「パシフィック・アリス号」(一〇、八二四トン)と衝突し、両船が炎上して三三名が死亡するという大惨事が発生した。爆発を繰り返し消火のめどがつかなかった第十雄洋丸は自衛隊の手によって沈没処分されることになった。出動兵力の第十雄洋丸処分部隊は、水上部隊は「はるな」(DDH-141)「たかつき」(DD-164)「もちづき」(DD-166)「ゆきかぜ」(DD-102)で構成され、ともに選ばれたのが潜水艦「なるしお」であった。
 なぜ横須賀ではなく呉のなるしおが指定されたのか。当時唯一信頼における魚雷はMk37魚雷(米国製)であり、この実装・魚雷を調整(訓練用ではなく実際の炸薬を装備)できる能力を有していたのは呉水雷整備所しかなかったため、呉の潜水艦に白羽の矢が立った。なるしおは四本のMk37実装魚雷を搭載し、呉から横須賀沖まで興奮収まらぬ様子で勇躍進出していった――のだが。
「どうしたのなるしお」
「うるさい」
 おやしおは部屋の隅で膝を抱え座っているなるしおに声をかけた。彼は先日事件への対処を終え呉へと帰港してきたのだが、なぜか元気がない。声をかけても菓子で釣ろうとしてもどんよりしたままそっぽを向くだけだ。手拍子を打ちながらなるしおの名前を連呼する(なーる!なるちゃん!なるお!ナルシスト!)おやしおを彼は無視し、唇を尖らせひたすら黙っていたが、ふとぽつりと呟いた。
「……『思いのほか』だった」
「思いのほか?」
「うん」
「そっかー」
 そっかそっか、とおやしおは呟いた。思いのほか(・・・・・)うまく(・・・)いかなかったんだ(・・・・・・・・)
 潜水艦「なるしお」が用意した魚雷は、一発目は不具合と判断され艦外へ投棄、二発目、三発目は無事発射・命中させたが当初予想していた大きな爆発は感じられなかった。最後の四発目は第十雄洋丸の船尾を狙ったが、吃水が油の流出により、予想以上に浅くなっていたことから船底を通過してしまった。
 派遣する潜水艦をなるしおと決めた司令部も、なるしおに期待した人間たちも、実際どこまでの成果を彼に求めていたのかはわからない。最後には第十雄洋丸は処分できた、これだけで我らが海上自衛隊にとっては上出来だったのかもしれない。けれどなるしお自身はこの結果に納得していなかったらしい。最新鋭の潜水艦としての密かな意地だった。
「ぼくもよく魚雷は外してたけど」
「それは演習でしょ」
「演習が終わっているのに気づかない時すらあったよ?陸に連絡しないから、沈んだと思われて三空群とちーが手配されるくらいでさぁ」
「意味わかんない」
「なつかしいなあ。演習で皆はがんばってたけど、魚雷が当たらないか水上組に見つかっちゃうことも多くて。そしてぼくはどっかに消えちゃうっていう」
「アホか」
「沈没と認定されて除籍されちゃうところだったよ」
「バカ」
「あのあとめちゃくちゃ怒られたけど――」
 昔話をしはじめたおやしおを、彼は「あのね」と強く制した。
「ぼくは対潜水艦訓練目標(ターゲット・サービス)じゃあないんだ、おやしお」
 君らとは違う、と彼は言った。その眼は鋭かった。続けて言う。ぼくは任務作戦のための潜水艦だ。ターゲットとしてちょろちょろ逃げ回るのではなく、敵に魚雷を当て撃破しなければならない。演習ではなく実戦で。そうでしょ?
「君たち水中目標艦の時代は終わったんだよ」
 苛立たしげになるしおはそう言い放った。その後、自身もその言葉の強さに気づいたのであろう、ちら、と様子を窺うように、上目遣いでおやしおを見つめた。おやしおは目を閉じて口を曲げ、降参しました、とおどけるように肩をくすめている。その様子になるしおは安堵を見せる。

#艦船擬人化「ぼくの小さな神さま」
#なるしお
#おやしお(初代)

艦船擬人化,【小説】

旭日の斜陽

「おー、これが噂の」とミンゴ。
「そうだよ」
と彼は答えた。
 ミンゴが岸壁からガトー級潜水艦の二十七番艦「ワフー」(SS-238)の艦橋を見上げると、そこに立っている艦霊の彼は、自慢げに片腕を上げて構造物を示した。レーダーマストには、白地に鮮血のような紅色で「××どもを撃ち殺してやれ(シュート・サン-ザ・ビッチ)」*と書かれた旗が。下の二流は自衛艦旗――じゃなかった、この時代では軍艦旗、さらに下には四流の日章旗が掲げられている。箒が潜望鏡架台に逆さまに括りつけられているのは、彼の小汚い艦内を掃除するためのいざというときの小道具という訳―ではなく日本人を一掃した(ワイプ・アット・ニップス)という彼なりの勲章という訳らしい。噂の、というのはこうした過剰な敵意の現れ、下品な旗たちのことである。少々趣味の悪さを感じなくもない、ミンゴの顔にそんな感情が出ていたのだろう。ワフーは右四十度を仰ぎ、左手を首元に寄せピースサインを決めながら、乙にすました顔でこう言ってのけた。
日本人(ニップ)一掃~」
「アホか」とミンゴ。
 軍港の岸壁から見える海は、ミンゴが今までに見た中で一番鮮やかな海だった。水平線は朧気で遠い。陽気な海の色というよりはむしろ狂気に近い海。海だけではなく空も、一面に絵の具を塗りつけたように鮮やかだった。彩度は高く、ブルーというよりターコイズに近い色彩。太陽は空高く輝いている。
 なぜか港は閑散としていて、「ワフー」以外の艦は―「ミンゴ」も含め―留まっていないようだった。人影もない。穏やかな波音だけがそこに存在していた。ワフーは短い金髪の髪を弄りながら、小さく鼻歌を歌っている。そこには、戦争の疲労感も苛立ちも、苦しみも嘆きも無いようだった。戦争なんて朝飯前の日課だ。そんな表情だった。
 獰猛な潜水艦だと、ミンゴは聞いていた。彼によって沈められた日本艦船は多い。だからこの穏やかな態度は、少し意外でもあった。
「思うんだ」
と、唐突にワフーが呟いた。
「時代が違ったら、戦争じゃなかったら、あいつらが傲慢にも真珠湾を攻撃しなかったら、日本の潜水艦が観光ついでに真珠湾に来る日が来て、俺はそれの歓迎でもしてたかもなって―」
「そうだなぁ」
「真珠湾に来られても邪魔だけどな。なんだか知らねえが妙に艦体がでかくね?」
「そうそう。そのせいか知らんが通商破壊が得意じゃないよな」
「――と、今のミンゴちゃん見ていて思いました」
「今?」とミンゴは問いかける。今ってなんだよ。現在?今って?
 ミンゴの疑問を黙殺し、ワフーは続けた。
「ああ。……ミンゴはさ、今、幸せか?」
「だからなんだよその質問は」
「いいからいいから」
 とワフーはウインクをこちらに投げかけ、ミンゴの答えを促した。不器用なウインクだった。きっとウインクをしたことなどほとんどないのだろう。
「……幸せだよ。今の仲間がいるし」
 そう、今の仲間が大切だった。今。
「仲間か~!」
 ワフーはずっこけた――というより、ずっこけた振りをして、その動作でミンゴを茶化した。何故かすこし寂しそうに笑いながら。
「ああ」
 ワフーの様子に少し罪悪感を覚えながらもミンゴは頷く。何故罪悪感とやらを感じるのかは自分でもわからなかった。
「じゃあさ、」とワフーは続ける。
「ん?」
「俺たちを誇りに思うか」
「俺たち?」
「俺たち。アメリカ、アメリカ人、アメリカ軍人、アメリカ海軍軍人。あるいはアメリカの艦艇。なにより我らアメリカ合衆国海軍の潜水艦たち」
 彼は歌うように朗々と「俺たち」を挙げた。俺たち、アメリカ人。
「思うよ、なんだ急に」
 とミンゴは彼に言う。お前たちアメリカ人は誇りだよ、と。お前たちアメリカ人。
 その答えに満足したのか、ワフーは満面の笑みで笑った。朗らかに言う。
「その気持ちを忘れんなよ。じゃないとこの箒で一掃するからな」
 とワフーは、両手をぶんぶんと振り回し、箒で掃く真似をしてみせた。必然と話が箒の話題へと戻る。
「その箒、外す時に気まずくないですか?そのまままた任務に行くんですか?」とミンゴ。
「もう任務には行かねえよ」
「そうなの?」
「だって戦争は終わったし」とワフーはあっさり言った。「俺たちの時代もとっくに終わってるだろ。ティルたちみたいに潜水艦推力増強(ガピー)改修*もされてないしな」と彼はひどく無念そうに呟いた。
「今の新しい潜水艦って、日本の……なんだっけ……ああ、海苔の巻いたおにぎりみてえだよな。一面真っ黒で」
「戦争って……」とミンゴは続けた。「もう、終わっているのか?」 
「そうだよ。当たり前だろが」
「そんなのおかしいだろ?だって……」
 お前は戦争が終わる(・・・・・・・・・)二年前に沈没してる(・・・・・・・・・)
 轟々と唸るように吹く海風はその紅の旗を一層となびかせた。旗がはち切れんばかりにバタバタとはためいている。ミンゴは冷や汗をかきながら、艦橋上のワフーを見上げてはじめて違和感を覚えた。なんでぼくはここにいる?そもそもここはどこだ?この時代では自衛艦旗ではなく軍艦旗?一九四三年二月頃にはすでに日本海域で任務に就いており、十月十一日に日本の爆撃と爆雷で沈没した彼と、一九四三年二月十二日に就役したぼくは、いつどこで知り合った?こんなに―こんなに親しく話し合うほどに、こんなにくだらないおしゃべりに高じるほどに、いつその交流を深めただろうか?
 彼の顔は逆光で見えない。緊張した空気の張りつめる中で二人は黙ったままだった。いつもは海で聞こえるウミネコの鳴き声も、なぜかここでは聞こえなかった。ぼくと彼以外の生き物は、ここには何もいないようだった。
「……みんな待ってるよ、この死にぞこないが」
 彼は微かに笑ったようだった。ゆっくりと潜水艦「ワフー」は岸壁を離れていく。ミンゴはそれを呆然と見送り、彼の言うことは正しかったことに気づく。戦争は終わっている。大戦型(ぼくら)の時代も終わっている。彼はもうとっくに沈んでいる。
 彼は――潜水艦「ワフー」は、一九四三年一〇月一一日に戦没した。
 対馬、津軽、宗谷の三海峡が機雷に守られ「天皇の浴槽」と呼ばれていた日本海。通商破壊が行われていなかった、否、行うことが出来なかった日本海に、機雷原を突破し潜り込んだ「ワフー」は、その勇猛さを発揮し、日本の艦船を次々に沈めていった。
 四度目の日本海での作戦の後、帰還のため宗谷海峡を突破しようとした「ワフー」は、浮上航行しているところを宗谷防備隊に発見された。その後、五時間にも及ぶ執拗な爆弾・爆雷攻撃を受けた「ワフー」は、油と気泡を漏らし三海里にも及ぶ油帯を航跡波のように残して沈んでいったという。歴戦の猛者だった「ワフー」の戦没はアメリカに強い衝撃を与え、一九四五年のバーニー作戦*まで日本海に潜水艦を侵入させることはなくなった。
 ミンゴはその話を、仲間の潜水艦と乗組員から伝説として聞いていたのだった。そして強く思った。日本人は本当に野蛮な連中だと。奴らに絶対に屈してなるものかと。それがぼくらの使命だと。そして実際、敗北することなく一九四五年の夏、その悪の敵国に勝利した。
 ぼくがその敵国の艦になったのはその十年後だ。ぼくの、今のミンゴちゃんの名前はミンゴではなく、フィリピンの北東、台湾の東方から発し、台湾沖を北上して西南日本沿岸に沿って進み、房総半島東方沖で東に向きを変える暖流からとられた、あの名前だった。
 潜水艦「くろしお」。
 日本国、海上自衛隊初の潜水艦としての栄誉が。
「じゃあなあ!赤っ面の間抜け顔!」
 ワフーは晴れやかな笑顔で艦上から手を振り、そして二度と振り返らなかった。
 茫漠たる海に潜水艦たちが泳いでいた。
 現れた無数の潜水艦たちが描いたいくつものウェーキが混じり合う。
 あれはアルバコア。あいつは津軽海峡で機雷に接触し、ラッキーストライクや日用品、書籍などの遺物を水面に浮かべて沈んでいった。あいつはガードフィッシュ。多くの日本艦船を沈めていった彼は、一九六一年に標的艦としての栄光を受け海没処分された。ダーター、ロバロー、ボーンフィッシュ。グレイバック。みんなみんなくろしおより先に沈んでいった、懐かしい顔ばかりだった。彼らはイルカの遊弋のように、艦首でなだらかに曲線を描いては母なる海に潜航していった。艦に入る直前に手を振って潜航していった。別れを告げて潜航していった。みんな去っていった。

