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小説「いっとう耀うもの」#ずいりゅう #こくりゅう

己の現身たる潜水艦の中で手持ち無沙汰に読んだ本の中の世界は、だんだんと毒が回るように核の汚染で破滅していって、最後は南半球のオーストラリアの車の中で薬を飲んで安楽死するところで話は終わった。あーこの自堕落で緩慢になっていく感じ、どっかでぼくも体験したことがあるぞと興奮したけれど、どこで体験したのかは遂に思い出せなかった。どこだっけ。そんなに遠くじゃないと思うんだけど。最近の話だった気もするし。ぼくはうんうん唸ってあれこれ思案したけれど、自堕落で緩慢になって死に至る感覚なんて、努めて思い出しても楽しくはないと気づいて思い出すのはやめた。
夜遅くのヴェルニー公園を歩くと、対岸に見えるのはおなじみの海上自衛隊の横須賀の潜水艦基地だ。打ちつける波の音は小さく、ぼくが踏みつけるデッキが軋む音だけが大きく響いた。B1バースには、ぼくとずいくんとおやしお型の一隻が留まっている。普段はあちらからこちらを見るのに慣れているので、なんだか不思議な景色だった。こっちは日本で娑婆で、あちらはアメリカ合衆国の基地アンド海上自衛隊の潜水艦の基地がある。近くて遠い。時折潜水艦乗員の家族たちが、このデッキから潜水艦たちを見つめているのをぼくは知っていた。うーん、やっぱり遠い。
汐入桟橋には、横須賀軍港めぐりのアイドル・シーフレンド7ちゃんが留まっている。とっくに彼女のおうちは閉店がらがら本日は終了しましたのようだった。彼女の喫水は心なしか浅い。白抜きで数字の描かれた赤地のおなかがチラと見えている。あの子が夜に横須賀の街を歩いているのを見たことがないということに、ぼくは今更ながら気づいたのだった。箱入り娘なので夜の外出は禁じられているのか、それとも就寝時間が早いのか。夜更ける星空の下、あの子はもうすでにベッドのなかで夢を見ているのだろうか。小さな遊覧船が行けるはずのない、果てしない海の夢を。
ぼんやり思いに耽っていたけど帰らないと本当に怒られてしまうぞ、そう思いヴェルニー公園のデッキをぎしぎしと踏み鳴らし急ぎ足で歩いていたら、前から突如現れたのは三人組の黒い忍者、強力な攻撃型潜水艦たちだった。まずい、不覚。
「ちょっとごめんね~。今、大丈夫かな?」
「あっ……はい」
「君は何をしてるの?帰宅途中?」
「はい、そうです。へへ」
「申し訳ないんだけどさ~、学生証とか持ってる?」
「あっ学生じゃないんです……」
「働いてるの?」
「そうです」
「身分証明書って持ってるかな?」
慌ててこそこそと海上自衛官身分証明書(艦霊特別仕様)を出す。この身分証明書は海上自衛隊内で使うものというより、こうして外でトラブル――ここでは予期せぬおっちゃん警官三人の群狼作戦での補導――があったときに提示するためのものだ。書かれている年齢は、基本的にどの艦も十八歳以上になっている。ぼくも十八歳だ。ちょっと無理があるんじゃないかと自分でも思っている。十八歳て。この見た目で。
「自衛隊に勤めてるの!?へー!」
「です」
「ふーん、すごいね~。海上自衛隊なんだ。すぐそこじゃん」
「です~」
「………………十八歳なんだ?」
「ですです~」
「なんのお仕事してるの?」
「せんすいかんをやっている……?」
「潜水艦?潜水艦に乗ってるの?すごーい」
「へへっ」
「知ってる~潜水艦の乗組員ってお給料いいんでしょ?沈むの大変だもんね」
「へへへ」
「まあいいや。夜遅くにあまり歩かないようにね。邪魔はしないけど。とりあえず気をつけて帰ってね」
「この国のことよろしくね~。おじさんたちもがんばるからね。ピース!」
「ピース!」
二本指でピースをしながら警官三人を見送る。束の間の対潜爆弾攻撃は、どうやら終わったようだった。
それをすぐに意識から追いやって急いで基地内の私室に帰ると、そこで待っていたのは若干不機嫌そうな顔をしたずいくんだった。遅いよお心配しちゃったじゃんかあカツアゲにでもあってるのかもって思ってえ~ごめんねえカツアゲにあってないけどなんか似たような絡まれ方はしちゃって遅れちゃったんだよお~ええええ大丈夫だったあ~みたいな、いつも通りともいえる応酬をして、しばらく一緒にNintendo Switchで遊んだ後、いそいそとベッドにもぐりこんだ。電灯を消す。真っ暗だ。静寂。それでも夜の横須賀からはあまり星は見えない。暗闇の部屋の中でぼそぼそと会話をしながら、だんだんと眠りに引き込まれていく瞬間がぼくは好きだ。ずいくんのさわさわしたこそばゆい囁き声が好きだ。今日はすこし寒かったねえ明日は晴れると良いねえ、今度一緒に鎌倉にでも行こうよ、きっと楽しいよ。一瞬のまどろみのなかでぼくは気づく。あ、これだ、自堕落に緩慢していく感じって。なんか好きだなあ。今日はもうおやすみ。

