ぼくの小さな神さま3:「ぼくの小さな神さま」

  彼はもう自由(・・)だった。

 肩越しに見上げる空は広い。塗りたくったような群青一色の見果てぬ景色に、大きな入道雲が広がっている。海の行く先々で色が景色が変わるように、国によっても空というものは違うようだった。日本の夏の空は鮮やかだ。特にその終わりが近づいた季節は、火が消える一瞬前のように眩く濃い夏の気配が漂う。濃い夏のにおいだ。蝉の鳴き声はかしましく遠い波の音をかき消した。その鳴き声のやかましさに、この国に来たはじめての夏には悩まされたものだった。その声に情緒を感じ、またその夏の景色に得も知れない感傷を抱くようになったのは、いつになってからだっただろう。
 一九七〇年八月の半ば、呉。その呉の港の近くの宿屋は潮の香りが染みついて取れない。彼は陰の濃い畳の上で寝そべり、開いた窓からただ空を見上げていた。
 自由な彼は青空を掴もうと手をゆるりとのばすが、その手の先を逆につかんだのは彼を見下げていた青年――あるいは青年の姿をした海の鉄鯨、潜水艦の依り代、艦霊とも呼ばれていた――おやしおだった。天をつかもうとした張本人くろしおは、そうじゃないよ、と一人つぶやくが、おやしおは不思議そうな顔をしたまま黙ってくろしおの手をもてあそぶだけだった。そうじゃないよ、青空をつかもうとしたんだ、とそう説明したところでおやしおには理解してもらえないだろうし、こちらだってそうしたことに意味なんて見いだしていなかった。
 結局、すべての責任を終え自由となったくろしおが未だ掴めるものは、おやしおただ一人だけだったのだ。
「くろ」
「……」
「くろ?」
「……なに」
「呼んだだけ。……可愛いひと」
 そう言っておやしおは、まなじりを淡く崩して笑った。
 可愛いひと、ねえ。そう口の中でくろしおは反芻した。一七歳とすこし年下の潜水艦に、そう言われるとは、太平洋戦争の傑作潜水艦の名が廃るというものだ。
 彼はおやしおを見上げる。今は懐かしいくろしお初代副長は、「男が見てもほれぼれするいい男」とその眉目秀麗をよく讃えられ褒められたものだったが、おそらくおやしおもはたからみればそうなのだろう。くろしおより十数センチは高い、すらりとした長身に穏やかな物腰、意志を感じさせる瞳と眉。まさに凛々しい日本男児。
 まあいまだ絵本の読み聞かせをせがまれる身としてはまったくそうは見えないんだけど、とくろしおは内心呆れ半分に思った。あるいはこの趣味の悪いヘアピンがおやしおの端麗な姿を崩していたのも事実だ。何度かおやしおにあのヘアピンをやめさせようとしたのだが、おやしおは断固として外そうとしなかった。きみの瞳と一緒の色でしょ、ぼくの想いだよ、そう言って。緑青色のヘアピン集めとくろしおが何より好きな男だった。
 おやしおは、その規律のよさを讃えられていた。華麗なシルエット、俊足、誇り高き艦。その誇り高さとやらを、このいい背格好をした男が読んでもらおうとボロボロの絵本を引っ提げ人の膝に顔を寄せる様子を見てもまだ言えるだろうか。……ちびっ子たちが大変なんだ。昔、くろがぼくにしてくれたみたいに絵本を読んであげてる。ねえ、また絵本を読んでくれないかな?……そうおやしおは言って、正座してただ黙って彼を見るくろしおの膝元に顔を寄せ笑った。ただの図体のでかいだけの子どもだ、とその様子を見るたびにくろしおは思った。結局、持参した絵本が使われることはなく、なし崩しにおやしおの一方的な「甘え」をただ身いっぱいに享受するしかなかった、のだが。
 おやしおは、くろしおが見上げていた外の濃い青空を眩しそうに見上げる。眩しい日光にしかめた顔は、確かに端麗だった。
「……夏が終わるね。すこし涼しくなってきたなあ」
「……うん」
「ずっと時がとまっていればいいのに」
「夏が好き?」
「そうじゃないよ。……くろといつまでも一緒にいたい。秋なんて、こなければいいのに」
「……」
「ね?」
「夢を見て、」
「ん?」
「アメリカの潜水艦とおしゃべりした」
「そう」
「みんな待ってるって」
「今度さ、山登りでもしようよ。みんな誘ってさ」
 黙殺。
 手足を畳の上に放り、窓の外を見ながらくだらない話を一方的にくろしおに言いつのっていたおやしおは、ふと気づいたように彼を見た。
「あとね、……ああ、そうだ」
 愛しているよ、くろ、と彼はまるでなにかのついでのように、唐突に言った。君を誰よりも深く愛しているとぼくは確信してる。また会ってくれてありがとう。 ぼくは本当に、君を愛しているよ。……そこに、滲み出るものはなにもない。悲しみや苦しみはそこには存在しなかった。彼はぼくに対してまったく離別の念を抱いていないようだった。まるでこの先もいつまでも一緒に居られると信じているように。やれやれ、まったくこの子は、とくろしおは鼻白んだ。