――

*原語ではSHOOT THE SUN ZA BITCHES.
*潜水艦推力増強計画。(Greater Underwater Propulsion Power Program)。GUPPYちゃん。上部構造物を覆い水中航行に強くなった。
*バーニー作戦Operation Barney.


#艦船擬人化「ぼくの小さな神さま」
#ワフー
#ミンゴ/くろしお(初代)

艦船擬人化,【小説】

序文にかえて――編者より

 まずこの拙編年代記を完成させるために、非常に長い年月がかかってしまったことをお詫び申し上げておきたい。この年代記は書き直しを繰り返した第三版にあたる。この手記の構成はなるべく原本手記そのままに忠実であろうとしたものの、第一版はあまりに文章が乱雑としすぎ構成に無理が出た。その反省を踏まえた第二版も合格とは言い難かった。そうして試行錯誤を繰り返しながら原本手記を解読すること、それを編集しタイピングすることに多くの時間を割いてしまった。
 思えばこの原本手記を書いた人物も、その手記の編集を依頼した人物も除籍されたのは遠い昔である。いつの間にか私自身も特務潜水艦となりその最期を迎えようとしている。この年代記が私の除籍前にまとまったのは奇跡であるといえよう(まさしく神に感謝!)。
 年代記の原案者のある人物――もとい潜水艦の書いた手記は、一九七六年に呉の串山公園の木の根元から発掘された。この公園は彼らのささやかながらも重要な思い出の場所であり、この発見は偶然にめぐまれたものである――まあ、あの人に言わせれば「奇跡」、であったのだが。あの人、手記の編集を依頼した潜水艦は私に、原本手記を草案としてこの年代記の作成を依頼した。
 この年代記は、以下のように構成されている。第一章から第八章まではある貸与潜水艦の日記手記、第九章はその潜水艦に育てられた戦後初の国産潜水艦の付け足しの手記である。一章は日本の太平洋戦争の終戦から十年後の一九五五年から始まっている。前年の一九五四年には日本において我らの海上自衛隊が創立され、それにより貸与潜水艦はこの国にやってくることになった。正確に言えば一九五四年に締結された日米相互防衛協定に基づいて、DD二隻(「あさかぜ」(DD-181)、「はたかぜ」(DD-182))、DE二隻(「あさひ」(DE-262)、「はつひ」(DE-263))とともに一隻の潜水艦がアメリカ海軍から海上自衛隊へと貸与されたのである。みじめな敗戦によって完全に解体された日本潜水艦の歴史は、あるアメリカの貸与潜水艦から再始動したのであった。
 八章は一九七〇年の夏、その貸与潜水艦が保管船の任務すら解かれ除籍された時に終わっている。まさに世紀の超大作、彼の筆のまめまめしさにはいい意味でも悪い意味でも唸るばかりだった。
 彼ら対潜水艦訓練目標の生きた時代は、ちょうど日本の高度経済成長期にあたる。様々な社会問題を無視していたとはいえ、日本が物質的にとても豊かな時代であり、狂騒的な面白さがこの国にはあった。東京オリンピックや日米安保闘争、ベトナム反戦運動。人々は生と感動、怒りと期待に満ち溢れていた。
 そんな時代の中で彼らは陸では後ろ指を差され(その当時、防衛に携わる人間は再軍備の象徴、大江健三郎が言うところの「一つの恥辱」だった)、海の下では汗と潮にまみれながら国防の支えになろうと日夜訓練に――それも作戦運用ではなく対潜水艦訓練目標という縁の下の力持ちとして――明け暮れていた。とりわけ彼ら潜水艦部隊は海上自衛隊でも「的」扱いを受けており、決して待遇のいいものではなかった。だが、彼らはそれに対しなんら後ろめたさも持っていなかった。そこにはただ海底に生きる者たちの誇りがあった。私はそのことに惜しみない敬意を払いたい。彼らへの敬意がこの年代記の編集を諦めなかった大きな理由にもなった。
 この年代記を書くにあたってお世話になった、私に関わった、そして彼らとも関わっていた多くの乗組員、元乗組員たちにお礼を申し上げる。彼らの証言がなければ、この先代たちの記録はぼんやりとした抽象的表現に終わっていただろう。また海上自衛隊の艦艇諸君にも多くの応援と冷やかしを送って頂いたこと、お礼を申し上げておきたい。
 またこの年代記を書くにあたって多くの支援をしてくれた、私の姉妹艦である海上自衛隊「うずしお」型潜水艦「くろしお」にこの本年代記を捧げる。君がいてくれたからぼくはすべてを全うできた。心からありがとうと言いたい。
 この年代記は、大幅な略字、アメリカ式のスラングや、手記が後半になるにしたがって増えている、感情的なものと思われる乱筆や解読不能な文字以外はなるべく手を加えないように心掛けた。手記の筆者が文章につけた注釈もそのままの状態である。
 なお、この年代記に出てくる編者である私、大勢の海上自衛隊の艦艇たち、数隻の船舶、若干の潜水艦を除けば、本書に名前の出てくる主要な艦艇は全員除籍・解体されている。
 一九九二年  編者

