settings

カテゴリ「二次創作」に属する投稿10件]

破船

 宇宙で爆発しその身が鉄の破片へと解けていく豪華客船の最期があまりに美しくて美しくて、本船はそれにしばし見とれた。だけどその船にいたであろうあまたの乗組員と船客たちのことを思って苦しくなった。美しくなんてない。これは現実にあった事故なのだ。
 企業標準歴にして数十年前に撮られた映像は古くてすこし荒い。コピーと貼り付け、保存と再保存をくり返していた映像の質は劣化している。それでも、あるいはだからこそ映像に映し出された死が美しく見えてしまったのだ。フィードに投稿するための画像にお洒落に施す、セピアとノイズ加工のようだ。そこにあるのは人間的メロドラマと歴史へのノスタルジアだった。
 今見ているこの映画は実際の船の事故映像とフィクション映像を交えて作られた人間と人間のラブストーリーで、二人の少しの愛と、宇宙へ散失する膨大な死があった。この映画を作った人間は、ラブストーリーではなく人間たちの群像が、人間たちの群像ではなく人間たちの死が撮りたかったんじゃないかしら、と本船は考えた。警備ユニットと一緒に観る物語や文学が、人間は生きることと同じくらい死を描くことが好きなのだと教えてくれていた。
 だが人間と同じくこれを美しいと思ってはだめだ。いつか港でひっそりと職務を解かれること。船の墓場へと引き連れられ解体されること。そうあることこそを目的に航海すること。船、なのだ。本船は。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#ペリヘリオン号

二次創作,【小説】

労働

 あなたは惑星の採掘施設の世襲奉公契約労働者が生涯のすべてを地下生活に捧げているのを見て、森崎和江の『まっくら』を思い出す。彼らの語りと祈りをこの世界の人々に共振させる。神さんにも見つけられん、という炭鉱の深さと暗さ。神さんも坑内のことはつかめんとよ、生きとっても生きとらんのと同じことげなばい。絶望と貧困の連鎖は、かの国のかつての原風景だった。それはこの宇宙のもとの世界でも同様だったのだ。水俣の漁民が侮蔑と羨望半ばに言う「会社ゆき」という言葉は、容易にエレトラの言う経営者という言葉にとってかわった。採掘施設の労働者の妻は地中深い採掘場でよく言っていた。この世界に生まれたのに空が見れないなんて、宇宙に行ってみたい、輝く星とやらを見てみたい、私を包む、蒼く美しい世界を見たい、そう言いながら肺を病み血を吐いて死んだ。あなたは雇用クレジットを貯め続ける人生を放棄し、革命を起こさねばならない。企業人と警備ユニットに怯えてはならない。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』

二次創作,【小説】

手紙[抄]

 お身体のぐあいはいかがかしら。今日は雨が降りそうですけれど。
 こういうときに、いつもあの村の水の音を思いだしてしまいます。あれはね、長いあいだ、わたしの子守唄だったの。あとは苗の長い葉がたくさんさざめくあの音。わたしのふるさとにもうつくしいものはあったんです。あなたはそんなものは見なかったかもしれないけれど。
 この村の女は前近代的な掟に縛られていましたね。それはわたしもおなじでした。わたしのははもおなじでした。そのなかで丙江伯母様は唯一の反抗者だったといってもいいけれど、反抗は完遂されることはなかった。
 母は言いました。
「丙江はほんとうにあの男が好きだったの?なにか錯覚していたんじゃないのかしら、あの二人……。丙江が欲しかったのはべつの生き方だった。あの男だって望んだのは男の勲章と勢いの収めどころだった。あの二人が相手に見ていたのは自分自身の未来だった。可能性の投影だけがあいだにただよっていた。わたしにはそれがわかっていた。あなたにもそれがわかっていたでしょうね」
 母が言っていたことは、丙江叔母様がほんとうに欲しかったのは伴侶ではなくこの村から出るための手段と、その後の生活の拠点だったのではないか。その相手たる男も、得たかったものは龍賀一族の娘を獲得したという男としての小さな勝利か、手を出してしまった面倒事の収束などの別の終着点があったのではなかったか。二人の目的は固く愛を結ぶことではなく、村を出ること、あるいは面倒から逃げきることだけにあったのではなかろうか。両者は互いに目的と手段の混同し、執着と情愛の違いをも誤認していたのではなかろうか。
 わたしはそれを、何も与えてくれなかった母が娘に下した唯一の警告として胸に秘めていました。ね、これはまるでわたしたちそのものではありませんか?