己の現身たる潜水艦の中で手持ち無沙汰に読んだ本の中の世界は、だんだんと毒が回るように核の汚染で破滅していって、最後は南半球のオーストラリアの車の中で薬を飲んで安楽死するところで話は終わった。あーこの自堕落で緩慢になっていく感じ、どっかでぼくも体験したことがあるぞと興奮したけれど、どこで体験したのかは遂に思い出せなかった。どこだっけ。そんなに遠くじゃないと思うんだけど。最近の話だった気もするし。ぼくはうんうん唸ってあれこれ思案したけれど、自堕落で緩慢になって死に至る感覚なんて、努めて思い出しても楽しくはないと気づいて思い出すのはやめた。
夜遅くのヴェルニー公園を歩くと、対岸に見えるのはおなじみの海上自衛隊の横須賀の潜水艦基地だ。打ちつける波の音は小さく、ぼくが踏みつけるデッキが軋む音だけが大きく響いた。B1バースには、ぼくとずいくんとおやしお型の一隻が留まっている。普段はあちらからこちらを見るのに慣れているので、なんだか不思議な景色だった。こっちは日本で娑婆で、あちらはアメリカ合衆国の基地アンド海上自衛隊の潜水艦の基地がある。近くて遠い。時折潜水艦乗員の家族たちが、このデッキから潜水艦たちを見つめているのをぼくは知っていた。うーん、やっぱり遠い。
汐入桟橋には、横須賀軍港めぐりのアイドル・シーフレンド7ちゃんが留まっている。とっくに彼女のおうちは閉店がらがら本日は終了しましたのようだった。彼女の喫水は心なしか浅い。白抜きで数字の描かれた赤地のおなかがチラと見えている。あの子が夜に横須賀の街を歩いているのを見たことがないということに、ぼくは今更ながら気づいたのだった。箱入り娘なので夜の外出は禁じられているのか、それとも就寝時間が早いのか。夜更ける星空の下、あの子はもうすでにベッドのなかで夢を見ているのだろうか。小さな遊覧船が行けるはずのない、果てしない海の夢を。
ぼんやり思いに耽っていたけど帰らないと本当に怒られてしまうぞ、そう思いヴェルニー公園のデッキをぎしぎしと踏み鳴らし急ぎ足で歩いていたら、前から突如現れたのは三人組の黒い忍者、強力な攻撃型潜水艦たちだった。まずい、不覚。
「ちょっとごめんね~。今、大丈夫かな?」
「あっ……はい」
「君は何をしてるの?帰宅途中?」
「はい、そうです。へへ」
「申し訳ないんだけどさ~、学生証とか持ってる?」
「あっ学生じゃないんです……」
「働いてるの?」
「そうです」
「身分証明書って持ってるかな?」
慌ててこそこそと海上自衛官身分証明書(艦霊特別仕様)を出す。この身分証明書は海上自衛隊内で使うものというより、こうして外でトラブル――ここでは予期せぬおっちゃん警官三人の群狼作戦での補導――があったときに提示するためのものだ。書かれている年齢は、基本的にどの艦も十八歳以上になっている。ぼくも十八歳だ。ちょっと無理があるんじゃないかと自分でも思っている。十八歳て。この見た目で。
「自衛隊に勤めてるの!?へー!」
「です」
「ふーん、すごいね~。海上自衛隊なんだ。すぐそこじゃん」
「です~」
「………………十八歳なんだ?」
「ですです~」
「なんのお仕事してるの?」
「せんすいかんをやっている……?」
「潜水艦?潜水艦に乗ってるの?すごーい」
「へへっ」
「知ってる~潜水艦の乗組員ってお給料いいんでしょ?沈むの大変だもんね」
「へへへ」
「まあいいや。夜遅くにあまり歩かないようにね。邪魔はしないけど。とりあえず気をつけて帰ってね」
「この国のことよろしくね~。おじさんたちもがんばるからね。ピース!」
「ピース!」
二本指でピースをしながら警官三人を見送る。束の間の対潜爆弾攻撃は、どうやら終わったようだった。
それをすぐに意識から追いやって急いで基地内の私室に帰ると、そこで待っていたのは若干不機嫌そうな顔をしたずいくんだった。遅いよお心配しちゃったじゃんかあカツアゲにでもあってるのかもって思ってえ~ごめんねえカツアゲにあってないけどなんか似たような絡まれ方はしちゃって遅れちゃったんだよお~ええええ大丈夫だったあ~みたいな、いつも通りともいえる応酬をして、しばらく一緒にNintendo Switchで遊んだ後、いそいそとベッドにもぐりこんだ。電灯を消す。真っ暗だ。静寂。それでも夜の横須賀からはあまり星は見えない。暗闇の部屋の中でぼそぼそと会話をしながら、だんだんと眠りに引き込まれていく瞬間がぼくは好きだ。ずいくんのさわさわしたこそばゆい囁き声が好きだ。今日はすこし寒かったねえ明日は晴れると良いねえ、今度一緒に鎌倉にでも行こうよ、きっと楽しいよ。一瞬のまどろみのなかでぼくは気づく。あ、これだ、自堕落に緩慢していく感じって。なんか好きだなあ。今日はもうおやすみ。
小説「生来からの縁」 #ずいりゅう #こくりゅう