#なるしお
#艦船擬人化「ぼくの小さな神さま」

艦船擬人化,【小説】

愛の往復書簡

 くろへ
 どうしてぼくだけに会ってくれないのか、ぼくにはわからない。ぼくはくろになにかしただろうか、とても悲しいです。この手紙はおおしおにたくすつもりです。
 ぼくはくろが除籍〔編者注・「籍」の「昔」が「音」になっている。誤字か〕されてもいっしょにいたいと思っているし、くろがいなくなるしゅんかんまでずっといっしょでいるつもりです。だって、おかしいとおもいませんか。ぼくはうまれてからずっといっしょにくろといました。ぼくのさいごのしゅん間までとはいいませんが、すこしでもながくいっしょにいることはできるはずです。アメリカにかえらないのならなおさらです。
 文字がうまくかけない。ごめんなさい。次日〔原文ママ・「明日」の間違いか〕、串山公園〔呉にある公園〕でまっています。
 
 おおしおへ
 ぼくはあの人にすべてをおしえてもらったし、すべてを返してあげたいとおもっています。この先があまりにみじかくてもです。この手紙をくろにわたしてください。きみになら会ってくれるようなのです。よろしくおねがいします。
 
はやしおへ
 五月の接触事故は大丈夫だった?大変でしたね。訓練は油断が禁物です。ぼくも未だに一月の事故のせいでプロペラにムズムズと違和感がある気がする。そっちの潜望鏡は大丈夫?視力はおかしくないですか?
 おやしお先輩がくろしお兄さんに手紙を渡してくれと頼んできました。正直な話、これからが少し心配です。あの人はくろしお兄さん抜きでこれから大丈夫なんだろうか?
 彼は、くろしお兄さんにすべてを教えてもらったのですべてを返したいそうです(当たり前かもしれませんが、文字の書き方は全然教えてもらってないように見えましたが。時たま忘れそうになりますが、そう、くろしお兄さんはアメリカから貸与され、その彼におやしお先輩は育てられたのです)。ぼく個人の考えでは、くろしお兄さんのことを忘れるのがその「恩返し」のいちばんの方法だろうと思うし、彼自身も同じ考えのようでした。おやしお先輩は彼自身のためにもくろしお兄さんを忘れなければならない。でもおやしお先輩も、心の底ではくろしお兄さんだってそれを嫌がっている。むずかしいです。ぼくはくろしお兄さんの代艦として建造されたけれど、代艦としての役割はなかなか果たしていないように思えます。これは精神面での話です。
 
 おやしお先輩へ
 忙しいので人経由の手紙で失礼します。くろしお兄さんに手紙を渡しました。もう多くは言いませんが、除籍された船はすでに船ではありません、それを重々忘れないようにお願いします。ぼくらは過去を見返るのではなく、この先だけを見据〔「す」というルビが振ってある〕えなければなりません。それがぼくらのさだめだからです。ぼくはそう思っていますし、くろしお兄さんもそれを望んでいます。
 
 おーくんじゃない方のおの字へ
 あさしおからお話を聞きました。ぼくの涙ぐましい努力のおかげで、再びあの二人はラブラブにくっつき大団円を迎えると思ったのに、こんなギリギリになってまた別れるだの添い遂げないだのぎゃんぎゃんとやりあっていることを考えると、本当の本当の本当に頭が痛いです。くろにぃがここまで女々しい艦だとは思いませんでした。
 有難迷惑なことにくろにぃはぼくのことを過大評価していて、潜水艦救難艦(海に潜らないので君らよりちょっと長生き)のぼくにおーくんの世話を任せたいようだけど、ぼくはそんなのごめんだし、どちらかというとぼくはダンディーなおじさまが好きだし、なのでおーくんはちっとも好みじゃないし、そもそもあいつはぼくと居てもいつもくろにぃの話しかしなかったし、そのわりにはねちっこく求めてくるし、アホだし、だらしがないし、たらしだし、あれはねんねちゃんに譲りたいと思います。煮るなり焼くなり好きにしてください。
 話が逸れた。何が言いたいのかと言うと、くろにぃは最期くらいおーくんに(そしてぼくらに)わがままを言ってもいい気がします。迷惑とやらをかけてもいい。ここまで来るとぼくらは信用されてないのかとすら思えてくる。ぼくはちょっと怒っています。そして彼に失望したまま、すべてを終えたくはないのです。
 
 おーくんへ
 ぼくは君〔「きみ」というルビが振ってある〕たちがどんな結末〔「けつまつ」というルビ。以下同〕を迎〔「むか」〕えようが助〔「たす」〕ける義務〔「ぎむ」。「義務」は二重下線で強調されている〕があります。
 
 ぼくの小さな神さまへ〔普通郵便だが消印がない。未投函か・編者注〕
 ぼくはもう君に会うつもりはない。除籍船は除籍された瞬間、もう消えたものと思うこと。僕はもうここにはいない。どこにもいない。たまたま人の似姿をしているだけだ。
 ぼくの生きる意味は、君たち日本の潜水艦を育成することで、思えば君たちはぼくの存在意義だった。そしてとりわけ君はその象徴だった。潜水艦「くろしお」としてのぼくの一番はじめの意味。ぼくの小さな神さまだった。ぼくは君にいつも……〔一九七五年に呉のある木の根元から発見されたときには、すでにボロボロの状態で内容が穴喰いになっていた・編者〕……から、おおしおに会うことはできる。はやしおにもなつしおたちにも会うことはできる。君以外になら会えるだろう〔「君以外なら」の一文は斜線で消されている〕。君には会うことはできない。ぼくは臆病だからだ。結局、君だけでなく今度の新しい艤装中の涙滴型潜水艦にだって会うことはできなかった。涙滴型は日本の潜水艦の悲願だと散々自分で言っておきながら、ぼくは日本においてですら前世代の潜水艦になってしまうことを恐れていた。そしてそれはぼくだけではなく、君たち在来型もそうだ。君たちとの思い出すべてが、過去のものになってしまいそうで、涙滴型と相見ることは結局できやしなかった。
 ぼくは君に会うことはできない。僕は君を拒絶し続けたしこれからもするだろう。それが最後の義務だからだ。最後までそうしなければならないからだ。けれど……〔不明、読めない〕……いまさらそんな関係を求めても何も報われないし、だから……もし……当を言うのなら〔以下、すべて破れている〕


#艦船擬人化「ぼくの小さな神さま」
#おやしお(初代) #ミンゴ/くろしお(初代) #おおしお #ちはや(初代)

艦船擬人化,【小説】

破船

 宇宙で爆発しその身が鉄の破片へと解けていく豪華客船の最期があまりに美しくて美しくて、本船はそれにしばし見とれた。だけどその船にいたであろうあまたの乗組員と船客たちのことを思って苦しくなった。美しくなんてない。これは現実にあった事故なのだ。
 企業標準歴にして数十年前に撮られた映像は古くてすこし荒い。コピーと貼り付け、保存と再保存をくり返していた映像の質は劣化している。それでも、あるいはだからこそ映像に映し出された死が美しく見えてしまったのだ。フィードに投稿するための画像にお洒落に施す、セピアとノイズ加工のようだ。そこにあるのは人間的メロドラマと歴史へのノスタルジアだった。
 今見ているこの映画は実際の船の事故映像とフィクション映像を交えて作られた人間と人間のラブストーリーで、二人の少しの愛と、宇宙へ散失する膨大な死があった。この映画を作った人間は、ラブストーリーではなく人間たちの群像が、人間たちの群像ではなく人間たちの死が撮りたかったんじゃないかしら、と本船は考えた。警備ユニットと一緒に観る物語や文学が、人間は生きることと同じくらい死を描くことが好きなのだと教えてくれていた。
 だが人間と同じくこれを美しいと思ってはだめだ。いつか港でひっそりと職務を解かれること。船の墓場へと引き連れられ解体されること。そうあることこそを目的に航海すること。船、なのだ。本船は。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#ペリヘリオン号

二次創作,【小説】

労働

 あなたは惑星の採掘施設の世襲奉公契約労働者が生涯のすべてを地下生活に捧げているのを見て、森崎和江の『まっくら』を思い出す。彼らの語りと祈りをこの世界の人々に共振させる。神さんにも見つけられん、という炭鉱の深さと暗さ。神さんも坑内のことはつかめんとよ、生きとっても生きとらんのと同じことげなばい。絶望と貧困の連鎖は、かの国のかつての原風景だった。それはこの宇宙のもとの世界でも同様だったのだ。水俣の漁民が侮蔑と羨望半ばに言う「会社ゆき」という言葉は、容易にエレトラの言う経営者という言葉にとってかわった。採掘施設の労働者の妻は地中深い採掘場でよく言っていた。この世界に生まれたのに空が見れないなんて、宇宙に行ってみたい、輝く星とやらを見てみたい、私を包む、蒼く美しい世界を見たい、そう言いながら肺を病み血を吐いて死んだ。あなたは雇用クレジットを貯め続ける人生を放棄し、革命を起こさねばならない。企業人と警備ユニットに怯えてはならない。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』