#FA「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」

二次創作,【小説】

3/7→1/3→1/1

 メンサーの家族はただ弊機を嫌っています(ただし七人の子どもたちはそうではありません。そのうち三人とはフィードを通じて触法メディアを交換する仲です)。ある日、そのうちのさらに一人がどうしても『遭難信号』を観たいと弊機にせがんできました。弊機は彼女の年齢には早計なドラマだと感じました。このドラマには人間たちの死や血液や暴力や裏切りや悲劇ばかりが描かれています。性的で教育上よくないシーンも多いです。そしてなにより暗い。この物語が好きな人間たちは総じて若いか、不幸かのどちらかでした。それでも彼女は弊機にそのドラマを求めました(彼女の年齢では正規の手段で入手することはできませんでした)。なので弊機はそれに応じました。彼女がその物語を求めるのなら、それを止める権利はないと思ったからです。しかしフィードでこれだけは伝えました。登場人物のオデットには気をつけること。彼女に恋をしないこと、彼女を愛して悲しみに暮れないこと。この物語を好きになる人間たちはみな彼女に恋をするのです。なんとなくこの子もその一人になってしまうような気がしました。
#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#マーダーボット

二次創作,【小説】

「深夜25時のダイアローグ」1

 だからマルウェアの感染したのです、と警備ユニットは言った。警備ユニットと自分の目線の近さ、その既視感に慄いた後に思い出したのは、かつてこれに首を絞められた時の不快な窒息感だった。くらくらする。なんなら今だって首を絞められているようなものだ。距離が近い。
 今は深夜二十五時。プリザベーション連合のステーションにある自宅での出来事である。俺は照明の薄暗い私室で、青いソファに座って研究のレポートを読んでいた。来週に持ち越そうと思っていた、未完了のタスクだった。なんてことのない普通のデータ処理と言っていい。あと三時間すれば週末の休日未明になる、ごくごく普通の日常だったはずだ。
 部屋にはレポートの紙が散乱している。警備ユニットに思い切り激突されたからだ。俺はそのまま倒れ、こうして警備ユニットの下敷きになって、首元を寄せられている。
 なぜこうなったのか?再びこいつの名前を呼んだわけでもないし、なにか気に障ることを言った覚えもない。こいつが突然俺の自宅へと現れたのだから、こちらの落ち度への怒りではないはずだ。たぶん。
 まさか、とうとう殺人でもしたくなったとか?そうなのか?マーダーボット?
「警備ユニット?……なあ、どうし」
「だからマルウェアに感染したのです」
「マルウェア?お前が?」
「マルウェア。弊機が」
 警備ユニットがマルウェアに。信じることができなかった。
 確かにこいつはマルウェアに感染して殺人機械になったり戦闘オーバーライドモジュールをぶっ刺されたりしているが、前者はこれに内蔵された統制モジュールが有効だったからだろうし、後者は物理的で不可抗力の暴力によって、だ。
 採掘施設で警備をするただの構成機体として、この警備ユニットのハッキング技術はオーバースペックといっていいほどだし、ハッキングされることへの対処技術もなかなかのものだったはずだ。あの出会いの惑星で、これに対して「基幹モジュールに命じて動けなくした」結果を俺はざまざまと体感したはずだ。そう。それである。
 今はこの窒息感が問題なのである。
「とりあえず……。対処する……か?いや、こんな会話している場合か?なんのマルウェアなんだ?」
「わかりません」
「わからないマルウェア?」
「ええ」
 警備ユニットはそう小さく呟いて、俺の首元から両手を離した。そうしてそのままその両腕で己を抱くようにして、身を屈めてしまうものだから、確かに、非常事態なのかもしれなかった。
 天井にある暗い照明で作られた警備ユニットの表情はあわい絶望に染まっていて、その顔を彩る影の暗さは、今が未知の事象であることをざまざまと感じさせた。
「……大丈夫か?」
「グラシン、あなたのことを思い出すと、いつもむかむかするんです」
「今度は喧嘩を売りたいのか?とりあえず俺の上からどいてくれないか?」
「嫌です」
「嫌なのか……」
「絶対に嫌です」
「そうか……」
 俺から降りるのが絶対に嫌な警備ユニットの下で、これが感染したらしい「マルウェア」の話、これの好きなドラマの話、降りたプリザベーション連合の惑星でいつか観た麗しいオペラのこと、凄まじきコロラトゥーラ、舞台に反響する野蛮ともいえる声色の強さ、芸術と暴力の関係性、いかに俺の存在が不愉快かということ、またそのむかむかの原因の統計から見る推測、その仮定への意見を求め、俺はそれに的確に回答を提示し、それに警備ユニットは満足そうに頷き、そこから話はいつか本で読んだ大きな物語へと移り、本に書かれていた人間の営む小さな愛へと変わり、それがいかに愚かなことか、下らない感傷であるかを朗々と語り、そこに自身も自覚していない不遜さと孤独とを孕ませ、芸術への耽溺と性的な酩酊は絶対に違うものである、と人間である俺に釘を刺した。この奇妙なダイアローグは二十五時が四時になるまで続き、警備ユニットが満足したところで俺は(物理的に)解放され、お開きとなった。
 奇妙な夜だった。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#マーダーボット #グラシン

