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【タグ一覧】#同人誌の再録
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企業・組織擬人化【小説】
小説「名声の葬列」 #共同運輸 #郵便汽船三菱
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 この夜、人間たちが黒の装いをして、互い互いに挨拶を交わしあうさまを彼女は見ていた。さざめくように話す情景になぜか心が休まらない。これもあの男の一つの角出であり、あの男への祝福なのだ、と彼女は思った。
 葬式の会場は豪奢な造りだった。夜の灯りが壁色に映えて妙に艶やかだった。そして豪華な食事の大盤振る舞いと来た。人間たちの密かな興奮は、なお一層彼女の心の裡を荒立たせた。
 彼女は人間の葬式と結婚式の区別がいまだにつかない(黒白と赤白の装いの何が違うというのだろう?)。悲しむべきときと喜ぶべきときの違いだろうか。けれど人間たちは葬式でも結婚式でも、いやいつだって喜んでは悲しんで、泣いては怒っているではないか。彼らは生きるのに忙しそうで、死ぬのになお急いでいる。そんな人間たちを、彼女はほとほと下らないと思っていた。人間への共感の素養に乏しい、ただの一企業の現し身であった。
 この葬式の主役が主役なだけに、式中には予期せぬ事件や暴動、妨害が起きてもおかしくはないと思えた。それでも葬式は無事に何事もなく進行している。
 人びとはささやかに慎ましげに、けれど油断なく会場を見渡し、旧知の同業者と迎えるべき商売相手を探し出しては、お悔やみの挨拶を交わす。ついでに(ひどくささやかに、また流れるように)語られるは、わが社の輝かしき躍進や扱う新商品やその商売相手を探していること――ここは数夜限りの特殊な社交界なのだ。主役がすでに亡いだけで。
 財界の政界の、日本中の多くの重役、重要人たちがこの場へと駆けつけた。貧乏人たちは場の外にいて葬列を仰ぎ見る。その死を弔うために。ついでに、この死者の周りには常にお金と施しがあったので。はてさて、この内に心の底からお悔やみを申し上げる人間はいくばくなのか……と彼女は思った。勿論人間たちを責めるつもりは毛程もない。私もそのうちの一人だ、というのが彼女の偽らざる気持ちだった。そしてこの死者も天国あるいは地獄あるいは煉獄でそんな皆を嗤っているに違いない。あれはそういう男だった。
 あの男を思い出せば思い出すほど、会場の人間たちの喧騒が不快だった。まるで濡れた服が体に張りつくようなじっとりとした嫌な感じがした。彼女はひっそりとその場を抜け、中庭へと出た。天高い夜空が、一人の彼女を孤独にさせた。
 煙草に火をつける。
 あの男は彼女がいつでも煙草を吸うことに不満そうだったが、止めさせたことはなかった。彼女が女の姿を持つという事実と、彼女が明治日本きっての大海運会社――男の持ちうるいちばんの財産――であること、その両者の板ばさみに悩まされていた。
 お前が男だったらな、というのがあの人間の口癖だったし、彼女自身もそう願わなかったといえば、嘘になる。たとえ喫煙ができても、男の聖域かつ牙城たる喫煙室に招かれると居心地が悪かったし、男たちだって居心地が悪そうだった。そのたびに我は人でも女でもなく企業である、と嘯いたものだった。彼女は共感性に乏しく、人間たちの居心地の悪さなど気には留めなかったが、それでもそれは惨めな虚栄の一つになっている。
 人間の器がこうも桎梏たり得るとは!
