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No.61

無題

 熊谷空襲というほぼ唯一の経験を、埼玉はまるで不良が軽犯罪を隠すように、自虐的な傷か自慢か何かとして胸に秘めていた。江戸時代を越えればいっそう薄くなる年表が示すのは、埼玉は近代の参加者にはなれなかった事実だった。もちろん出征する兵士を見送った。還って来たあまたの死があった。自分の身の上を走り去っていった多くの人びとがいた。でもそれで終わりだった。
 それを軽微な損失と誇ればいいのか、別のところの(それこそ帝都東京などでの)末端の歯車だったと自分を責めればいいのかわからない。ただわかるのは、自分が主体となった戦争経験は熊谷空襲だったこと。埼玉は戦場ではなかった。南洋へ大陸へ送り出す港も海も持たなかった。でも、空襲は戦争のひとかけらで、戦争は近代の申し子だったから、戦争と埼玉とが交差したあの瞬間だけは、埼玉も近代の参加者となった。

土地擬人化,【小説】

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