 彼は初期の相次ぐ欠陥と、戦後初めての国産潜水艦であったことで、ほかの潜水艦と比べて随分と成長が遅かった。けれど今はその面影もない。いつのまにか彼を見上げて視線を合わせるようになり――それは実艦とは真逆の彼らの身長差のせいでも、こうした睦み言を交わす時の身の置き方のせいでもあった――そして、もう、そのようにして肩と身を並べることもない。除籍船と 人間(ひと)はくろしおを呼ぶ。
 一九七〇年八月一五日、保管船「くろしお」は除籍された。さすがのベテラン潜水艦「くろしお」も、寄る年波には勝つことはできなかった。噂によれば、己はどこか日本の業者に売りに出され解体されるという。「くろしお」は書類上はアメリカに返還されたものの、かの国に引き渡されることはなくいつまでも迎えに来る予定はない。呉にいるくろしおとて今更到底帰るつもりはなく、これでいいのだ、と思った。十五年見たこの国の海を見て最期を迎えることができる。それがくろしおにとって、なぜだか非常に有り難いことだった。
 三〇年前の敗戦の時、今はなきこの国の潜水艦の生き残りたちは、くろしおと同じくこの国、あるいはどこかの海で終わりの夏を迎え、最期はアメリカに引き渡され海の底に沈められたという。彼らが最後に見た海もこの様な海だったのかな、とまるで同病憐れむように思い、ふと、己がれっきとした日本の潜水艦になっていたことを自覚してくろしおは苦笑した。ここから見えた海は何より苦い海だった。
 昔は、自衛艦というアイデンティティに悩んだものだった。苦悩というよりそれは、フラストレーションに近いものだったかもしれない。敵を潜望鏡で見据え魚雷を撃ち込むことをくろしおは――正確に言えばガトー級潜水艦ミンゴは――縄張りとしてきたし、ある程度の誇りもそこにはあったはずだ。対潜水艦(ターゲット・)訓練目標(サービス)、あるいはある意味軍艦に近い艦艇でありながら軍艦ならざるもの、という立場には、随分と戸惑ったものだし、あのままアメリカで身を終え、スクラップあるいは標的艦になるべきさだめだったはずのものを、まさかかつての敵国で、敵だった潜水艦乗りの訓練や、あるいはこの己を組み敷いているまだ小さき艦だったおやしお、その他日本の潜水艦たちの子守をする運命になろうとは思いもしないことだった。
 その己の運命を呪わなかった、と言えば、それは嘘になる。だが、そこに喜びは何もなかったのか、と聞かれれば、それは否と答えるであろう。己の〝余生〟、くろしおとしての第二の人生を軽々と肯定あるいは否定するには、あまりに多くのことがありすぎた。そしてただ思うのは、己の苦労が残していく彼ら日本の潜水艦の何かになれば、それは喜ぶべきことであり肯定すべきことなのだと思う。
 老兵は死なず、ただ消えゆくのみ、とかの人は言った。
 ぼくがなにか彼らに残せたものはあったのか、とくろしおは思う。
 くろしおはいつもどおりの老いから来るまどろみのなかで、走馬燈のようなもの――この表現は本当に笑えない――を多少は見た。小さいおやしおが、寝る時もくろしおの瞳と同じ色のヘアピンを、絶対に外さないと反抗した姿。ちはやの可愛いらしい朱色のリボンが風に煽られる、束の間の美しい情景。いつしかはやしおやなつしおたち皆と行った夕暮れの屋上遊園地で見た、贋物の白馬の装飾品が放つ橙と黄金、薔薇色の極彩色、その絢爛たるメリイ・ゴオ・ラウンド。おおしおが彼を見つめるときに感じたぼくと一緒の、少しだけ、ほんの少しだけ寂しそうな、本当は大きいはずの小さな背中。轟沈する「まにら丸」の後姿。外された「MINGO」というプレート。艦尾に翻った血のような、今はただただ愛おしい、美しく鮮やかな紅の旗。乗員たちが緩慢に振り上げた白い、白い、白い花の咲くような帽の色。その白は、全ての象徴の桜に似ていた。青葉。父親のような笑み。握手を交わした、そして――そう、そうだね。君はそう、いつしか、この国を海よりもなお、なお深く愛するようになるだろう。きっと。
 くろしおは片腕で瞼をおおった。夏の陽の強さが目に眩しすぎるんだ。目が潤むのはそのせいに違いない。声が震えるのをこの子のためにごまかせるといいと思った。
「おやしお、」
「なに?」
「ぼくはもう……きみに絵本を読んであげられない。訓練も演習も、……一緒に映画を観ることも、寝てあげることもできない」
「……」
「ぼくができることは、教えること。教えられる最後の決め事」
「ぼくらのおきて?」
 そう――とくろしおは小さく頷いた。
「除籍船*1を、……もう一端のフネだとは、思わないこと」
 もうこうしてぼくに会いに来て、ぼくに愛を紡ぐなんてことをしないこと。

―― 

*1:もうこの世には存在していないふねのこと


TOP艦船擬人化ぼくの小さな神さま>ぼくの小さな神さま3