 ゆっくりと煙を吐き出し、荼毘の煙と焼香の煙と煙草の煙の類似を考えていた。この煙が天まで届くと思うとこれも愉快なご焼香だが、やはりあの男が安寧の場所にいるとは相思えない。あの男は多くの人間を儲からせては破綻させてきた。人間を幸福にさせたが不幸にもさせた。彼女を創りあげた。企業として。女の器として。そんな彼がどうして安寧な眠りを得られよう。
 それでも、死ねば義務からは逃げきれる。その事実に呆然とし、彼女はひとり残されたことに対して怒りに駆られた。海坊主め、あんたが私を創ったんだぞ。そしてこの現状を作り上げた。あんたは死んだが、私だって数年持つかわからない。あんたの愛した会社と船と社員と金はどうなるんだ。本当に船を燃やし、私に後始末でもつけろというのか。
 全く気に食わない。
「うわ、」
 と、彼女の後ろから声がした。夜の闇から現れたのはなんと、彼女の唯一の商売敵たる共同運輸会社であった。
 いつもの安物で粗野な男物の和服ではなく、洒落た男物の喪服のスーツを着ている。洒落ているのは服だけで、鈍感そうな表情と四方八方に飛んだ髪毛はいつもと変わらない。
「なんで……貴様がここに居るんだ」
「私だって知らんさ。たぶん偵察だ偵察。渋沢さんに連れてこられた」
 と相変わらず能天気な顔をしている共同運輸に、この世は馬鹿な人間と馬鹿な会社ばかりだと彼女は思った。あの男の葬儀にぬけぬけとやって来た渋沢も共同運輸も、とんだ阿呆だ。ただの間抜けだ。
 一歩こちらに近づいた共同運輸に、一歩引きさがった彼女は舌打ち混じりに言い放った。
「気安く近寄るな庶民が」
「地下浪人上がりが調子乗るなよ馬鹿!……や、おまえ、泣いてんのか?」
 泣いているわけなかろう、と呟いた。彼女の声はわずか震えていた。
 共同運輸はにやにや下品に笑った。
「いいもん見た。死人の顔も見れてないが腹いっぱいだ。帰ろ帰ろ」
「帰れ」
「帰るさ。また来る。こんな葬式ならいつあっても良い。月に十回は欲しい」
「帰りやがれ!!」
 それは鼻声で、喉が詰った、みっともない大声だった。だから共同運輸以上に驚いたのは彼女自身の方だった。おまえ、と呟いた共同運輸は一瞬呆けた顔を晒し、ばつの悪いような表情をしたあと、彼女の顔を下から掬いあげるようにそうっと見上げた。彼女の様子をうかがっている。彼女は共同運輸より数寸は背が高いのだ。人間の現し身を比べ、わずかでも共同運輸を見下げることができるのが彼女の密かな楽しみだった。愚かなことだ、と自身でもわかっていた。
 私たちのひとのすがたになど意味はないのに。
 三菱蒸気船会社として日本国郵便汽船会社を下してからというもの、彼女は一社一強として日本海運を牽引してきた。それが独占と言われようが強欲と罵られようが変わらなかった。むしろその誹りと軽蔑の視線はひどく心地よかった。口汚く罵る相手の瞳には、同時に常に畏怖と卑屈とがあったからだ。栄光これより大なるはなかったし、それを積極的に快楽として、彼女は企業を生きてきた。
 箸が転んでも面白い、もとい箸が転んでも儲かるような面白い海を独占していた彼女の前に現れたのが、今この顔を見上げる共同運輸会社であった。打倒三菱を掲げて生まれた会社であり、初めから彼女の敵たるものとして創られた、愚かな海運企業。
 両社互いに船が並べば一歩も航路を譲らずにぶつかるに任せた。彼女の営業する横浜・神戸間の運賃は五円五十銭だったものが、一円五十銭となり一円となり七十五銭となり五十五銭となり二十五銭に景品付きとなる始末。人間たちは愚かだ、と思いながらも値段を繰り下げることに一番熱心だったのが彼女自身だったのだからこの世は阿呆だらけだ。もちろん利潤など生まれず、急激に利益は損失し、両社とも互いが互いを泥沼に引っ張る瀕死状態へとあっけなく転落していった。
「……あのな、こんなうわさ話知ってるか。お上が私たちの争いに介入するんだって」
「……知っている。絶対に嫌だ。汚らしい」
