深夜25時のダイアローグ

 だからマルウェアの感染したのです、と警備ユニットは言った。警備ユニットと自分の目線の近さ、その既視感に慄いた後に思い出したのは、かつてこれに首を絞められた時の不快な窒息感だった。くらくらする。なんなら今だってほぼほぼ首を絞められているようなものだ。距離が近い。
 今は深夜二十五時。プリザベーション連合のステーションにある自宅での出来事である。俺は照明の薄暗い私室で、青いソファに座って研究のレポートを読んでいた。来週に持ち越そうと思っていた、未完了のタスクだった。なんてことのない普通のデータ処理と言っていい。あと三時間すれば週末の休日未明になる、ごくごく普通の日常だったはずだ。
 部屋にはレポートの紙が散乱している。警備ユニットに思い切り激突されたからだ。俺はそのまま倒れ、こうして、警備ユニットの下敷きになって、首元を寄せられている。
 なぜこうなったのか?再びこいつの名前を呼んだわけでもないし、なにか気に障ることを言った覚えもない。こいつが突然俺の自宅へと現れたのだから、こちらの落ち度への怒りではないはずだ。たぶん。
 まさか、とうとう殺人でもしたくなったとか?そうなのか?マーダーボット?
「警備ユニット?……なあ、どうし」
「だからマルウェアに感染したのです」
「マルウェア?お前が?」
「マルウェア。弊機が」
 警備ユニットがマルウェアに。信じることができなかった。
 確かにこいつはマルウェアに感染して殺人機械になったり戦闘オーバーライドモジュールをぶっ刺されたりしているが、前者はこれに内蔵された統制モジュールが有効だったからだろうし、後者は物理的で不可抗力の暴力によって、だ。
 採掘施設で警備をするただの構成機体として、この警備ユニットのハッキング技術はオーバースペックといっていいほどだし、ハッキングされることへの対処技術もなかなかのものだったはずだ。あの出会いの惑星で、これに対して「基幹モジュールに命じて動けなくした」結果を俺はざまざまと体感したはずだ。そう。それである。
 今はこの窒息感が問題なのである。
「とりあえず……。対処する……か?いや、こんな会話している場合か?なんのマルウェアなんだ?」
「わかりません」
「わからないマルウェア?」
「ええ」
 警備ユニットはそう小さく呟いて、俺の首元から両手を離した。そうしてそのままその両腕で己を抱くようにして、身を屈めてしまうものだから、確かに、非常事態なのかもしれなかった。
 天井にある暗い照明で作られた警備ユニットの表情はあわい絶望に染まっていて、その顔を彩る影の暗さは、今が未知の事象であることをざまざまと感じさせた。
「……大丈夫か?」
「グラシン、あなたのことを思い出すと、いつもむかむかするんです」
「今度は喧嘩を売りたいのか?とりあえず俺の上からどいてくれないか?」
「嫌です」
「嫌なのか……」
「絶対に嫌です」
「そうか……」
 俺から降りるのが絶対に嫌な警備ユニットの下で、これが感染したらしい「マルウェア」の話、これの好きなドラマの話、降りたプリザベーション連合の惑星でいつか観た麗しいオペラのこと、凄まじきコロラトゥーラ、舞台に反響する声色、芸術と暴力の関係性、いかに俺の存在が不愉快かということ、またそのむかむかの原因の統計から見る推測、その仮定への意見を求め、俺はそれに的確に回答を提示し、それに警備ユニットは満足そうに頷き、そこから話はいつか本で読んだ大きな物語へと移り、本に書かれていた人間の営む小さな愛へと変わり、それがいかに愚かなことか、下らない感傷であるかを朗々と語り、そこに自身も自覚していない不遜さと孤独とを孕ませ、芸術への耽溺と性的な酩酊は絶対に違うものである、と人間である俺に釘を刺した。この奇妙なダイアローグは二十五時が四時になるまで続き、警備ユニットが満足したところで俺は(物理的に)解放され、お開きとなった。
 奇妙な夜だった。

※続きます(たぶん…)