第二に、その人に潜水艦乗員の適性があるかはとても重要だ。根気づよく粘れるが神経質ではない、独立心があると同時に周りとうまく協調できる、普段はうるさく立ち振る舞っていてもいざという時に黙ることができる。孤独になれるのは必要だが孤立しないこと。あと、体格が大柄でないと良いのは旧軍時代からの事実である。個人の努力では体格なんてどうしようもならないと言われようと仕方ないのだ。体格も性格も適性も生来のものだ、という事実を理解できる頭脳があること。その生来の抗えない事実をカバーできる精神力と努力があること。
海底の中で孤立した集団社会では、必要とされるものは自ずと増えてくる。あなたが二十四時間いるのは快適な家ではなく、艦という職場なのだ。おまけに周りは海水で包まれている。そこから無理やりにでも逃げたくなったら、どうぞ深海救難艇でもご検討ください。
横須賀の潜水艦の基地はアメリカ海軍の基地と同居しているから、一般人が入るには結構なチェックを受けることになる。身分証明書はあるか。不審物を所持していないか。どんな目的で来たのか。誰が招待したのか。前もっての申請はあるか。
そんなわけでただでさえ情報機密のせいで難しい潜水艦の艦内見学は、前もって募集したあと、手紙やはがきでの案内から始まることが多い。決行の日時を提示して、同時に持ち物や注意などを書き添えて送るのだ。
なんだか招待状みたいでわくわくするよね、とそうりゅう型潜水艦六番艦のこくりゅうに言ったのは、五番艦ずいりゅうである。
「潜水艦見学ってわくわくするんだよね~。いつも同じ顔しか艦内では見ないじゃんか。小さい子が潜水艦に興奮しているのを見ると、ぼくもドヤドヤってなる」
「わかる!思わず椅子の下の野菜とか見せちゃったりね」
「つたない梯子の昇降にウフフってなるんだよ」
ずいりゅうは乗員が置いていったはがきの束を矯めつ眇めつしていたが、とうとうはがきを手に取って「どうせなら念を入れておこ」と言いながらその紙にキスをしはじめた。ちょっとおマジすぎて怖いんですけどぉとこくりゅうが止めてもキスをやめないずいりゅうは、こくちゃんも手伝ってよと言い出す。隣にいたこくりゅうはひぃと悲鳴を上げて思わず大声で尋ね返した。
「えっはがきにちゅーするんですか!?」
「念でもいいよ、念でも。テレパステレパス」
「何の念?」
そう尋ねたこくりゅうに、ずいりゅうはためらいもなくあっさりと言った。そりゃあ、当たり前でしょうに……。
「潜水艦に興味がある子が縁あって潜水艦乗員になれますように、って念を……」
「あーんすてき~!イケメンな発言~!艦と書いて漢と読む!」
きゃあきゃあ騒ぐこくりゅうにも照れず、ずいりゅうが手に持つはがきを裏返して見つめているのは、書いてある宛先の名前だった。
「ほら、この子とか女の子だよ。女の子も潜水艦乗員になれる時代だしねぇ」
「わりとしみじみ言うね!マジな念なんだね!茶化してごめんね……。……ああでも、女の子の潜水艦乗員かぁ」
「昔、潜水艦乗員になりたかったけどなれなかったから護衛艦に行ったっていう女の人に会ったことがあるよ」
「そっかぁ……」
性別という「適性」によって潜水艦に乗ることができないということを、こくりゅうはうーんと考える。
いまだに女性のことも、人間のことすらもよくわからないままだった。これからも乗れない女性の気持ちも、乗せられないと決めた人間の気持ちもわかるはずあるまい。艦、なのだ。己は。
潜水艦乗員って選り好み激しすぎるんですよ、とこくりゅうが言った。選り好みしないとやっていけない集団だしね、とずいりゅうも言う。繊細に調整したうえでの精強な艦隊なのだ。
己を構成する艦という物体、それを運用する人間たちが能力やコストパフォーマンスで選りすぐられること。そうして効率を良くして成果を出そうとすること。そして「いざという時」に備えること。艦として。潜水艦として。自衛艦として。
それはきっと喜ぶべきことなのだろう。頼もしいと思うべきなのだろう。ぼくら、モノとしての効率化を。
でも、とずいりゅうは続けた。
「潜水艦乗員になりたい人が潜水艦乗員になってくれるとうれしい。……ぼくは潜水艦として間違っているだろうか。感情的すぎるだろうか」
「いいと思うよ。……効率だけで人間は動けないから。たぶん。ぼくは知りえないんだけど」
第一に、潜水艦が好きであること。興味を持っているこということ。ぼくはそれが潜水艦の乗員には重要な資格だと思うのだ。

