わたしはわが子の誕生に際して、祝福をのべるか講釈をたれるか悩んだ末に、後者を選んだ。だから生まれるおまえは、以下の言葉を講釈だと思ってくれて構わない。生まれたての子どもには祝福やおとぎ噺や子守唄のほうが本当はよかっただろう、しかしこのような時勢であるから、簡潔に、無難に、艦としてあるべきおまえの生き方を講釈したい。
いま進水するということ
わが子よ、おまえが進水するのは、いまこの一九四〇年である。軍縮条約前の一九二十年や二十一年ではない。おまえの設計にはなんの枷もなく、大きく、優美で、スマートな帝国海軍の誉れそのものである。
その三連装砲は太平洋を、またそのむこうの対岸を火の海に、血の海にするために載せられたもので、おまえはけっしてお飾りではないのだ。ただ征くべき戦場は熟慮すべし。だが主砲を轟かせる時は逡巡するな。艦は戦わねば腐るのみである。思慮深いことと臆病であることの分別はしっかりとつけよ。
おまえは連合艦隊の旗艦になるだろう。その艦尾にいっとう大きな旗を掲げるだろう。しかしその重みにばかり気をとられないこと。その重みは戦場でおまえを愚鈍にするだろう。周りの人間はおまえに誇りを飾り装うだろう。だがおまえはその誇りにけっして奢るなかれ。名誉と心中する無様な真似だけはしないこと。沈むのならせめて一隻でも多くの艦を巻き添えにすること。美しい理想ではなく実務的な戦果を求めよ。
帝国海軍はいまこの二十年余の平和を無にかえす。わたしもいままでの過去をすべて捨てそれに翼賛する。おまえもあまたの親たちとおなじようにその身を捧げること。
おまえが進水するのは、わが子よ、いまそういう時であるということを忘れるな。
海に生きるということ
ふねであるおまえは海を好きになってくれるだろうと思う。
おまえが海と仲よくなるうえで大切なのは一つ。おまえが海を愛しても、海はおまえを愛さないということを理解すること。波は残酷であり、寄せては引く水の刃である。海はすべてを呑みこむのだ。そこにあった生も、生の後の死の痕跡すら呑みこんでしまうという事実がある。そのことを肝に銘ずこと。
わたしの生まれ故郷はなにもない小さな漁港だったから、大人たちは子どものわたしに海のおそろしさを聞かせてきた。だからわたしは、わが子よ、おまえにそのおそろしさを聞かせる。しかしわたしは人間、おまえは戦艦だから、海の捉え方も違うだろう。なによりこれは講釈である。怪談ではない。しかし例としてある話をしようと思う。
この港に娘がいた。とても美しい娘だった。美しく優しかった。娘は大きくなり冴えない海軍軍人と結婚した。よくある見合いだった。軍人のほうは娘に惚れていたが、娘は果てのない大海原のように茫漠とした態度で軍人につき添うだけだった。
軍人は造船技師のひよっ子だった。近眼で艦隊勤務にはむいていなかったからだ。海が好きだった。艦も好きだった。なにより妻が好きだった。軍人と妻とは離れて暮らしており、妻はその小さな港にいた。たまにしか家に帰ることができなかったが、それでも軍人は幸せだった。
呉に大きな嵐がきた。
工廠の外壁がはがれるくらい大きな嵐が来た。軍人はなにより工廠と艦のことが心配だったから、妻にまで気がまわらなかった。それにその心配こそが己の任務だったし、軍人のなかで妻が大切でも、軍人として生きる以上、妻より工廠が大事だった。
小さな港は小さな港だった。嵐は大人たちの語るおそろしい海を呼び寄せていた。波は寄せては引き、すべてを破壊する刃となって港を侵食した。
軍人の妻はこの日にかぎって遠出していた。家のなかにいればあるいは助かったかもしれないが、その日その時、妻は婦人科の病院から帰る途中だった。その重たい身は、大海原に引かれていったという。正確にはその最後の痕跡も呑みこんだ。だから最期はわからない。最後に妻を見たのは婦人科の医師で、軍人に簡潔に診察内容と、帰宅するときのどこかさみしげな姿を教えてくれた。
わたしの妻と子はそうして死んだ。十年余は前の話だ。
それでもわたしは海が好きだった。
おまえも海を好きになるだろうし、わが子よ、わたしの手で造られたおまえがそうなってくれたら、わたしとしてはとても嬉しいのだ。わたしは艦も好きだから、艦が海を好きになってくれることを願う。海は多くを奪うが、艦たるおまえには多くを与えるだろう。戦場の波の高低はつねに把握すること。「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という一文の優れた情報伝達の美を学ぶこと。波とその情報は海戦では命である。
名前を与えられるということ
わたしがおまえの名前をここに書いていないことに、わが子よ、おまえは気づいているだろうか。
おまえは秘匿されて生まれる。そのために多くの機密保持がなされたことは、おまえも知っているはずだ。おまえは文字通り秘密兵器である。帝国海軍の秘蔵っ子である。存在を敵国に悟られないこと。悟られていてもそれ以上の情報をけっして与えないこと。
わたしたちもおまえを生むことに多くの苦労をした。おまえはそう、難産だった。だがこうしてしっかりと生まれた。苦労に値する生だと思う。わたしはこれを、おまえの明日の進水式に合わせて書いている。この手紙はどこか、おまえの艤装品の隙間にでも挟んでおこうと思う。すぐに乗組員の生活品に紛れて無くなるだろう。わたしもそれを望んでいる。造艦に私情など必要ない。艦にだって本当は愛など必要ないのだ。この手紙はなかったものとして扱われてかまわない。ただそう、わが子よ、おまえだけはこの講釈を覚えておくべきであると思う。
もしわたしたちのあいだに子どもが授かれば、と、わたしは考えていた。
娘だったら美しい妻の名前を一文字とり「美桜」がいい。
息子だったら冴えない軍人の名前をとるわけにはいかない。
わたしは考えた。そして日本の言葉で一番美しいものをつけようと思っていた。問題は漢字だ。大斗、和、倭、山登、倭斗、山斗、山翔……。おまえとおなじ漢字は、わが子よ、案からは外していた。なぜか?わたしの子どもはしょせんはただの人間の一子だったからだ。あの漢字を恐れ多くも使うわけにはいかない。戦艦のおまえとはちがう。たとえ母たる妻がどれだけ美しくても。
わたしは艦に多くの期待を持つ。人びとはふねに多くの期待を持つ。
おまえの名前はいっとう考えられ、期待を込めてつけられた。おまえはそれに値する艦である。
皆が熱意を込めておまえの名を呼ぶだろう。おまえはそれに戦艦たる矛を持ってこたえること。
戦場では敵艦にその優れた威信を見せつけよ。おまえはわたしの粋を凝らした子どもなのだから。そして主砲を放つ時と同様にその沈み時を知れ。
わが子よ、おまえもいつかは海へ没する定めにある。
わたしもまた海にかえるだろう。
われらの海へようこそ。
一次創作>ある艦への「講釈」