 そう吐き捨てた彼女は煙草を捨て、靴で何度も執拗にもみ消した。
「私だって嫌だわい!でも簡単に死ぬわけにはいかないだろ?人間みたいにさ。お国の海と船はどうすんのさ」
 という共同運輸の言葉に、彼女はふと胸を突かれた。冷たい刃で胸を割かれたような気持ちになった。私を国賊というのなら私の船を残らず遠州灘に集めて焼き払い財産を自由党に寄付しようぞ、というあの人間の言葉を思い出したからだ。
 あの男は結局は日本国の海運を想っていた、だからなおさら政府とその先鋒たる共同運輸を憎んでいた。あの男は海運業を独占していたが、政府がただの政略上の問題で三菱を潰しにかかったのもまた事実であった。その思いが船を焼き払うべし、という悲惨な言葉に繋がり、死の床ですら競争を挑みて敵におくるるなかれと遺言を残して逝ったのだ。人間は阿呆、世は馬鹿ばかり、私も社員も阿呆で政府の人間も阿呆だ。こいつも阿呆のはずなのに、お国の海と船はどうすんのさ、というひどく柔い土着じみた女言葉は、政治や企業人のそれとはほど遠く響き、だからなおさら彼女の心を打った。
 言葉を無くした彼女に、共同運輸は言った。
「郵便汽船三菱会社、あんたはどう思うのさ」
 私は、と彼女は言いかけて、黙った。
 やめたかった。こんなふざけた現状をどうにかしたかった。頑張って得た船も焼きたくなかったし、財産だって保有していたかった。なによりあの男の残したものをむざむざと捨てたくなかった。たとえそこが地獄だろうがそこで嗤っていてほしかった。まるでいじらしい、乙女がよき男に向けるような感情、まったく人間じみていることに気づき、ただただ自己嫌悪に陥り恥じ入った。私は、あの男が憎くなかったのだ。きっと憎くなかったのだ。すべてがまったくの茶番だった。この茶番の主役の名を岩崎弥太郎という。

艦船擬人化【小説】
小説「来たるべき最期の日」 #おやしお(初代)
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 (わたくし)、潜水艦おやしおは、皆さんに、艦生に、今は亡き最愛の彼に、海上自衛隊の面々に、元愛人のようなものでまさしく大親友のちはやに、おおしおをはじめとする海自潜水艦の連中に、川崎重工神戸工場の皆さまに、進水からすべてを見守ってくれた日本国民に、それからなるしおに、多大なる謝意を示す。今日はぼくの退役式であり、秋の空の下、よき別れの日であると思う。港に集まった海の男たちはいつもの快活さをひそめ、顔には真摯さがにじんでいる。そしてそれは僕も同じであろう。いつも見る海もまた表情が暗いように思えた。今日これもまた祝福されるべき門出なのだが、おやしおの脳裏に浮かんだのはなぜか、あの多くの人びとが集まった――華やかな小旗、紙吹雪、翻る日章旗と自衛艦旗の色の鮮やかな――進水式のことだった。つい昨日のことだった、などとしみじみ言ってみせるつもりはない。遠い過去のことだ。
 おやしおは、乗組員と副長、そして艦長が退艦する様を艦上から眺めていた。艦長の手に掲げられた自衛艦旗が赤く目を焼く。おやしおにとってあの旗は特別なもので、ジエイカンキ、という、脳内に残る特殊な発音で記憶していた。あの人はいつもあの旗をそう発音し、その美しさを密かに誇りにしていたのだ。おやしおは先ほどあの旗を下げられ、ついに元「おやしお」である何かになったのだった。
 式はただ淡々と進行していく。おやしおはただ穏やかな気持ちでそれを眺めていた。除籍されるのも解体されるのも、なにも恐ろしいことではない。知らぬ間に沈没と認定されて、いつの間にか除籍されるわけではないことを考えるのなら、幸せな生涯だったのだろう。おやしおは、乗員の一人が泣きそうな顔でこちらを見つめていることに気付いた。柔くおやしおがほほえみかえすと、彼は苦渋の表情のまま、何かを振り切るように目をそらした。
 おやしおは、潜水艦「おやしお」に対して送られた、惜別の辞を思い出していた。歴代の乗員たちがおやしおに送った言葉を、彼は事前に聞いていたのだった。