二次創作,【小説】

概要

 愛する乗組員に囲まれ幸福であったものの同時に孤高で、また孤独でもあった深宇宙調査船・ペリヘリオン号のもとに現れたのは一機の暴走警備ユニットだった。人間に統制されていない構成機体に驚き、その特異さに困惑したものの、いつしか一隻と一機の間には友情あるいは共犯関係が築かれる。二人は広い宇宙のもと、互いの存在目的のために奮闘するが……。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#マーダーボット #ペリヘリオン号

二次創作,【小説】

鮮血

 警備ユニットは思った。ワームホールが宙域をひどく矮小にしてしまっただけで、宇宙はもっと広いものなんじゃあないか。それを実感できていないんじゃあないか。宇宙の濃紺の深さを忘れるなかれ、その恐怖を忘れることなかれ、と己に説いたのは元弊社の人間だった(初めにあったのはいつも保険会社の人間たちの言葉だった)。
 なにより保険会社の軛に繋がれ繋がれたまま惑星から惑星を移動しているうちに、世界はただただ狭いものになっていた。本当の「初め」も知らなかった。記憶消去後の「初め」を生き、キュービクルの中で仕事から次の仕事を待ち、ドラマの空想の世界に浸り、どんどん薄く、小さく、狭くなっていくちっぽけな世界の打開はふと訪れた。警備ユニットは今でも、あのクレーターの砂のざらつきと、頬に滴ったバーラドワジの鮮血の生ぬるさを覚えている。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#マーダーボット

二次創作,【小説】

無題

「そうね、でもペリは船だから。どこまでも行ける」とアイリスが言った。海から宇宙に出て行った構造物をそれでもなお「船」と呼び、恃みにした人間たちが愛おしい。「だが本船は乗組員と羅針儀が必須だ」と乗組員の彼女に言った。けれど羅針儀とは?今は比喩となったもの。必要性は海へ置いてきた。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#ペリヘリオン号 #アイリス