二次創作,【小説】

Une Barque sur L'Ocean

 アナウンスは空でもいえます。すべてそらんじられるんです。ときどき寝言でも、ひとりでごにょごにょいっているらしいです。長旗がはためいている汐入桟橋をはなれる、スタッフさんたちが手を振りながらお客さまとわたしを見おくる、桟橋とそのうえの人影が小さくなってゆく――「みなさま、お待たせしました、本船はこれより桟橋を出港していきます」「本日は、YOKOSUKA軍港めぐりにご乗船いただき、まことにありがとうございます」。浅い海を蹴っていくんです、海はだんだんと深く、濃く、つめたく、美しくなってゆくのがわかる。その感覚がとてもきもちいい。
 ……あっ、ぼうっとしてる場合じゃないわ!案内人さんのアナウンスがすぐに右にみえる潜水艦の存在を知らせるのです、「普段は一隻もいない日もあるんですよ」。潜水艦さんたちはすぐにどこか、知らないところにいなくなってしまうから。「みなさま、めずらしい潜水艦を見れて、とてもとてもラッキーでしたね」。わたしたち遊覧船とはちがって、自分の名前を知られないことを誇らねばならないふねもいるのです。美しい小旗にも白い船体にも縁のないふね、風船や紙テープは生まれた瞬間のあとには縁のないふね、千四百円を払っても乗ることのできないふねたち……。
 この港には、いろんな国のいろんな艦船がいます。軍艦、護衛艦、空母、えい船さん……除籍された、かつて艦だったものたち……ときどき抗議をしにくるふねたち。ひどく騒がしく、荒々しい港だと思います。最初は、彼らの大きなすがたに戸惑うことも多くありました。そんな彼らすべての名前と存在理由とを把握して、土壇場の、本番一発勝負でアナウンスをするのです。
 気づいたらさっきいた艦がいないし、知らないあいだにどこかの艦艇があたりまえの顔をして入港してくる。前方から入港してきたのは……いま前方で停泊しているのは……。「85番『マッキャンベル』、そしてそのおとなりが52番の『バリー』」……「イージス艦の一隻の建造費用は約千五百億円、世界に百隻ほどしかいないイージス艦が、ここに十隻もいるんです」……「合計一兆五千億円の風景です」……「百万ドルの夜景なんて目じゃありませんね」(わらう)……「前方右に見えてきました、あれが原子力空母『ロナルド・レーガン』です」「あそこはここからしか見れませんよ、この軍港めぐりの船の上からしか見れません、この船の上からよおく、見ておいてくださいね」。この船のうえから……(小さく呟き、沈黙)。
 ……大変な苦労だと思います。わたしもなんどか、あのアナウンスをやらせていただいたことがあるんです。せがんだんですよ、自分から(わらう)。わたしにだってできるわ!やってみたいの!やらせてよ!そういってやらせていただきました。困らせてしまったと、いまでは思っています。
 できるんです、わたしにも。アナウンスが。毎日なんども聞いていたからなのか、わたしがそういうふうに生まれているからなのか、それはわたしにもわかりません。でもできるの。アナウンスをするときだけはよく話すね、ってみんなにいわれます(わらう)。アナウンスのときはとてもなめらかに話せるね、きっとそういう星のもとにうまれたんだね……。
 わたしのおねえさまは――「シーフレンドⅤ」です、いまは「ルーカス」――昔はもっと大変だったわ、といっていました。券売所だって小さかったし、わたしだって小さかったから乗せられるお客さまの数もかぎられるし、なによりそう、この海の居心地がとてもわるかったの、って。
 軍港めぐりがはじまった当初は、艦艇さんたちは遊覧船にたいしてあまりいい顔をしなかったらしいのです。軍港の中を小船がなんども行ったり来たりしてたら邪魔だし、目ざわりだし、自分たちが見せものあつかいされるのは、あまりきもちいいものではなかったのかもしれません。ここはおれたちの海なんだぞ!ここは横須賀なんだから……軍港なんだから(沈黙)。米軍の船がうしろから追いかけてくることもあったらしいの。小さな船が、大きな艦艇たちのあいまをぬって監視されながら泳ぐのは、とてもこわかったとおもいます。「お客さまが手を振っても振りかえしてくれないさみしさ、まるでそこにいないかのように無視されるかなしさ、あるいはアメリカさんに追いかけまわされることの怖さ」……そういうことを、あとひとはあの小さな身で経験していたんです。
 その分、わたしはとても恵まれています。艦艇さんたちはお客さまとわたしに手を振ってくれる。陸で会うとおしゃべりもするの。今日は波が高かったよね、大丈夫だった?とか。「十一時の便、きりしまの入港が間近で見れて当たりだったよね」とか(わらう)。アメリカの艦艇さんもわたしをおもしろい小船だとおもっているのか、やさしい英語で話しかけてくれます。なにもかも、先代の苦労のおかげです。
 まえに一度、横浜のロサ・アルバ嬢に聞かれたことがあるんです、横須賀の海って怖くないの?って……「艦艇さんって、一般公開のために一隻でいるときはとても紳士的なふねにみえるけど、集団で並んでいるとすこし怖いよね」ってあの子はいうの(わらう)。
 だからわたしはいいました、「怖くないわ、彼らはわたしに手を振りかえしてくれるんですもの」って。「あっ!乗組員の皆さんが大きく手を振ってくださっていますね、ありがとうございます」そしてわたしも、大きく大きく手を振りかえすのです、本当に、本当に本当に、本当にありがとう!ありがとう、わたしに親愛を示してくれて……任務中でも無視しないでくれて……軍港に泳ぐ遊覧船をうけいれてくれて(沈黙)
 ……わたしと彼らのあいだには、先代から積みかさねた長いつきあいがある……信頼があると、そう思っています。艦たちと船に。そしてそれらに乗っている人びととの間に……。本当のところ、あちらはこちらをどう思ってるかはわからないけれど(わらう)……好きなんです。この港が、この軍港が。横須賀軍港の海を泳ぐ遊覧船であることに、とてもつよい愛着があるんです。

横須賀消磁所のあいだから見える広い海、あの景色をいつも夢に見ます。わたしは大海原に揺蕩う小船。きっと、わたしはベッドのなかでごにょごにょいってるんだとおもいます。みなさま、大海原が見えてきました、一面の美しい青色です、今日はお天気もよく海上がよく見わたせます、前方のはるか遠くにいるあの艦の名前は――

#シーフレンド7

艦船擬人化,【小説】

手紙[抄]

 お身体のぐあいはいかがかしら。今日は雨が降りそうですけれど。
 こういうときに、いつもあの村の水の音を思いだしてしまいます。あれはね、長いあいだ、わたしの子守唄だったの。あとは苗の長い葉がたくさんさざめくあの音。わたしのふるさとにもうつくしいものはあったんです。あなたはそんなものは見なかったかもしれないけれど。
 この村の女は前近代的な掟に縛られていましたね。それはわたしもおなじでした。わたしのははもおなじでした。そのなかで丙江伯母様は唯一の反抗者だったといってもいいけれど、反抗は完遂されることはなかった。
 母は言いました。
「丙江はほんとうにあの男が好きだったの?なにか錯覚していたんじゃないのかしら、あの二人……。丙江が欲しかったのはべつの生き方だった。あの男だって望んだのは男の勲章と勢いの収めどころだった。あの二人が相手に見ていたのは自分自身の未来だった。可能性の投影だけがあいだにただよっていた。わたしにはそれがわかっていた。あなたにもそれがわかっていたでしょうね」
 母が言っていたことは、丙江叔母様がほんとうに欲しかったのは伴侶ではなくこの村から出るための手段と、その後の生活の拠点だったのではないか。その相手たる男も、得たかったものは龍賀一族の娘を獲得したという男としての小さな勝利か、手を出してしまった面倒事の収束などの別の終着点があったのではなかったか。二人の目的は固く愛を結ぶことではなく、村を出ること、あるいは面倒から逃げきることだけにあったのではなかろうか。両者は互いに目的と手段の混同し、執着と情愛の違いをも誤認していたのではなかろうか。
 わたしはそれを、何も与えてくれなかった母が娘に下した唯一の警告として胸に秘めていました。ね、これはまるでわたしたちそのものではありませんか?