第二に、その人に潜水艦乗員の適性があるかはとても重要だ。根気づよく粘れるが神経質ではない、独立心があると同時に周りとうまく協調できる、普段はうるさく立ち振る舞っていてもいざという時に黙ることができる。孤独になれるのは必要だが孤立しないこと。あと、体格が大柄でないと良いのは旧軍時代からの事実である。個人の努力では体格なんてどうしようもならないと言われようと仕方ないのだ。体格も性格も適性も生来のものだ、という事実を理解できる頭脳があること。その生来の抗えない事実をカバーできる精神力と努力があること。
海底の中で孤立した集団社会では、必要とされるものは自ずと増えてくる。あなたが二十四時間いるのは快適な家ではなく、艦という職場なのだ。おまけに周りは海水で包まれている。そこから無理やりにでも逃げたくなったら、どうぞ深海救難艇でもご検討ください。
横須賀の潜水艦の基地はアメリカ海軍の基地と同居しているから、一般人が入るには結構なチェックを受けることになる。身分証明書はあるか。不審物を所持していないか。どんな目的で来たのか。誰が招待したのか。前もっての申請はあるか。
そんなわけでただでさえ情報機密のせいで難しい潜水艦の艦内見学は、前もって募集したあと、手紙やはがきでの案内から始まることが多い。決行の日時を提示して、同時に持ち物や注意などを書き添えて送るのだ。
なんだか招待状みたいでわくわくするよね、とそうりゅう型潜水艦六番艦のこくりゅうに言ったのは、五番艦ずいりゅうである。
「潜水艦見学ってわくわくするんだよね~。いつも同じ顔しか艦内では見ないじゃんか。小さい子が潜水艦に興奮しているのを見ると、ぼくもドヤドヤってなる」
「わかる!思わず椅子の下の野菜とか見せちゃったりね」
「つたない梯子の昇降にウフフってなるんだよ」
ずいりゅうは乗員が置いていったはがきの束を矯めつ眇めつしていたが、とうとうはがきを手に取って「どうせなら念を入れておこ」と言いながらその紙にキスをしはじめた。ちょっとおマジすぎて怖いんですけどぉとこくりゅうが止めてもキスをやめないずいりゅうは、こくちゃんも手伝ってよと言い出す。隣にいたこくりゅうはひぃと悲鳴を上げて思わず大声で尋ね返した。
「えっはがきにちゅーするんですか!?」
「念でもいいよ、念でも。テレパステレパス」
「何の念?」
そう尋ねたこくりゅうに、ずいりゅうはためらいもなくあっさりと言った。そりゃあ、当たり前でしょうに……。
「潜水艦に興味がある子が縁あって潜水艦乗員になれますように、って念を……」
「あーんすてき~!イケメンな発言~!艦と書いて漢と読む!」
きゃあきゃあ騒ぐこくりゅうにも照れず、ずいりゅうが手に持つはがきを裏返して見つめているのは、書いてある宛先の名前だった。
「ほら、この子とか女の子だよ。女の子も潜水艦乗員になれる時代だしねぇ」
「わりとしみじみ言うね!マジな念なんだね!茶化してごめんね……。……ああでも、女の子の潜水艦乗員かぁ」
「昔、潜水艦乗員になりたかったけどなれなかったから護衛艦に行ったっていう女の人に会ったことがあるよ」
「そっかぁ……」
性別という「適性」によって潜水艦に乗ることができないということを、こくりゅうはうーんと考える。
いまだに女性のことも、人間のことすらもよくわからないままだった。これからも乗れない女性の気持ちも、乗せられないと決めた人間の気持ちもわかるはずあるまい。艦、なのだ。己は。
潜水艦乗員って選り好み激しすぎるんですよ、とこくりゅうが言った。選り好みしないとやっていけない集団だしね、とずいりゅうも言う。繊細に調整したうえでの精強な艦隊なのだ。
己を構成する艦という物体、それを運用する人間たちが能力やコストパフォーマンスで選りすぐられること。そうして効率を良くして成果を出そうとすること。そして「いざという時」に備えること。艦として。潜水艦として。自衛艦として。
それはきっと喜ぶべきことなのだろう。頼もしいと思うべきなのだろう。ぼくら、モノとしての効率化を。
でも、とずいりゅうは続けた。
「潜水艦乗員になりたい人が潜水艦乗員になってくれるとうれしい。……ぼくは潜水艦として間違っているだろうか。感情的すぎるだろうか」
「いいと思うよ。……効率だけで人間は動けないから。たぶん。ぼくは知りえないんだけど」
第一に、潜水艦が好きであること。興味を持っているこということ。ぼくはそれが潜水艦の乗員には重要な資格だと思うのだ。
小説「仮装巡洋艦」 #愛国丸

「オペラを愛しオペラの音色に酔いしれながら出撃奔放し殺戮する悪趣味な特設巡洋艦、未だ貨客船の身を忘れられぬが船を狩る行動は戦闘艦そのもの」と自身を評され、愛国丸は心外だと憤慨した。オペラも戦争も、両方とも確かに芸術ではないか。技巧が全てを言うのだ。