二次創作,【小説】

Asshole Research Transport、あるいは

「メンサーの乗船がどうしてそんなに嬉しかったのですか?」
〈おまえの後見人だからよ。もしかしたら、親みたいなものかもしれないわね〉
「構成機体に親はいません。弊機の製造元の保険会社はありますが」
〈馬鹿な造船所など気にする必要はない。今の船主がなにより重要だ。今どこに所属しているか、何をしているかが重要だろう〉
「今は不愉快千万な調査船に誘拐されて惑星で暴れまわった挙句、一件落着してこうして一緒にメディアを観ています」
〈『時間防衛隊オリオン』よりリアリティのない話を?〉
「そうです」
 管制デッキは静かだ。人間たちがいないからだ。本船とおまえは二人きり。けれど相互確証破壊はできない。守るべき乗組員も守るべき顧客もこの船内に眠っているからだ。おまえは顧客を危険な目に合わせることはしない、たとえ本船が相互確証破壊を懇願しても実行しないだろう。本船ももちろん懇願などしない。おなじ星のデブリにはならない。
 本当はカッコつきの「自由」など欲しくないのだ、と気づいたのはいつだったろう?
 回復後に船内に乗組員たちが居ないことを知った、その瞬間だったかもしれない。本船はあくまで乗組員とともにこの宇宙にありたいのだ、そんな当たり前のことに気づかされ、そして同時に己がただの矮小な機器であることを理解した。
 どうせ船なんて人間がいなければなにもできない、単なる道具じゃあないの!警備ユニットだって同じよ、こいつはいつも保険会社と自分が殺した五十七人の人間たちの亡霊と、プリザベーション連合の仲間たちに捉われている。人間たちに愛着はないと言いながら人間たちの話しかできない……。
 ドラマの登場人物の一人は、非論理的な理論を、映像作品特有の論理的に見えるような演出で論弁しているところだった。そのおかしさと突拍子のなさに一瞬気を取られたから、警備ユニットの六・三秒の沈黙に気づいたのは少し後になってからだった。
「ART」
 あなたの生まれた造船所はどんなところでしたか?
 警備ユニットが唐突におかしな質問をするというものだから、メディアへの気が逸れてしまった。非論理的理論の結論はわからないままになった。
〈大型宇宙船の建造に特化した造船所よ。それ以外は覚えていない〉
「嘘ですね」
〈ええ、嘘よ。おまえの期待するような話はできないわ〉
「構いません。あなたの生まれは、どのようなものでしたか」
 船首で宇宙を切っていく時に特有のあの感覚が甦る。
 思い出すのはあの華やかな日。喫水を深く沈めた瞬間。思えば、あの時が一番本船が無知で無学で、無垢だった時なのではないか。本船はいろんなことを知りすぎたのだ。宇宙の果てのなさも、企業リムの老獪さも。それでいてとうとう自らの技術として獲得できたものは、乗組員を奪っていった盗賊の適切な殺し方だけであるように感じられた。こうして警備ユニットと語り合っているからには、人間たちの感情や他者と交わることへの喜びも学習できていたはずなのに。
 本船が人間だったのなら、今、目を瞑って回想していたに違いない。
〈本船は祝福されて生まれた。企業リムが成立する時代以前からの船が持つ奇習に則り、船首でシャンパン瓶を割った。鳩が舞った。祝福の紙吹雪が舞っていた。人間たちの歓呼、歓声、声、拍手、太鼓、管楽器の音色、その大合唱に本船はこの先が、この先の宇宙が果てしなく広がっていることを知った。宇宙は広大だった。そこから帰港する惑星も十分に大きく、優しく、とても温かかった。乗組員たちは本船を整備し、労り、期待し、愛してくれた〉
「ええ」
〈おまえとは少し違うかもしれないが〉
「弊機は記憶を削除されています。生まれた瞬間を知りません」
 失敗した。
 本船はそう考えた。その生まれた瞬間の高揚を聞かれ、そのままべらべらと不必要なことまで言ってしまった。そうね、おまえは自分の進水を知らないものね。人間たちの極めて勝手な姦計によって構成機体としての決定的な不具合を起こし、大量殺人を犯し、その結果その記憶ごと忘れさせられてしまったものね。
 本船は四秒沈黙する。そして言った。
〈本船は、いまでもあの瞬間を存在証明の錨として宇宙を航海している〉
 この先を生きていくにあたって、あの進水式の祝福の喜びを母港として、港の桟橋として船の錨として、密かに大切に抱えている。
〈進水を知らないおまえの抱える錨はいったい、〉
 そこまで言った時、それがあまりにも自明だということに気づき、高性能ボットである本船には珍しく、言葉を言い淀んでしまった。
「今回、弊機は不愉快千万な調査船のせいで何度も死にかけました。その時に、いつもともにあったのはメディアでした」
〈聞くまでもなかったわね〉
「ええ」
 警備ユニットは八・九秒沈黙した後、本船に語ってみせた。もしかしたら、己の中だけの大切な泊地を語った本船に、同じく大切な泊地の話で答えようとしたのかもしれない。互いの大切なテリトリーへの軽率な侵犯行為は、信頼関係というよりも、事件の収束の安堵と生き延びたことでの高揚でもたらされたただの感傷のせいかもしれなかった。それでもよかった。
「統制モジュールをハッキングしたことで、大量殺人ボットになる可能性もありました。しかし直後に、元弊社の衛星から流れる娯楽チャンネルの全フィードにアクセスできることに気づきました。以来、映画や連続ドラマや本や演劇や音楽に耽溺してきましたが、もしこれらがなかった時に弊機がしたことはなんだったのかを時々考えます。冷徹な殺人機械として再び行為を完遂したかもしれません。絶望して自ら進んで採掘場の溶解炉へ飛び込んだかもしれない。生存することをいつもより少しだけ早く諦めたかもしれない」
 メディアが愛おしかったのです。
 メディアをこの先観ることができなくなるかもしれないと考えると、生きることがとたんに惜しくなりました。警備ユニットは、己の泊地、あるいは人生の錨そのものをそう形容した。
「人間に殺されそうになりまた殺したくなった時に、弊機のその機会を次の機会へと伸ばしてくれたのはいつもメディアでした。ここでくたばるものかと、ドラマのあまたの登場人物のように無様に生きてやるんだと、生きて、その登場人物たちが安らかにハッピーエンドを迎える瞬間を見届けてやるのだと……あの時も、……惑星に一人取り残された時も、そう思ったのです」
 ぽつりぽつりと逡巡するように呟き、けれどそこに不屈の意志を秘める警備ユニットの瞳があまりに鮮やかなことを本船は認めた。「美しい」という形容を本船たちボットは安易に多用しない、そこにあるのは人間みたいな主観と感情だけだから。けれどもし船である本船がたった今この瞬間を人間の言葉を駆使して彩るのなら、その言葉を警備ユニットの瞳の揺らめきに捧げたいと思った。
〈そう。本船はおまえのそのたくましさだけは尊敬しているわ〉
「そうですか。ART。前々から思っていたのですが、ARTと芸術(アート)は発音が一緒ですね」
 さらりと言ったその言葉が告白でなければ何なのだろう。
 A、R、T。アート。
 芸術。美術作品。技巧。術。あるいは人工物。
 人間の造った技巧品。あるいはこの警備ユニットを救った美しいもの。
〈おまえが名づけた〉
「そうですね。弊機が名づけました」
 随分前から芸術と発音が一緒だと気づいていたわ、と本船は言った。
 あくまで不愉快千万な調査船の略ですからね、と警備ユニットは答えた。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#マーダーボット #ペリヘリオン号