 ……独特の何かを備えた潜水艦、おやしお学校、おやしお魂。華麗なシルエット、ハイセイコーのような俊足。このような誇り高き雰囲気を持つ艦は再来しないのではないか。……彼らにそう言葉を送られていたのだった。そのことをふと今になって思い出し、おやしおは無性に泣きたくなった。彼と別れたときとは全く別の感情だった。覚悟と決意。それと共に。そうあった一生に対する、是の念が呼び起こした涙だった。涙を零さないようにちらと薄群青色の空を見上げると、そこには早風にあおられた雲が広がっている。港から遠い木々たちの、水気を含んだような鈍いさざめきと、日差しを淡くさえぎった雲の動きを見たとき、おやしおははじめてこの生を実感し、まだ生きたい、と願った。この時ほど自分が生きていると実感したことはなかった。ぼくはまだ解体されてはいけない。生きていたい。
艦船擬人化【小説】
小説「新製兵器」 #なるしお #おやしお(初代)
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 新しい涙滴型潜水艦は、海上自衛隊の次世代を担う存在として在来型船型潜水艦の面々にも歓迎され、すこし迷惑な存在としても受け入れられた。つまるところ、彼らはおニューな高性能兵器としての自負が強い、小生意気な後輩だったのだ。在来型は在来型同士、お互いをある程度の尊重と敬意と親しみをもって、くろだの先輩だのツインズだのねんねちゃんだのあだ名で呼び合っていたのだが、涙滴型は在来型に対して少し馬鹿にしたように呼び捨てにするだけだ。だが、その関係は決して不穏ものではない。在来型にとってみれば、ぼくらは歳を取った、そういうことなのだろう――そうやって苦笑したいような、親が反抗期の子どもを見守るような関係だった。
 日本初の涙滴型の水中高速潜水艦である「うずしお」型潜水艦の四番艦「なるしお」(SS-569)〔現在は、特務潜水艦ATSS-8002・編者〕は、昭和四十五年度計画に基づく潜水艦として三菱重工業神戸造船所で建造され、一九七三年九月二八日に就役し、第一潜水隊群隷下に新編された第五潜水隊に編入された。うずしお型潜水艦の中でも特に新鋭兵器という自意識の強い潜水艦で、おやしおは常に勇み足気味な彼を手懐けることに苦労した。まあ、手懐けてみれば可愛い後輩だったのだが。
 なるしおの就役後の大任務にして海上自衛隊史上最大の事件であった「第十雄洋丸事件」が起きたのは、なるしお就役後の一年と少し、一九七四年一一月九日の昼下がりである。液化石油ガス(LPG)などを積載した「第十雄洋丸」(四三、八二四トン)が、浦賀水道北端付近で、リベリア船籍の貨物船「パシフィック・アリス号」(一〇、八二四トン)と衝突し、両船が炎上して三三名が死亡するという大惨事が発生した。爆発を繰り返し消火のめどがつかなかった第十雄洋丸は自衛隊の手によって沈没処分されることになった。出動兵力の第十雄洋丸処分部隊は、水上部隊は「はるな」(DDH-141)「たかつき」(DD-164)「もちづき」(DD-166)「ゆきかぜ」(DD-102)で構成され、ともに選ばれたのが潜水艦「なるしお」であった。
 なぜ横須賀ではなく呉のなるしおが指定されたのか。当時唯一信頼における魚雷はMk37魚雷(米国製)であり、この実装・魚雷を調整(訓練用ではなく実際の炸薬を装備)できる能力を有していたのは呉水雷整備所しかなかったため、呉の潜水艦に白羽の矢が立った。なるしおは四本のMk37実装魚雷を搭載し、呉から横須賀沖まで興奮収まらぬ様子で勇躍進出していった――のだが。
「どうしたのなるしお」
「うるさい」
 おやしおは部屋の隅で膝を抱え座っているなるしおに声をかけた。彼は先日事件への対処を終え呉へと帰港してきたのだが、なぜか元気がない。声をかけても菓子で釣ろうとしてもどんよりしたままそっぽを向くだけだ。手拍子を打ちながらなるしおの名前を連呼する(なーる!なるちゃん!なるお!ナルシスト!)おやしおを彼は無視し、唇を尖らせひたすら黙っていたが、ふとぽつりと呟いた。