「オペラを愛しオペラの音色に酔いしれながら出撃奔放し殺戮する悪趣味な特設巡洋艦、未だ貨客船の身を忘れられぬが船を狩る行動は戦闘艦そのもの」と自身を評され、愛国丸は心外だと憤慨した。オペラも戦争も、両方とも確かに芸術ではないか。技巧が全てを言うのだ。
小説「軍艦」 #高雄

「戦争そのものが、わたしたちの道具としての存在意義です。政治は人間が考えることであって、わたしたちが考えることは自分の放った弾が魚雷が爆雷が、ちゃんとあたるかどうかだけ。言ってしまえば、戦局ですらそうです。マレー作戦の勝利もミッドウェー作戦の敗北もわたしたちには関係ない。勝利も敗北もわたしたちの存在意義は変えられない。魚雷が刺さる、沈んだらそれで終わり、沈まなかったら次の戦場まで己を温存するまでです。次の海戦で敵の艦――人間の定義する敵です、わたしにとってはわたし以外のふね――に、砲弾を浴びせるだけのこと。艦艇であること。いくさぶねであるということはそういうことであって、愛だとか恋だとか、悲しいだの悔しいだのなんだの、そんな人間の真似事みたいなものは変わり者のやることでした。少なくともわたしはそう思っています。」

「戦争そのものが、わたしたちの道具としての存在意義です。政治は人間が考えることであって、わたしたちが考えることは自分の放った弾が魚雷が爆雷が、ちゃんとあたるかどうかだけ。言ってしまえば、戦局ですらそうです。マレー作戦の勝利もミッドウェー作戦の敗北もわたしたちには関係ない。勝利も敗北もわたしたちの存在意義は変えられない。魚雷が刺さる、沈んだらそれで終わり、沈まなかったら次の戦場まで己を温存するまでです。次の海戦で敵の艦――人間の定義する敵です、わたしにとってはわたし以外のふね――に、砲弾を浴びせるだけのこと。艦艇であること。いくさぶねであるということはそういうことであって、愛だとか恋だとか、悲しいだの悔しいだのなんだの、そんな人間の真似事みたいなものは変わり者のやることでした。少なくともわたしはそう思っています。」
小説「深海の世界」 #そうりゅう #うんりゅう

「海の底の潜水艦の中でずっとごはんを食べていると、海の底から帰れなくなる気がしてきませんか?」と、弟のうんりゅうが水平線を見つめながら言った。そうかな、気にしたこともなかった、とぼくは返す。「海の底の潜水艦、なんて詩的なことを言ったって、しょせんは食堂の中でしょ?明るい電灯とカラーテレビと、おまけに小さな電子レンジつき」
「でも、まぎれもない別世界ですよ、海の底は。地上とはすこし違う」
そう彼は言った。海を見つめる彼の表情は、まるで何かが眩しそうに少し歪んでいた。一瞬黙った後、こちらを見て、小さく囁く。
「きっとぼくらは、黄泉戸喫をしては無理矢理この世界に帰ってきてるんだ」

「海の底の潜水艦の中でずっとごはんを食べていると、海の底から帰れなくなる気がしてきませんか?」と、弟のうんりゅうが水平線を見つめながら言った。そうかな、気にしたこともなかった、とぼくは返す。「海の底の潜水艦、なんて詩的なことを言ったって、しょせんは食堂の中でしょ?明るい電灯とカラーテレビと、おまけに小さな電子レンジつき」
「でも、まぎれもない別世界ですよ、海の底は。地上とはすこし違う」
そう彼は言った。海を見つめる彼の表情は、まるで何かが眩しそうに少し歪んでいた。一瞬黙った後、こちらを見て、小さく囁く。
「きっとぼくらは、黄泉戸喫をしては無理矢理この世界に帰ってきてるんだ」
小説「セカンドハンドの名前」 #おやしお(初代) #なるしお #くろしお(2代目)

あの人はいつも一瞬の沈黙をおいてから、そうっとぼくの名前を呼ぶ。「お菓子があるよ、なるしお。……くろしおも」そうチョコレート菓子を差し出すおやしおを、「おじいちゃん~」と茶化すのは、ぼくと同じうずしお型潜水艦であり、一つ上の兄のなるしおだった。
「じゃあいらないか、なるしお」
「いらないとは言ってないよ、チョコレートちょうだいよ。……くろしおももらうよね?」
うん、もらうよ、そう言っておやしおからチョコレートをかすめとるように貰い、すかさず二人で頬張ると、おやしおは嬉しそうに、そしてすこし寂しそうに笑った。その笑みの昏さに気付いていないなるしおが、彼に尋ねる。
「六月の接触事故は大丈夫だった?」
「え?ああ、うん。大丈夫だよ。よくあることだし。……よくあることだった、かな?」
君たちの代では減るだろうね、最新鋭の涙滴型さん。それは皮肉な言い方ではなかった。純粋な、歳をとった者が次の世代に込めた期待の念だった。なるしおは得意げに胸をそらす(口にすこしチョコレートがついていたのをぼくは認めた)。変わらずそれを寂しそうに笑うおやしおは、前よりすこし老いた気がした。除籍が、もうそれほど遠くないからかもしれない。戦後初の国産潜水艦の、来たる最期の日。……戦後初の日本潜水艦の最期は、どんなだったんだろう?
「今日はもうお帰り、なるしお。……くろしお」