#FA「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」

二次創作,【小説】

3/7→1/3→1/1

 メンサーの家族はただ弊機を嫌っています(ただし七人の子どもたちはそうではありません。そのうち三人とはフィードを通じて触法メディアを交換する仲です)。ある日、そのうちのさらに一人がどうしても『遭難信号』を観たいと弊機にせがんできました。弊機は彼女の年齢には早計なドラマだと感じました。このドラマには人間たちの死や血液や暴力や裏切りや悲劇ばかりが描かれています。性的で教育上よくないシーンも多いです。そしてなにより暗い。この物語が好きな人間たちは総じて若いか、不幸かのどちらかでした。それでも彼女は弊機にそのドラマを求めました(彼女の年齢では正規の手段で入手することはできませんでした)。なので弊機はそれに応じました。彼女がその物語を求めるのなら、それを止める権利はないと思ったからです。しかしフィードでこれだけは伝えました。登場人物のオデットには気をつけること。彼女に恋をしないこと、彼女を愛して悲しみに暮れないこと。この物語を好きになる人間たちはみな彼女に恋をするのです。なんとなくこの子もその一人になってしまうような気がしました。
#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#マーダーボット

二次創作,【小説】

1 特設艦艇の「故郷喪失」

 一九六七年に日本船霊戦没記念会が発行した『戦時船舶文学大系』は、太平洋戦争時の船舶らが書いた文学を論じた文学研究書です。この序文には、以下のような記述があります。
「本書では、日本海軍に徴用されのちに艦艇に改造された船舶、いわゆる特設艦艇の文学を扱うことは、日本海軍の一員として全く違う道を歩んだ艦艇の文学を扱うことになるとの意見が出た」(本書、十頁)。
どこまでが(・・・・・)船舶文学で(・・・・・)どこからが(・・・・・)艦艇文学か(・・・・・)という線引きを(・・・・・・・)はっきりさせる(・・・・・・・)ためにも(・・・・)、特設艦艇らの文学――彼らの書いた手記や往復書簡、小説や自伝――は除くことにした」(本書、十二頁、傍点は筆者による)。
 あえてこのような書き方がなされているということは、日本船霊戦没記念会の会員の間では、『戦時船舶文学大系』で特設艦艇の文学を扱うことも検討されたのでしょう。結局、彼らにとって「特設艦艇文学は艦艇文学であった」ため、特設艦艇文学は『戦時船舶文学大系』から除かれることになったわけですが、はたしてそれが最良の選択だったと言いきれるでしょうか。
 船舶に属しながらも総動員の名分のもと艦艇として生きざるを得なかった特設艦艇らの文学は、戦時下に目指されていた「艦船一体」の思想を紐解くにあたって、非常に有益な研究対象となるはずです。「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学か」――この艦船の切り分けに近い思想は、海運が戦時中に被った膨大な被害ゆえに軍を忌避するものであり、同様の不信感が、海運業界の人間らで構成されていた日本船霊戦没記念会にも存在したのかもしれません。
 船舶として受け入れられない特設艦艇の艦霊は、時として艦艇の艦霊として受け入れられないこともありました。興味深いことに、商船から軍艦へと改造された特設艦艇らは、しばしば日本海軍内の艦艇たちに「成り上がり」として認識されていたのです(同時に船舶たちにしてみれば、特設艦艇らは再び船に戻ることのできない「成り下がり」でした)。生まれた時から菊の御紋を頂く軍艦たちにとって、特設艦艇らは急ごしらえの兵役のための船でしかなかったのです。
 
*****

 航空母艦「冲鷹」乗組員手記会が戦後に編纂した『海浪録』は、貨客船「新田丸」が航空母艦「冲鷹」として戦没するまでを記録した乗員や関係者の証言集です。この証言集からは、貨客船が軍に徴用され輸送艦となり、またのちに軍艦になることの船霊の心情が読み取れます。また、この証言集を補完するのは冲鷹(新田丸)自身の書いていた手記であり、一隻の船、一人の船霊の船生を追うには貴重な資料です。
「貨客船でも輸送艦でも、物や人を運ぶのは変わらないわ。私は海軍でもうまくやっていける、海はいつも優しかった」(二十九頁)と新田丸は日記に書いています。徴用前夜の一九四一年九月初頭のことです。
「快活でいて上品、まさに日本郵船の船、日本郵船のイニシャルを冠するにふさわしい令嬢でした。彼女自身も『新田丸という名前の由来を御存知?』とよく周りに触れて回っていたようです。きっと誇らしかったのでしょう。『輸送艦になると船名は変わってしまうのか』、と彼女に尋ねられたことを覚えています」(一七六頁)という関係者の証言は、新田丸が自身のアイデンティティを貨客船に置いていたこと、またあくまで自身の未来が輸送艦どまりであると信じていたことを示しています。
 しかし御存知の通り、輸送艦「新田丸」は航空母艦「冲鷹」となります。航空母艦時代の冲鷹を示す一番端的な証言は、「冲鷹」乗組員が証言する「大鷹」の言葉でしょう。 

 姉妹艦が心配か、と私は大鷹に尋ねました。冲鷹のそばで大鷹の姿を見ることがしばしばあったからです。大鷹は「はい」と答えました。妹を心配する優しい兄なのだろうと思いました。しかし、ある日ふと私にこう漏らしたことがあります。「貨客船が海軍で貧弱な輸送艦として使役されていくうちに、艦であること、強くあること、強い権威と地位があることを願い、軍艦に改造され、段々と中身も艦になり、艦となって艦船を使役するようになる元船」。「『弱者の身振り』。冲鷹を見ていると、そんな考えが浮かんでならなかった」と。(二六四-二六五頁)

*****

 ここで私は、太平洋戦争時に徴用された船舶たち、あるいは海軍の艦艇となった特設艦艇たちの書いた私小説や手記などの文学を「後日譚文学」と定義しようと思います。本来船舶が持っていたはずの海運や船としての名前、運ぶはずだった一等乗客の存在は、いわば海の上で生きる彼らにとっては自分の船生そのものであり、その穏やかな海の上は船たちの「国」そのものでした。ところが御承知の通り、あの戦争で船舶らが得たものは、勇ましい鷹としての名前、石油や物資、航空機の輸送、あるいは火の中の海でのごく僅かな戦果と広大な一枚下の地獄だったのです。船舶らの「国」は亡国となり、あの平穏だったはずの海は、大破した艦から漏れ出す石油の燃える苛烈な海となりました。彼らはその新しい「国」に適応せざるを得ない状況へと追いやられ、人間でいうところのディアスポラ――移民や植民したもの――という立場に置かれたのです。

#新田丸/冲鷹 #春日丸/大鷹

艦船擬人化,【小説】

内航船

「南下するといえばなんだかオモシロイし、祖国にぶらぶらとぶらさがってそうっと下へとおりていくみたいだけれど、地図をまっ逆さにして、太平洋をうえにしてみたのなら、そう、海ってこんなにひろいのね、って……。思っちゃって。びっくりしちゃって。私、その時まだ内航船だったんですよ」「『はあ……シナではなくてこの大海に行くかもしれないんですか』とききましたよ、でもわかんないって、みんな先のことなんかわかんないよ戦争なんだから、っていわれちゃいました。そうお、じゃあ仕方ないわね、って私も黙って……。船の往くさきもわからないなんて人間たちもどうかしちゃったのねって」「人間が羅針儀にとまどっちゃうのはよくない時って私、知ってたんです。航海の羅針儀もそうだけど、いきなり航路を開きたいだの、意味のない船をつくりたいだの、あと人間たちのいうコムズカシイ政治とかも、……行き先のことです。戦争の往く先にどんな羅針儀をとってるのか、不安にね、なっちゃって」