「……『思いのほか』だった」
「思いのほか?」
「うん」
「そっかー」
 そっかそっか、とおやしおは呟いた。思いのほか(・・・・・)うまく(・・・)いかなかったんだ(・・・・・・・・)
 潜水艦「なるしお」が用意した魚雷は、一発目は不具合と判断され艦外へ投棄、二発目、三発目は無事発射・命中させたが当初予想していた大きな爆発は感じられなかった。最後の四発目は第十雄洋丸の船尾を狙ったが、吃水が油の流出により、予想以上に浅くなっていたことから船底を通過してしまった。
 派遣する潜水艦をなるしおと決めた司令部も、なるしおに期待した人間たちも、実際どこまでの成果を彼に求めていたのかはわからない。最後には第十雄洋丸は処分できた、これだけで我らが海上自衛隊にとっては上出来だったのかもしれない。けれどなるしお自身はこの結果に納得していなかったらしい。最新鋭の潜水艦としての密かな意地だった。
「ぼくもよく魚雷は外してたけど」
「それは演習でしょ」
「演習が終わっているのに気づかない時すらあったよ?陸に連絡しないから、沈んだと思われて三空群とちーが手配されるくらいでさぁ」
「意味わかんない」
「なつかしいなあ。演習で皆はがんばってたけど、魚雷が当たらないか水上組に見つかっちゃうことも多くて。そしてぼくはどっかに消えちゃうっていう」
「アホか」
「沈没と認定されて除籍されちゃうところだったよ」
「バカ」
「あのあとめちゃくちゃ怒られたけど――」
 昔話をしはじめたおやしおを、彼は「あのね」と強く制した。
「ぼくは対潜水艦訓練目標(ターゲット・サービス)じゃあないんだ、おやしお」
 君らとは違う、と彼は言った。その眼は鋭かった。続けて言う。ぼくは任務作戦のための潜水艦だ。ターゲットとしてちょろちょろ逃げ回るのではなく、敵に魚雷を当て撃破しなければならない。演習ではなく実戦で。そうでしょ?
「君たち水中目標艦の時代は終わったんだよ」
 苛立たしげになるしおはそう言い放った。その後、自身もその言葉の強さに気づいたのであろう、ちら、と様子を窺うように、上目遣いでおやしおを見つめた。おやしおは目を閉じて口を曲げ、降参しました、とおどけるように肩をくすめている。その様子になるしおは安堵を見せる。

艦船擬人化【小説】
小説「旭日の斜陽」 #ワフー #ミンゴ/くろしお(初代)
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「おー、これが噂の」とミンゴ。
「そうだよ」
と彼は答えた。
 ミンゴが岸壁からガトー級潜水艦の二十七番艦「ワフー」(SS-238)の艦橋を見上げると、そこに立っている艦霊の彼は、自慢げに片腕を上げて構造物を示した。レーダーマストには、白地に鮮血のような紅色で「××どもを撃ち殺してやれ(シュート・サン-ザ・ビッチ)」*と書かれた旗が。下の二流は自衛艦旗――じゃなかった、この時代では軍艦旗、さらに下には四流の日章旗が掲げられている。箒が潜望鏡架台に逆さまに括りつけられているのは、彼の小汚い艦内を掃除するためのいざというときの小道具という訳―ではなく日本人を一掃した(ワイプ・アット・ニップス)という彼なりの勲章という訳らしい。噂の、というのはこうした過剰な敵意の現れ、下品な旗たちのことである。少々趣味の悪さを感じなくもない、ミンゴの顔にそんな感情が出ていたのだろう。ワフーは右四十度を仰ぎ、左手を首元に寄せピースサインを決めながら、乙にすました顔でこう言ってのけた。
日本人(ニップ)一掃~」
「アホか」とミンゴ。
 軍港の岸壁から見える海は、ミンゴが今までに見た中で一番鮮やかな海だった。水平線は朧気で遠い。陽気な海の色というよりはむしろ狂気に近い海。海だけではなく空も、一面に絵の具を塗りつけたように鮮やかだった。彩度は高く、ブルーというよりターコイズに近い色彩。太陽は空高く輝いている。