あの人はいつも一瞬の沈黙をおいてから、そうっとぼくの名前を呼ぶ。「お菓子があるよ、なるしお。……くろしおも」そうチョコレート菓子を差し出すおやしおを、「おじいちゃん~」と茶化すのは、ぼくと同じうずしお型潜水艦であり、一つ上の兄のなるしおだった。
「じゃあいらないか、なるしお」
「いらないとは言ってないよ、チョコレートちょうだいよ。……くろしおももらうよね?」
うん、もらうよ、そう言っておやしおからチョコレートをかすめとるように貰い、すかさず二人で頬張ると、おやしおは嬉しそうに、そしてすこし寂しそうに笑った。その笑みの昏さに気付いていないなるしおが、彼に尋ねる。
「六月の接触事故は大丈夫だった?」
「え?ああ、うん。大丈夫だよ。よくあることだし。……よくあることだった、かな?」
君たちの代では減るだろうね、最新鋭の涙滴型さん。それは皮肉な言い方ではなかった。純粋な、歳をとった者が次の世代に込めた期待の念だった。なるしおは得意げに胸をそらす(口にすこしチョコレートがついていたのをぼくは認めた)。変わらずそれを寂しそうに笑うおやしおは、前よりすこし老いた気がした。除籍が、もうそれほど遠くないからかもしれない。戦後初の国産潜水艦の、来たる最期の日。……戦後初の日本潜水艦の最期は、どんなだったんだろう?
「今日はもうお帰り、なるしお。……くろしお」
小説「海」

ぼくがまだ海という言葉を覚えていなかったころ、遠くにあるあのうつくしいものを指差して「あれはなに?」と兄に尋ねたことがある。「あのきらきらきらした、とびはねているきれいなものはなんていうの」
兄は「ふねのこと?」と答えた。
「ふね?」
「うん。ぼくたちと違って海に浮かんでるやつでしょ?」
兄はそう笑った。「海」と呟き、それをじっと見つめたぼくのことなんてつゆ知らず、兄は愉快そうに笑ながら小さく歌いはじめた。
「うーみーは、ひろいーな、おおきーいーなー……って、もしかして『とびはねてるきれいなもの』って海のこと?」兄はおどろいてぼくに尋ねた。ぼくは”海”という言葉に魅入られ、呆然とただそれを眺めていた。「海……」
「……うん。綺麗でしょ。海って言うんだよ。でも、その綺麗な水面はぼくたちの生きる場所じゃないから」
#そうりゅう #こくりゅう

ぼくがまだ海という言葉を覚えていなかったころ、遠くにあるあのうつくしいものを指差して「あれはなに?」と兄に尋ねたことがある。「あのきらきらきらした、とびはねているきれいなものはなんていうの」
兄は「ふねのこと?」と答えた。
「ふね?」
「うん。ぼくたちと違って海に浮かんでるやつでしょ?」
兄はそう笑った。「海」と呟き、それをじっと見つめたぼくのことなんてつゆ知らず、兄は愉快そうに笑ながら小さく歌いはじめた。
「うーみーは、ひろいーな、おおきーいーなー……って、もしかして『とびはねてるきれいなもの』って海のこと?」兄はおどろいてぼくに尋ねた。ぼくは”海”という言葉に魅入られ、呆然とただそれを眺めていた。「海……」
「……うん。綺麗でしょ。海って言うんだよ。でも、その綺麗な水面はぼくたちの生きる場所じゃないから」
#そうりゅう #こくりゅう
小説「水面にいちばんちかいフネ」

「大きいふねになりたいな」
と、友達のえい船がぽつりと洩らした。「水平線しか見えない大海原を、一人で泳いでみたくない?」
わかるよ、ともう一人のえい船が会話を繋いだ。「果てしない海を渡って、外国の綺麗な港で旗を上げてみたくない?」
「ぼくは海賊をやっつけたい!」と、さらにもう一人の別のえい船が朗々と叫んだ。それに対し、やっつけてるんじゃないんでしょ?よくわかんないけど、とまた別のえい船がつっこみ、言葉を続けた。
「ぼくは海の中でお魚とおしゃべりしながら、みんなで一緒に泳ぎたいな」この前、なんちゃらりゅうくんが、海の中は賑やかでキラキラしていて、とても素敵なところだよって言ってたんだ。
ここまで語ること四人。黙っていたぼくを、彼らはそっと見つめる。「君はなんの艦になりたい?」
「……ぼくは、……ぼくは、えい船のままがいい」
そうぽつりと言うと、みんなはええーっと驚いたように叫んだ。なんでなんで、とみんなは大合唱する。君は縁の下の力持ちのままでいいの、かっこいい写真を撮られてみたくないの、自分の名前を覚えられたくないの。
だってだって、とぼくは反論した。えい船の上で当たる風が、いちばん気持ちがいいんだもん。ぼくのその言葉に、みんなはきょとんとしている。ぼくは続けた。
「護衛艦や補助艦艇はおおきなお城みたいだ、水面のちかくで体いっぱいに風にあたれない。潜水艦はいつも海の中でひとりぼっちだし。……ぼくは知ってるよ、えい船の上で味わえる風の、いちばんの気持ちよさを」
そんなぼくの言葉に、みんなはびっくりしてただ押し黙る。そして互いに目を合わせ、さらに数秒黙った後、うんうん、そっかそっか、と頷きあい、そうだねたしかにね、と言いあった。
「じゃあぼくもえい船のままでいよう」
「ぼくもそうする」
「小さいふねも、結構楽しいもんね」
君はいい子だなあと、友達のえい船が言った。みんなはないものねだりなんだよ、とぼくは小さく呟いた。