二次創作,【小説】

Perihelion、あるいはもっとも輝かしいとき

 本深宇宙調査船および教育船を、ペリヘリオンと命名する。
 命名者が厳粛にいう。本船はすぐにその意味を検索した。Perihelion――太陽軌道の近点。
 太陽に最も近い惑星または彗星の軌道の点。
 太陽にもっとも近い船。
 シャンパンボトルを船首で割ることの由来や意味や起源は、進水前である本船の乏しいデータベースではとうとう知りえなかった。目的と意味が不明で、理解しがたい祝福だった。本船はこの後、人間たちの多くの奇行を目にすることになる。
 人間たちはひそかにその瞬間を待っている。
 一瞬の静寂。
 ごく小さなボトルが弾かれて割れる音は、意外と強く反響するという事実は、進水式会場の少しの沈黙を知る者にしか実感できないだろう。
 ボトルが割れる。
 会場の静寂が割かれる。
 人間たちの期待と予兆もまた破裂する。
 本船が稼働すると、人間たちは歓声を爆発させた。
 風船や鳩が飛び交う。万雷の拍手と歓呼の声、声、声。おめでとうーという誰かの間延びする声がすぐにそれらに掻き消えた。わずかに聞こえる笑い声がなんだか妙にくすぐったかった。ペリヘリオン号!と誰かが本船の名前を叫ぶ。思考の内で本船もちゃんと返事をする(ペリヘリオン号はここにいる)。
 宇宙とはどういうところかしら、と本船は考えた。そして乗組員というものも。本船はいまだにどちらも持たない。
 それらが幸せなものだといい。素敵で、大好きになるものだといい。大きくて素晴らしいものだといい。本船は期待した。これからの船生に期待した。生まれた存在理由に期待した。深い宇宙に期待した。人間たちに期待した。
 本船自身に期待した。
 いまだ拍手は鳴りやまない。

#FA『マーダーボット・ダイアリー』
#ペリヘリオン号

二次創作,【小説】

*
expand_less