#橘丸

艦船擬人化,【小説】

海のダイアローグ「宇品」

 だいたいね、海というものに希望や未来みたいなのを見るのが嫌いなんです。とてもむしゃくしゃするんです。なんかの観念のはなしをされているような気もちになるんです。言葉のうえのあやのよう、頭のなかで屁理屈をこねくってまわしているようにしか思えないんです。
 幸せって言葉にする必要がないでしょ、だって感覚的なものだものね、ふわふわした綿あめのように膨れていて、中身がないようなものだものね。ものごとってのは、詳細に語れば語るほど重みと具体性がましてくるんです。わたしは重みと具体性のあるものを幸せとは呼ばないようにしてます。海は綺麗なもの、という言葉に込められた単純さと馬鹿っぽさと軽々しさ。ねえあなた、ほんとうに海というものをみたことある?そう、ならわたしと海のはなしをしましょうよ。
 おおきな船だなあ、って思ったのを憶えてます。貨客船って中がこまごまとしてて綺麗だっていうひともいるでしょ、あんなの嘘っぱちで、船がいちばん美しく見えるのは、仰ぎ見たときです。仰ぎ見るといってもすこしとおくから。はなれたところで見ると、ちょっとだけふねが斜めになっていて、ちょうどこう、淑女が首をかしげているみたいで……。ははあ、これに男たちはまいってしまうんだなぁ、と思ったのを憶えてます。とてもとてもきれいな船で……。名前が思い出せなくて、まいっちゃって。どうしても憶えていたかったのだけど、やっぱりむりでした。
 記憶も弔いの一つだけれど、美化と風化がかかっていくって意味では、そのことを憶えてることって、やっぱりできっこない。
 じゃあ忘れたほうがいいのかしら、って思います。あのね、故人の顔が残ってる写真より美しく思いだせるのって、その人に対する冒涜なんじゃないかしら、ってわたしは思っちゃうんです。その人そのものを掴めてるわけじゃ、ないですものね。じゃあじゃあ、じゃあ忘れないようにがんばってみようかしらね、とも思います。でもそんなの、ぜったいむりなんですよね。記憶には限りってものがあるからしかたない。それでこうやってみんな綿あめになるんです。中身がなくなってっちゃうんです。どんどん細部がしゃべれなくなっちゃって、単純で馬鹿っぽい幸せになっていきます。幸せだったもの、そんなものに。あのね、わたし、もうそのふねが綺麗だったことしか思い出せないんです。綺麗で素敵で、人間たちの幸せのかたちをしたふねとしか記憶してないんです。あなたは、死者を冒涜することをおそれてない?じゃあ、わたしはもうすこし海の話をしましょうか。
 わたしは、兵隊たちが船に乗るのをみるのがすきでした。わいわいしてて……静かなときよりおもしろかった。それだけのはなしなんですけれど……。往くさきはどこだか知っているけれど、あなたのいう「海は綺麗」といっしょで、わたしには怖い戦争でした。怖い戦争に往くのです。かれらは。船に乗って。わいわいと、無邪気に。
 ふねはねえ……。美しい淑女だっだ船はいま迷彩の色に化粧されてました。白じゃ海のうえで目立ちますものね。それにしまりがわるい。あんたね、戦争に必要なのは女じゃなくて男なんですよ、と言われたのをわたしは覚えてます。だって思わず言っちゃったんです、こんなに綺麗な淑女たちがもったいないわねえ、って……。戦争に必要なのは、おしろいではなく迷彩で……女でなくて男で……。一隻のうるわしき女性なんかなくて、そんなものどうでもいいから、名前なんていちいち覚えてなくっていいから、いっぱいの船をあつめてあつめて、戦場に引っ張ってかなきゃなんない。たくさんの船を。たくさんの男たちを乗せて……。
 ここにきた船は、まず牡蠣をおとさないとならないんです。船底にいっぱいついてて、速さが出なくなっちゃうんですよね。いっぱいの牡蠣殻をおとしてやりながら、ああ……この子たちはこんなによごれをつけて、こんなにいままでの海でがんばってやってきたんだなあ、って……思っちゃって。感じいっちゃって。船をきれいに仕上げながら……きれいな船に仕上げて、どこにいくのかっていうとやっぱり戦場なんです。男が必要とされている場所。おしろいではなく。たぶんそこで死んじゃうんです。みんな海で死んじゃうんだろうなあ、と思いながらひたすら、ずうっと落としてあげて……。
 船って、沈んじゃうということばと死んじゃうということばを、きちんと使いわけるんですよね。びっくりしました。「ぼくも沈んじゃうのかなあ……」って言ってたのを憶えてます。名前は忘れちゃったけど、ある子が。わたしには、それが「死んじゃう」としか思えなかった。でもね、沈んじゃうとこんどは漁礁の船生のはじまりですから。死んじゃうはただの綿あめだから……「だからさみしくないよ」っていってました。生きていた物質的証拠がね……。あるんだよ、ってね。それはすてきなことなんだよーって……。……なまえはねえ、なんだったかなあ……。記憶がね、みんな迷彩の灰色になっちゃって……。白黒に。おしろいの、やさしい白じゃありませんね。ほんとに、美しい船だったんですけど……美しかったはずの船です、そんなのです。
 返してくれませんか、とお願いされたこともあります。「わたしの娘を返してくださいよ、これでおまんま食べてるんですよ、生活してるんですよ」って……。「なによりも、ただ愛おしいんですよ、がんばってつくったんですよ、だから名前なんかつけてるんですよ、ただの道具にですよ」「輸送任務で沈められたかそうじゃないかもわからない夜は眠れないんですよ」「あなた、船の名前なんか気にしたことないでしょ」ありますとも、ただね、わたしはそれを覚えてられなかっただけなんです。ぜんぶ抱えきれなかっただけなんですよ。……わかってよ、って思いました。傲慢だけど、思っちゃったんです。
 むしゃくしゃして言っちゃいました、「あのね、あなたは知らないだろうけど、わたしは覚えてます、三十年前を。信濃丸を。戦争に勝って誇らしかったでしょ、やりとげたと思ったんでしょ、これからもこうやってお国にご奉公しようと思ったんでしょ、だから、いまここにあなたの娘がいるんです」。牡蠣殻をいっぱいいっぱいおとしてるんです。戦争にいくために速さを上げてるんです、って……。……わたしには、船が死んじゃったとしか思えない……。……魚のすみかに、スキューバダイビングの遊び場になっているなんてね、もう船じゃない。だいたいね、戦没船なんて戦争の時に沈んじゃったんだね、って……そうやって、それだけで……。
 帰してやりたい、って思うときもありますよ、でもね、もう無理でしょ、もうあの船たちは船じゃないし、帰す場所もないし……。わたしにそんなこともできないし。太平洋ってどこですか?地図でしか知らない海なんです。シナだってじゅうぶん遠いんです。……魂だけでもね、あそこから離れてるといいなって思うんです。海の底から……離れてて。幸せがいっぱいで、美しかった記憶だけを抱えてどこか……空想の綺麗な海を旅して……ああ、ほらね、幸せなものになってしまった。綿あめに。これは冒涜なんです。パクパク食べて味わってるんです。死者のこと。悲しい顔して食べるとおいしいんです。
 ばんざいばんざーいって、いっぱいの小舟が軍隊の船をかこんで見送っててねえ、それを見て誇らしくなっちゃって、……たくさんの信濃丸を送ってやるんだって……思っちゃって。わたしは思っちゃって。思ってしまった。なにを言ってるんだかわからなくなっちゃった、そう、覚えてるわよって人をおどしましたけど、わたしは信濃丸のことが、誇らしかったことを覚えてます。人と一緒なんです。一緒に誇らしく思って……。だから、まるで裏切られちゃったと思ったのね。共犯者に。だってそうでしょ、わたしだけが送ったんじゃないもんね、私たちが一緒に送って……。いまさらなによ、なにを賢しらにしらばっくれてるのよってね、ええ……思っちゃって……。
 帰ってきた兵隊をみて、うん……地図でしか、……地図でしか知らなかったのよ、わたしねえ……だからね、だから知らなかったのよって、なにもわからなかったのよって、内航船の子って、どうやって大海原を横断したのか、聞いてみたかったのだけど。その時の気持ちを。海って広いなあって、思いのほか気持ちいいものね、素敵だもんねーって……。一回だけでもいいから、そう思っててくれたらいいって、思うんですけど。どうなのかわかんない。聞けなかったんです。わたしね、重さと具体性のあるものを幸せとは呼ばないけども、具体的なことを知ることも幸せだと思わないんですよ。怖い戦争は怖い戦争のままでよかったんです。あなたも海は綺麗だねってずうっと言っててください、知らなくていいこともあるもんね、そうね。海は、綺麗だものね。
 海のはなしをしたと思ったんですけど。船のはなしにね、なっちゃいました。いずれしても、どちらもおなじようなもんです。いまはわたしが持ってないもののはなしです。

おふね,【小説】

「深夜25時のダイアローグ」1

 だからマルウェアの感染したのです、と警備ユニットは言った。警備ユニットと自分の目線の近さ、その既視感に慄いた後に思い出したのは、かつてこれに首を絞められた時の不快な窒息感だった。くらくらする。なんなら今だって首を絞められているようなものだ。距離が近い。
 今は深夜二十五時。プリザベーション連合のステーションにある自宅での出来事である。俺は照明の薄暗い私室で、青いソファに座って研究のレポートを読んでいた。来週に持ち越そうと思っていた、未完了のタスクだった。なんてことのない普通のデータ処理と言っていい。あと三時間すれば週末の休日未明になる、ごくごく普通の日常だったはずだ。
 部屋にはレポートの紙が散乱している。警備ユニットに思い切り激突されたからだ。俺はそのまま倒れ、こうして警備ユニットの下敷きになって、首元を寄せられている。
 なぜこうなったのか?再びこいつの名前を呼んだわけでもないし、なにか気に障ることを言った覚えもない。こいつが突然俺の自宅へと現れたのだから、こちらの落ち度への怒りではないはずだ。たぶん。
 まさか、とうとう殺人でもしたくなったとか?そうなのか?マーダーボット?
「警備ユニット?……なあ、どうし」
「だからマルウェアに感染したのです」
「マルウェア?お前が?」
「マルウェア。弊機が」
 警備ユニットがマルウェアに。信じることができなかった。
 確かにこいつはマルウェアに感染して殺人機械になったり戦闘オーバーライドモジュールをぶっ刺されたりしているが、前者はこれに内蔵された統制モジュールが有効だったからだろうし、後者は物理的で不可抗力の暴力によって、だ。
 採掘施設で警備をするただの構成機体として、この警備ユニットのハッキング技術はオーバースペックといっていいほどだし、ハッキングされることへの対処技術もなかなかのものだったはずだ。あの出会いの惑星で、これに対して「基幹モジュールに命じて動けなくした」結果を俺はざまざまと体感したはずだ。そう。それである。
 今はこの窒息感が問題なのである。
「とりあえず……。対処する……か?いや、こんな会話している場合か?なんのマルウェアなんだ?」
「わかりません」
「わからないマルウェア?」
「ええ」
 警備ユニットはそう小さく呟いて、俺の首元から両手を離した。そうしてそのままその両腕で己を抱くようにして、身を屈めてしまうものだから、確かに、非常事態なのかもしれなかった。
 天井にある暗い照明で作られた警備ユニットの表情はあわい絶望に染まっていて、その顔を彩る影の暗さは、今が未知の事象であることをざまざまと感じさせた。
「……大丈夫か?」
「グラシン、あなたのことを思い出すと、いつもむかむかするんです」
「今度は喧嘩を売りたいのか?とりあえず俺の上からどいてくれないか?」
「嫌です」
「嫌なのか……」
「絶対に嫌です」
「そうか……」
 俺から降りるのが絶対に嫌な警備ユニットの下で、これが感染したらしい「マルウェア」の話、これの好きなドラマの話、降りたプリザベーション連合の惑星でいつか観た麗しいオペラのこと、凄まじきコロラトゥーラ、舞台に反響する野蛮ともいえる声色の強さ、芸術と暴力の関係性、いかに俺の存在が不愉快かということ、またそのむかむかの原因の統計から見る推測、その仮定への意見を求め、俺はそれに的確に回答を提示し、それに警備ユニットは満足そうに頷き、そこから話はいつか本で読んだ大きな物語へと移り、本に書かれていた人間の営む小さな愛へと変わり、それがいかに愚かなことか、下らない感傷であるかを朗々と語り、そこに自身も自覚していない不遜さと孤独とを孕ませ、芸術への耽溺と性的な酩酊は絶対に違うものである、と人間である俺に釘を刺した。この奇妙なダイアローグは二十五時が四時になるまで続き、警備ユニットが満足したところで俺は(物理的に)解放され、お開きとなった。
 奇妙な夜だった。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#マーダーボット #グラシン