「大きいふねになりたいな」
と、友達のえい船がぽつりと洩らした。「水平線しか見えない大海原を、一人で泳いでみたくない?」
わかるよ、ともう一人のえい船が会話を繋いだ。「果てしない海を渡って、外国の綺麗な港で旗を上げてみたくない?」
「ぼくは海賊をやっつけたい!」と、さらにもう一人の別のえい船が朗々と叫んだ。それに対し、やっつけてるんじゃないんでしょ?よくわかんないけど、とまた別のえい船がつっこみ、言葉を続けた。
「ぼくは海の中でお魚とおしゃべりしながら、みんなで一緒に泳ぎたいな」この前、なんちゃらりゅうくんが、海の中は賑やかでキラキラしていて、とても素敵なところだよって言ってたんだ。
ここまで語ること四人。黙っていたぼくを、彼らはそっと見つめる。「君はなんの艦になりたい?」
「……ぼくは、……ぼくは、えい船のままがいい」
そうぽつりと言うと、みんなはええーっと驚いたように叫んだ。なんでなんで、とみんなは大合唱する。君は縁の下の力持ちのままでいいの、かっこいい写真を撮られてみたくないの、自分の名前を覚えられたくないの。
だってだって、とぼくは反論した。えい船の上で当たる風が、いちばん気持ちがいいんだもん。ぼくのその言葉に、みんなはきょとんとしている。ぼくは続けた。
「護衛艦や補助艦艇はおおきなお城みたいだ、水面のちかくで体いっぱいに風にあたれない。潜水艦はいつも海の中でひとりぼっちだし。……ぼくは知ってるよ、えい船の上で味わえる風の、いちばんの気持ちよさを」
そんなぼくの言葉に、みんなはびっくりしてただ押し黙る。そして互いに目を合わせ、さらに数秒黙った後、うんうん、そっかそっか、と頷きあい、そうだねたしかにね、と言いあった。
「じゃあぼくもえい船のままでいよう」
「ぼくもそうする」
「小さいふねも、結構楽しいもんね」
君はいい子だなあと、友達のえい船が言った。みんなはないものねだりなんだよ、とぼくは小さく呟いた。
小説「愛国丸の愛国論」 #愛国丸

彼らがまっとうに老いていく快感を知らないのは酷く残念なことだ、と私は思った。
この時、私は三十六歳の少佐だった。私は人生を老いるということに慣れ、楽しむ余裕が出てきた頃だった。戦場で死ぬのが惜しいかもしれない、そう錯覚することもしばしばあった。早くに伴侶を亡くしたことに今更に寂しさを感じ、子息がいないということはすなわち私の証を残すものがいないことであることに気づいたのは、ここ数年のことだったか。帝国海軍に身を捧げ戦で名前を残すことに情熱を掛けたのも、はるか昔のことに思えた。
特設巡洋艦「愛国丸」に乗艦していたのは丁度そのような心境の頃であった。既に情熱とも愛国とも程遠い頃だったから、周りの乗組員たちの太平洋戦争開戦の熱狂についていけずにいた。もっとも戦艦での砲撃戦が至上と言われる連合艦隊は、日米戦争自体には熱狂こそしていたものの、船だか特設艦だか巡洋艦だかわからないような艦艇で、通商破壊を行うこと自体はそこまで熱狂はしていなかった。通商破壊はみみっちい任務だと思われている節があったのだ。数隻の小さな貨物船を捕まえて何になる、そういう心境だったのだろう。船だか特設艦だか巡洋艦だかわからないような艦艇で通商破壊をするのってみみっちい任務ですよねえ、小さな貨物船を捕まえて何になるんでしょうかね、そう私に語り掛けてきたのが、特設巡洋艦愛国丸、その艦自身だった。
愛国丸は報国・愛国・護国の気概があまりなかった私を気に入ったのか、しばしば艦内で私に話しかけてきた。「皆さん根性と情熱あって『愛国丸』って感じですよね、あ、ここでの『愛国丸』っていうのは『愛国男児』っていう意味の勝手に俺が付けた綽名です」とか、「護国丸が護国したくないみたいで本当に困ってます、まだ自分のこと貨客船だって信じてます」とか。大体は国に身を報じることについての話だったように思う。飄々とした軽薄な男児で、人間に生まれれば愛国とは程遠かっただろうに、その身に戴いた名前ゆえに彼は「愛国丸」だった。ここでの「愛国丸」は「愛国男児」という、彼が勝手につけた綽名での意味だ。
国を愛するということ、彼はそのことに悩んでいた。愛国って通商破壊で示せるんですかね、とも言っていた。私に愛国の意味を問うていたように思う。私が諭せるのは、それは時間が経てば解決するであろう難題だということ、それだけだったが、彼らは私と同じように歳は経ることはないのだった。三十六歳まで生きることもないだろう。この戦争で数歳の歳を経て、国を愛することに苦悩したまま沈んでいくのだ。彼らがまっとうに老いていく快感を知らないまま、愛国しか語れずに死ぬのは酷く残念なことだ。人間である私は思った。