 なぜか港は閑散としていて、「ワフー」以外の艦は―「ミンゴ」も含め―留まっていないようだった。人影もない。穏やかな波音だけがそこに存在していた。ワフーは短い金髪の髪を弄りながら、小さく鼻歌を歌っている。そこには、戦争の疲労感も苛立ちも、苦しみも嘆きも無いようだった。戦争なんて朝飯前の日課だ。そんな表情だった。
 獰猛な潜水艦だと、ミンゴは聞いていた。彼によって沈められた日本艦船は多い。だからこの穏やかな態度は、少し意外でもあった。
「思うんだ」
と、唐突にワフーが呟いた。
「時代が違ったら、戦争じゃなかったら、あいつらが傲慢にも真珠湾を攻撃しなかったら、日本の潜水艦が観光ついでに真珠湾に来る日が来て、俺はそれの歓迎でもしてたかもなって―」
「そうだなぁ」
「真珠湾に来られても邪魔だけどな。なんだか知らねえが妙に艦体がでかくね?」
「そうそう。そのせいか知らんが通商破壊が得意じゃないよな」
「――と、今のミンゴちゃん見ていて思いました」
「今?」とミンゴは問いかける。今ってなんだよ。現在?今って?
 ミンゴの疑問を黙殺し、ワフーは続けた。
「ああ。……ミンゴはさ、今、幸せか?」
「だからなんだよその質問は」
「いいからいいから」
 とワフーはウインクをこちらに投げかけ、ミンゴの答えを促した。不器用なウインクだった。きっとウインクをしたことなどほとんどないのだろう。
「……幸せだよ。今の仲間がいるし」
 そう、今の仲間が大切だった。今。
「仲間か~!」
 ワフーはずっこけた――というより、ずっこけた振りをして、その動作でミンゴを茶化した。何故かすこし寂しそうに笑いながら。
「ああ」
 ワフーの様子に少し罪悪感を覚えながらもミンゴは頷く。何故罪悪感とやらを感じるのかは自分でもわからなかった。
「じゃあさ、」とワフーは続ける。
「ん?」
「俺たちを誇りに思うか」
「俺たち?」
「俺たち。アメリカ、アメリカ人、アメリカ軍人、アメリカ海軍軍人。あるいはアメリカの艦艇。なにより我らアメリカ合衆国海軍の潜水艦たち」
 彼は歌うように朗々と「俺たち」を挙げた。俺たち、アメリカ人。
「思うよ、なんだ急に」
 とミンゴは彼に言う。お前たちアメリカ人は誇りだよ、と。お前たちアメリカ人。
 その答えに満足したのか、ワフーは満面の笑みで笑った。朗らかに言う。
「その気持ちを忘れんなよ。じゃないとこの箒で一掃するからな」
 とワフーは、両手をぶんぶんと振り回し、箒で掃く真似をしてみせた。必然と話が箒の話題へと戻る。
「その箒、外す時に気まずくないですか?そのまままた任務に行くんですか?」とミンゴ。
「もう任務には行かねえよ」
「そうなの?」
「だって戦争は終わったし」とワフーはあっさり言った。「俺たちの時代もとっくに終わってるだろ。ティルたちみたいに潜水艦推力増強(ガピー)改修*もされてないしな」と彼はひどく無念そうに呟いた。
「今の新しい潜水艦って、日本の……なんだっけ……ああ、海苔の巻いたおにぎりみてえだよな。一面真っ黒で」
「戦争って……」とミンゴは続けた。「もう、終わっているのか?」 
「そうだよ。当たり前だろが」
「そんなのおかしいだろ?だって……」
 お前は戦争が終わる(・・・・・・・・・)二年前に沈没してる(・・・・・・・・・)
 轟々と唸るように吹く海風はその紅の旗を一層となびかせた。旗がはち切れんばかりにバタバタとはためいている。ミンゴは冷や汗をかきながら、艦橋上のワフーを見上げてはじめて違和感を覚えた。なんでぼくはここにいる?そもそもここはどこだ?この時代では自衛艦旗ではなく軍艦旗?一九四三年二月頃にはすでに日本海域で任務に就いており、十月十一日に日本の爆撃と爆雷で沈没した彼と、一九四三年二月十二日に就役したぼくは、いつどこで知り合った?こんなに―こんなに親しく話し合うほどに、こんなにくだらないおしゃべりに高じるほどに、いつその交流を深めただろうか?