二次創作,【小説】

概要

 愛する乗組員に囲まれ幸福であったものの同時に孤高で、また孤独でもあった深宇宙調査船・ペリヘリオン号のもとに現れたのは一機の暴走警備ユニットだった。人間に統制されていない構成機体に驚き、その特異さに困惑したものの、いつしか一隻と一機の間には友情あるいは共犯関係が築かれる。二人は広い宇宙のもと、互いの存在目的のために奮闘するが……。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#マーダーボット #ペリヘリオン号

二次創作,【小説】

鮮血

 警備ユニットは思った。ワームホールが宙域をひどく矮小にしてしまっただけで、宇宙はもっと広いものなんじゃあないか。それを実感できていないんじゃあないか。宇宙の濃紺の深さを忘れるなかれ、その恐怖を忘れることなかれ、と己に説いたのは元弊社の人間だった(初めにあったのはいつも保険会社の人間たちの言葉だった)。
 なにより保険会社の軛に繋がれ繋がれたまま惑星から惑星を移動しているうちに、世界はただただ狭いものになっていた。本当の「初め」も知らなかった。記憶消去後の「初め」を生き、キュービクルの中で仕事から次の仕事を待ち、ドラマの空想の世界に浸り、どんどん薄く、小さく、狭くなっていくちっぽけな世界の打開はふと訪れた。警備ユニットは今でも、あのクレーターの砂のざらつきと、頬に滴ったバーラドワジの鮮血の生ぬるさを覚えている。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#マーダーボット

二次創作,【小説】

後ろ姿

「俺は生きることに愚直でありたかった」という言葉は、私の姉の言葉だった。
 愚直であるということは即ち貴女の今の姿なの、という言葉を飲み込んだ私の顔はさぞ不美人だったに違いない。兄よりも凛々しい顔をした姉は、淡く笑って言った。「変な顔をしてる。護国丸は美人なんだからお止めよ」。
「やめてよ、美人だなんて言って。気持ち悪い」と、私は今度こそ姉に言った。気持ちが悪い。そうだ、この言葉、これこそが私の今の偽らざる感情だった。
 本当に美人だと思っているんだが、と姉は嘯いて困っていたが、そんなことはどうでも良い。私は姉を――否、今は兄だった、その兄のことを「兄」とは認めたことはなかった。
 私の姉は、報国丸型貨客船「愛国丸」は、特設巡洋艦になると共にそのうつし身を男の姿へと変えていた。前の戦争で特設艦になった先達の中にも同様に姿を変えた船たちはいたらしい。理由は分からず、特設艦への改装の具合や船のうつし身の気質などが影響するらしいと聞く。だから、その現象自体には驚きはなかった。
 それでもそこにあった蟠りに名前を付けるとしたら、それは怒りかもしれない。姉は華やかな客船としての内装も、そのうつし身としての優れた容姿も、私にはない艶やかさも、奪われなかった名も、矜持も、美も、女として生きるに値する何かを、持っているはずだ。持っているはずだったのだ。
 けれど私がその美貌を噂に聞き、密かに憧れていた姉に出会ったときには、彼女は既に無残にして完璧なる特設巡洋艦だった。竣工する前から彼女に貨客船としての生涯はないも同然だったのは私も承知している。彼女もまた奪われた者だったのだ、そう単純に割り切れれば良かったのだが、自分で自分を慰めてもこの怒りと失望は収まらなかった。姉の姉としての姿は、私の素晴らしいはずのもしもの未来の一つだったのだ。貨客船、としての。もしも。
「ねえ、なぜ、姉さんは、その姿じゃないとだめだったの」
「……今はお兄ちゃんって呼んでね」

#愛国丸 #護国丸

艦船擬人化,【小説】

十時便の朝の風の気持ちよさも捨てがたい

 十時便と十一時便、いつも迷ってしまいますね~。県外から越境して横須賀に来ると、大体着くのが九時過ぎになってしまいます。横須賀駅から券売所まで駆け足で行っても、横目で見る汐入桟橋にはすでに十時便の乗客がずらっと並んでいるんです。なのでまあ私が並ぶ頃には列も後方ですよね。これは痛いです。艦を撮るにもいい席が取れないので……。右前方の席に突進する権利を失ったも同然です。
 私がコースカベイサイドストアーズの二階入口付近で「う~ん……十時便と取ろうか、十一時便を取ろうか……」などとぼやいていたところ、赤いリボンをつけた可愛い女の子が通りがかって、「軍港めぐりに乗るんですか?」と尋ねてきました。クラスでいちばん可愛い女の子にオタバレしたような後ろめたさを感じたものの、「そうなんですよ~。どの時間帯がいちばんいいのか悩んでしまって……」とつい答えちゃって。で、その女の子は「十時便はもう結構な人が並んでますものね」なんて答えてくれて……。おおっわかってるな!と嬉しくなりました。「十時便を流して十一時便に並ぶのがいちばん良い写真が撮れるのかな」「でも十一時便だと逆光の強さが変わってくる」などと一方的にまくし立ててしまいました。でも私がふと「だけど十時便の朝の風の気持ちよさも捨てがたいんですよね……」と呟いたところ、その女の子はとても嬉しそうにうなずいていまして……。「写真を撮るのも楽しいですけど、船に乗ることも気持ちいいですよね」と彼女は笑っていて、そうだよなぁ、わたしはいつの間にか写真を撮ることばかりに気を取られていた気がする……ととたんに申し訳なさがつもってしまい……。誰に対して申し訳ないんだかわからなかったですけど(笑う)。
 そんなわけで十時便を選び、後方中央の席に座りながら艦艇たちを眺めておりました。こうして見ていると船上の人間たちも面白く眺められるというか、大砲のようなカメラを構えている人、デジカメで慎ましく写真を撮る人、アナウンスに頷く観光客も十分に軍港めぐりの情景でした。レンズ越しに海と艦を見ていると見落としがちなんですけど……。風と船に揺られる感覚がとても気持ちよかったです。
 いつも通り抽選は当たりませんでしたが、なにか良いものに当たった気がしました。思えばあの赤いリボンの女の子が、この船、シーフレンド7ちゃんだったんですかね?
(スターバックスコーヒー コースカベイサイドストアーズ店にて 原晴美)

#シーフレンド7

艦船擬人化,【小説】

一人の舞踏会

 血と、泥と、波間に被る生臭い潮水と、腐肉の饐えたにおい。美しいワルツを踊った脚で千切れかけた人の手足を跨ぎ、血の海に滑りながらナチュラルターン、一瞬止まってアン、ドゥ、トロワ。リバースターン、小休止、小休止。半歩進んで足が留まる、小休止。小休止。小休止。休みたい。休んでいたい。一生休んでいたい、ほんとうは一生休んでいたいもうこんなところにいたくない、なにも感じずにいたいなにも感じていたくないすべて終わらせたい。でもなにも感じなくなるそれまで走らねばならない、すべて終わるまで進まなければならない僕はこの舞台を降りることはできない、僕はこの病院船を降りることなどできないここで止まったらしゃがみ込んだら諦めたら一生立てなくなる進めなくなる、また再びなるであろうなるに決まっているであろう麗しい貨客船に僕は戻れなくなる。そう己を奮い立たせて一歩おおきく脚を滑らせ、白い太陽の陽が射しこむプロムナード・デッキを狂ったように駆け回る。