彼らがまっとうに老いていく快感を知らないのは酷く残念なことだ、と私は思った。
この時、私は三十六歳の少佐だった。私は人生を老いるということに慣れ、楽しむ余裕が出てきた頃だった。戦場で死ぬのが惜しいかもしれない、そう錯覚することもしばしばあった。早くに伴侶を亡くしたことに今更に寂しさを感じ、子息がいないということはすなわち私の証を残すものがいないことであることに気づいたのは、ここ数年のことだったか。帝国海軍に身を捧げ戦で名前を残すことに情熱を掛けたのも、はるか昔のことに思えた。
特設巡洋艦「愛国丸」に乗艦していたのは丁度そのような心境の頃であった。既に情熱とも愛国とも程遠い頃だったから、周りの乗組員たちの太平洋戦争開戦の熱狂についていけずにいた。もっとも戦艦での砲撃戦が至上と言われる連合艦隊は、日米戦争自体には熱狂こそしていたものの、船だか特設艦だか巡洋艦だかわからないような艦艇で、通商破壊を行うこと自体はそこまで熱狂はしていなかった。通商破壊はみみっちい任務だと思われている節があったのだ。数隻の小さな貨物船を捕まえて何になる、そういう心境だったのだろう。船だか特設艦だか巡洋艦だかわからないような艦艇で通商破壊をするのってみみっちい任務ですよねえ、小さな貨物船を捕まえて何になるんでしょうかね、そう私に語り掛けてきたのが、特設巡洋艦愛国丸、その艦自身だった。
愛国丸は報国・愛国・護国の気概があまりなかった私を気に入ったのか、しばしば艦内で私に話しかけてきた。「皆さん根性と情熱あって『愛国丸』って感じですよね、あ、ここでの『愛国丸』っていうのは『愛国男児』っていう意味の勝手に俺が付けた綽名です」とか、「護国丸が護国したくないみたいで本当に困ってます、まだ自分のこと貨客船だって信じてます」とか。大体は国に身を報じることについての話だったように思う。飄々とした軽薄な男児で、人間に生まれれば愛国とは程遠かっただろうに、その身に戴いた名前ゆえに彼は「愛国丸」だった。ここでの「愛国丸」は「愛国男児」という、彼が勝手につけた綽名での意味だ。
国を愛するということ、彼はそのことに悩んでいた。愛国って通商破壊で示せるんですかね、とも言っていた。私に愛国の意味を問うていたように思う。私が諭せるのは、それは時間が経てば解決するであろう難題だということ、それだけだったが、彼らは私と同じように歳は経ることはないのだった。三十六歳まで生きることもないだろう。この戦争で数歳の歳を経て、国を愛することに苦悩したまま沈んでいくのだ。彼らがまっとうに老いていく快感を知らないまま、愛国しか語れずに死ぬのは酷く残念なことだ。人間である私は思った。
くろしおが語って聞かせたところによれば、太陽と星の違いは――まあ明らかに明らかっちゃ明らかなんだけど、太陽と違って、明るいときには見えないが、暗い夜空の上ではきらきらと一等輝くのがお星さまだという。えっだからなんなの話が見えないよおじいちゃん、とおやしおは彼に聞いたが、だれがおじいちゃんだこのバカと言った後の彼の答えとしては、星は暗い時に最も美しく輝く、という、かの国の星条旗を暗示して言った、ある種の自虐じみた祖国への回顧であり、また自分自身のかつてのあの国での精神的な未熟さの振り返りでもあり、艦歴22歳のおじいちゃんの説教じみたお話だった。あるいは、くろしおは人魚姫に若干飽き飽きしていて、なんとなーく別の寓話の話でもしたかったのかも知れない。星は暗い時に最も美しく輝く。星は暗い時代に最も美しく、輝やかしく見える。くろしおはその「暗い時代」を――戦争の短い40年代、太平洋戦争の束の間の艦生を指して言っていたのだが、おやしおはそんな小難しいことなんか全然聞いちゃいなかったしすぐに忘れた。