 彼の顔は逆光で見えない。緊張した空気の張りつめる中で二人は黙ったままだった。いつもは海で聞こえるウミネコの鳴き声も、なぜかここでは聞こえなかった。ぼくと彼以外の生き物は、ここには何もいないようだった。
「……みんな待ってるよ、この死にぞこないが」
 彼は微かに笑ったようだった。ゆっくりと潜水艦「ワフー」は岸壁を離れていく。ミンゴはそれを呆然と見送り、彼の言うことは正しかったことに気づく。戦争は終わっている。大戦型(ぼくら)の時代も終わっている。彼はもうとっくに沈んでいる。
 彼は――潜水艦「ワフー」は、一九四三年一〇月一一日に戦没した。
 対馬、津軽、宗谷の三海峡が機雷に守られ「天皇の浴槽」と呼ばれていた日本海。通商破壊が行われていなかった、否、行うことが出来なかった日本海に、機雷原を突破し潜り込んだ「ワフー」は、その勇猛さを発揮し、日本の艦船を次々に沈めていった。
 四度目の日本海での作戦の後、帰還のため宗谷海峡を突破しようとした「ワフー」は、浮上航行しているところを宗谷防備隊に発見された。その後、五時間にも及ぶ執拗な爆弾・爆雷攻撃を受けた「ワフー」は、油と気泡を漏らし三海里にも及ぶ油帯を航跡波のように残して沈んでいったという。歴戦の猛者だった「ワフー」の戦没はアメリカに強い衝撃を与え、一九四五年のバーニー作戦*まで日本海に潜水艦を侵入させることはなくなった。
 ミンゴはその話を、仲間の潜水艦と乗組員から伝説として聞いていたのだった。そして強く思った。日本人は本当に野蛮な連中だと。奴らに絶対に屈してなるものかと。それがぼくらの使命だと。そして実際、敗北することなく一九四五年の夏、その悪の敵国に勝利した。
 ぼくがその敵国の艦になったのはその十年後だ。ぼくの、今のミンゴちゃんの名前はミンゴではなく、フィリピンの北東、台湾の東方から発し、台湾沖を北上して西南日本沿岸に沿って進み、房総半島東方沖で東に向きを変える暖流からとられた、あの名前だった。
 潜水艦「くろしお」。
 日本国、海上自衛隊初の潜水艦としての栄誉が。
「じゃあなあ!赤っ面の間抜け顔!」
 ワフーは晴れやかな笑顔で艦上から手を振り、そして二度と振り返らなかった。
 茫漠たる海に潜水艦たちが泳いでいた。
 現れた無数の潜水艦たちが描いたいくつものウェーキが混じり合う。
 あれはアルバコア。あいつは津軽海峡で機雷に接触し、ラッキーストライクや日用品、書籍などの遺物を水面に浮かべて沈んでいった。あいつはガードフィッシュ。多くの日本艦船を沈めていった彼は、一九六一年に標的艦としての栄光を受け海没処分された。ダーター、ロバロー、ボーンフィッシュ。グレイバック。みんなみんなくろしおより先に沈んでいった、懐かしい顔ばかりだった。彼らはイルカの遊弋のように、艦首でなだらかに曲線を描いては母なる海に潜航していった。艦に入る直前に手を振って潜航していった。別れを告げて潜航していった。みんな去っていった。

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*原語ではSHOOT THE SUN ZA BITCHES.
*潜水艦推力増強計画。(Greater Underwater Propulsion Power Program)。GUPPYちゃん。上部構造物を覆い水中航行に強くなった。
*バーニー作戦Operation Barney.