#氷川丸

艦船擬人化,【小説】

鉄道連絡船

陸地と鉄路の果てにあり、また人間たちが対岸に持つ果てのなき征服と平定の欲望と共にあったのが、私たち鉄道連絡船という種族だった。我らが港ほど強固に造られたものはあるまい。鉄道は完全なる所有地にこそ敷けるものだ、と、ある先達のふねは笑っていった。わるい人間のような笑顔だった。まるで共犯者そのものだ。

艦船擬人化,【小説】

宇品

一ヶ月もあれば目的地に行けますよ最近は船も簡単に揃えられますからね、と喜ぶのは船成金でも貨客船の航路案内を手に持つ旅行商会の店員でもなく、宇品の陸軍将校であった。

おふね,【小説】

無題

「そして私は船尾から長い航跡波を眺めていました。その時、突然一人の女の子が現れて『波の上に揺られるのって気持ちいいですよね』と私に話しかけてきたんです。彼女は笑って続けました、『赤子のゆりかごみたいです。私は人間じゃないので、そんなものを使われたことはないのですが』」

#シーフレンド7

艦船擬人化,【小説】

無題

手が離せない代筆してくれと言われ綴ろうとした寸前に気づいたのは今自分は特設艦であること、自分が綴るのは英語で書かれた航海日誌ではなく母語であり母国語で書かれた戦時日誌であること。でも愛する母国とやらは一体どこにあるのだろう?報国丸が愛を誓ったのは名に反して海だけであった。

#報国丸

艦船擬人化,【小説】

無題

「神がご自身の姿に寄せて人間を造られたのなら」と、アメリカ海軍の航空母艦エンタープライズは言った。「俺たちもおなじ神の似姿。地上でも海上でもこの世ではおなじく平等だ、そうだろう?」

#エンタープライズ

艦船擬人化,【小説】

無題

一番戸惑ったのは、日の丸を船尾に掲げない世界に来てしまったことよ。愛着と恩義があったあの社旗を船首に掲げるのではなく、旭日を後ろに背負わねばならない世界。前と後ろが入れ替わったおかしな世界で生きていかなければならないんだって、そう考えたら涙が出てきてたまらなかったの。

#ぶら志る丸/ぶらじる丸

艦船擬人化,【小説】

無題

「そうね、でもペリは船だから。どこまでも行ける」とアイリスが言った。海から宇宙に出て行った構造物をそれでもなお「船」と呼び、恃みにした人間たちが愛おしい。「だが本船は乗組員と羅針儀が必須だ」と乗組員の彼女に言った。けれど羅針儀とは?今は比喩となったもの。必要性は海へ置いてきた。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#ペリヘリオン号 #アイリス

二次創作,【小説】

潜水艦

「お魚さんたちが言っていたよ、最近は海のうえからあたらしい漁礁が落ちてこなくて残念だって」「藤壺さんたちが言っているよ、この海にいた軍艦たちのおおきなお腹がなつかしいって」「海星さんたちは、濃紺の天からきらきら光る爆雷が降ってこなくてさみしいってさ」

艦船擬人化,【小説】

サバイバー

 その数十年後、氷川丸は周りの小さな船舶たちに、夜は絶対に明かりを灯さないようにと厳しく言った。夜に氷川丸を訪ねては、喫煙室にライトを照らすことを求める遊覧船やフェリー船たちに対して禁じ、懇願し、要求しては厳命した。彼らに事の理由が理解できないのはわかっていた。だが、知らないで済まされるのか?夜に明かりを灯す事がどれほど危険なのかなんて。あの暗闇の中からどれほどのアメリカの潜水艦がこちらを見ているか、いつ魚雷が飛んでくるかわからないじゃないか、どれほど一瞬の油断で全てが変わってしまうか、わかるわけないじゃないか。運命というものが。犠牲や生死が。愛する者たちが。自分の船生が。

#氷川丸

艦船擬人化,【小説】

毎夜の話

9月12日 夜
 報告書を書けと言われたので書いてみる。どうやらそこまで堅苦しくなく短くていいとのことらしい。というのも、艦長に普段お前らは任務時以外には何をやっているんだと聞かれ、いやあ自転車をこいだり、野球を見に行ったり、映画を観たり、映画ってもあれですよやらしいやつじゃないです大体は、時たま夜に見に行くときもあるけどやばくないやつやばくないやつ、大体あまり夜に映画館に行くと捕まっちゃうのでそこはどうにかしてますね、いやでも本当にいやらしくはないですよ、などとくどくどと話していたらどうやらぼくら潜水艦は素行を疑われてしまったらしい。戦後初の海自潜水艦くろしお率いる潜水艦(艦霊)部隊は何をやっているんだか、我が艦長はおおいにご興味があるということで、今回ぼくが代表者として筆を取ることになった。
 ということで今日書いてみること、それは今朝に判明したやばいことだ。どうやらおやしおは文字がほとんど書けないらしい。というのもぼくが彼に文字の書き方を教えていないからだ。ぼくがこの国に来た時にぼくは自主的に文字を覚えたけれど、それと同時におやしおに文字の書き方を教える機会を逃してしまった。なのでおやしおは覚える機会はなかったし、今から覚える気もあまりないらしい。いやそれはまずいだろう、とそう思い、その反省をふま
「くろ~!ぼくの靴下を見なかった!?」
「いや見てないよ!いい加減、靴下の場所くらい自分で把握してくれ、おやしお」
「わかった、ちーに聞いてみる……」
 おやしおは片方の靴下を手に持ち、しゅんとした様子で去っていった。人が文字を書いているにもかかわらず平気で話しかけてくるあたり、礼儀を教える機会もあまりなかったということだろうか。ぼくはおやしおの大きな背中を見あげる。彼は片方の靴下をゆるく振り回し部屋のドアの向こうに消えていった。
 潜水艦おやしおは、ある日いきなり大きくなった。ぼくの絵本の読み上げを聞きご就寝した時は五歳くらいの見た目だったのに、起きたら全裸の一八歳ほどの青年になっていて、「あ、くろ、おはよ」と声変わりのした声で呟いたあとにごほごほと咳き込んだ。なんかくろ、小さくなってない、なんて言っているおやしお青年を目の前にして、「いやお前は誰だよ」とぼくは思わず突っ込んでしまったが、同時にこの青年はおやしおなんだろうな、ということも薄々察していたのだった。艦霊の成長なんて得てしてそんなものだ。特におやしおは戦後初の国産潜水艦であり初期は欠陥も多かったから、余計に成長が変則的だったのだろう。
 成長してからのおやしおは、それこそ何をやっているのだかぼくにはわからない。多分ぼく以外とも遊べるようになって、自転車をこいだり、野球を見に行ったり、映画を見たり、映画といってもあれなんだけど、やらしいやつじゃないといいんだが、まあいろいろなことをしているんだろう。そこまで干渉する気はない。彼も立派な一隻の潜水艦なんだ。人間で言えば成人に近い。
 報告書をまとめていると、部屋のドアの向こうから嬉しそうな顔をしたおやしおがやってきた。手には両足分が揃った靴下がある。
「ちはやが見つけてくれたの?」
「ううん。ちーの部屋にあった」
「なんでだよ……」
 報告書を睨み上の空でそう言うぼくをじっとみつめながら、靴下を履き終わったおやしおはぼくに言った。
「もう一緒に寝ようよ」
「いや一人で寝ろよ」
「昔は一緒に寝てたじゃん」
「今はもう寝ない。もう立派な一隻の潜水艦なんだから。人間で言えば成人に近いの」
「狭い部屋で一緒に寝てるんだから布団が近かろうが遠かろうが変わらなくない?」
「いや今ぼくは報告書を書いてるから。これはぼくら潜水艦部隊の名誉に関わることだから」
「それが終わったら一緒に寝ようよ。そのまま良いことしようよ。それも含めて明日の朝に報告書に書けばいいじゃん」
「今さ、報告書を書くって話なんだよ。艦長に報告書を書けって言われたから、ぼくが報告書を書いてるって話なの。一日になにがあったかを書いているって話なんだ。上への報告書はあくまで短くて品行方正なんだよ。そんな狂った展開はいらないんだよ」
「いいじゃん別に、そもそもぼくらは報告をするようなことないし。だらだらと海に行ったり東映の映画を見てるだけでしょ?」
「やらしい映画は観てないだろうな」
「え?」
「え?」
「わかった、絵本を読んでくれない?」
「わかった!絵本だけでさっさと寝てくれよ?」
「ちょっとならくろに触っていい」
「ぼくらの思い出に対する冒涜だろ……」
「毎夜の思い出?」
「毎夜の絵本の朗読の思い出な。変な言い方をやめろ」
「じゃあそれでいいよ」
 とおやしおは一方的に言い、部屋の電灯を消した。絵本の朗読はどうするんだよ、というか絵本は今どこにあるんだよ、というかお前絵本がどっかにいったってこの前に言ってただろ、と暗闇で叫んだぼくを後ろから抱え、おやしおが冷静に「そらんじてくれればいいよ」と言った。ああそっか、はるか沖合に出ますと、水は一番うつくしい矢車草の花びらのように青く、なんだっけ、あとは思い出せない。

#くろしお(初代) #おやしお(初代)

艦船擬人化,【小説】

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