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  • 架空文学論『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』

    架空文学論『見果てぬ海 「越境」する船舶たちの文学』



    1ディアスポラの海
    2人間たちの喧騒


    1航海日誌から戦闘詳報へ
    2特設艦艇の「故郷喪失」
    3〈艦船一体〉の思想



    特設艦艇の「故郷喪失」

     一九六七年に日本船霊戦没記念会が発行した『戦時船舶文学大系』は、太平洋戦争時の船舶らが書いた文学を論じた文学研究書です。この序文には、以下のような記述があります。
    「本書では、日本海軍に徴用されのちに艦艇に改造された船舶、いわゆる特設艦艇の文学を扱うことは、日本海軍の一員として全く違う道を歩んだ艦艇の文学を扱うことになるとの意見が出た」(本書、十頁)。
    「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学かという線引きをはっきりさせるため(・・・・・・・・・・)も、特設艦艇らの文学――彼らの書いた手記や往復書簡、小説や自伝――は除くことにした」(本書、十二頁)。
     あえてこのような書き方がなされているということは、日本船霊戦没記念会の会員の間では、『戦時船舶文学大系』で特設艦艇の文学を扱うことも検討されたのでしょう。結局、彼らにとって「特設艦艇文学は艦艇文学であった」ため、特設艦艇文学は『戦時船舶文学大系』から除かれることになったわけですが、はたしてそれが最良の選択だったと言いきれるでしょうか。
     船舶に属しながらも総動員の名分のもと艦艇として生きざるを得なかった特設艦艇らの文学は、戦時下に目指されていた「艦船一体」の思想を紐解くにあたって、非常に有益な研究対象となるはずです。「どこまでが船舶文学で、どこからが艦艇文学か」――この艦船の切り分けに近い思想は、海運が戦時中に被った膨大な被害ゆえに軍を忌避するものであり、同様の不信感が、海運業界の人間らで構成されていた日本船霊戦没記念会にも存在したのかもしれません。
     船舶として受け入れられない特設艦艇の艦霊は、時として艦艇の艦霊として受け入れられないこともありました。興味深いことに、商船から軍艦へと改造された特設艦艇らは、しばしば日本海軍内の艦艇たちに「成り上がり」として認識されていたのです(同時に船舶たちにしてみれば、特設艦艇らは再び船に戻ることのできない「成り下がり」でした)。生まれた時から菊の御紋を頂く軍艦たちにとって、特設艦艇らは急ごしらえの兵役のための船でしかなかったのです。

     航空母艦「冲鷹」乗組員手記会が戦後に編纂した『海浪録』は、貨客船「新田丸」が航空母艦「冲鷹」として戦没するまでを記録した乗員や関係者の証言集です。この証言集からは、貨客船が軍に徴用され輸送艦となり、またのちに軍艦になることの船霊の心情が読み取れます。また、この証言集を補完するのは冲鷹(新田丸)自身の書いていた手記であり、一隻の船、一人の船霊の船生を追うには貴重な資料です。
    「貨客船でも輸送艦でも、物や人を運ぶのは変わらないわ。私は海軍でもうまくやっていける、海はいつも優しかった」(二十九頁)と新田丸は日記に書いています。徴用前夜の一九四一年九月初頭のことです。
    「快活でいて上品、まさに日本郵船の船、日本郵船のイニシャルを冠するにふさわしい令嬢でした。彼女自身も『新田丸という名前の由来を御存知?』とよく周りに触れて回っていたようです。きっと誇らしかったのでしょう。『輸送艦になると船名は変わってしまうのか』、と彼女に尋ねられたことを覚えています」(一七六頁)という関係者の証言は、新田丸が自身のアイデンティティを貨客船に置いていたこと、またあくまで自身の未来が輸送艦どまりであると信じていたことを示しています。
     しかし御存知の通り、輸送艦「新田丸」は航空母艦「冲鷹」となります。航空母艦時代の冲鷹を示す一番端的な証言は、「冲鷹」乗組員が証言する「大鷹」の言葉でしょう。 

     姉妹艦が心配か、と私は大鷹に尋ねました。冲鷹のそばで大鷹の姿を見ることがしばしばあったからです。大鷹は「はい」と答えました。妹を心配する優しい兄なのだろうと思いました。しかし、ある日ふと私にこう漏らしたことがあります。「貨客船が海軍で貧弱な輸送艦として使役されていくうちに、艦であること、強くあること、強い権威と地位があることを願い、軍艦に改造され、段々と中身も艦になり、艦となって艦船を使役するようになる元船」。「『弱者の身振り』。冲鷹を見ていると、そんな考えが浮かんでならなかった」と。(二六四-二六五頁)

    *****

     ここで私は、太平洋戦争時に徴用された船舶たち、あるいは海軍の艦艇となった特設艦艇たちの書いた私小説や手記などの文学を「後日譚文学」と定義しようと思います。本来船舶が持っていたはずの海運や船としての名前、運ぶはずだった一等乗客の存在は、いわば海の上で生きる彼らにとっては自分の船生そのものであり、その穏やかな海の上は船たちの「国」そのものでした。ところが御承知の通り、あの戦争で船舶らが得たものは、勇ましい鷹としての名前、石油や物資、航空機の輸送、あるいは火の中の海でのごく僅かな戦果と広大な一枚下の地獄だったのです。船舶らの「国」は亡国となり、あの平穏だったはずの海は、大破した艦から漏れ出す石油の燃える苛烈な海となりました。彼らはその新しい「国」に適応せざるを得ない状況へと追いやられ、人間でいうところのディアスポラ――移民や植民したもの――という立場に置かれたのです。
     そして私が彼らの残した手記や文学を通して知ったのは、彼らが戦場の海になる前の平和な世界の海を欲していたということです。興味深いことに、これは開戦後に生まれたはずの戦時標準船らの文学にも見受けられました。彼らは戦下の海しか知らないにもかかわらず、素敵だったはずの昨日の海を欲していたのです。「素敵だったはずの昨日の海」、あるいは「昔の海」「少し前の頃の海では」「海が凪いでいた時のこと」、これらはどの戦時下の船舶文学でも共通して見受けられる記述です。今は亡き「国」を郷愁する船舶らの文学、それが「後日譚文学」です。

  • 「『 ノスタルジア 標準語批判序説 』完結にあたって・著者インタビュー」(『文学通 2025年8月号』)より一部抜粋

    「『 ノスタルジア 標準語批判序説 』完結にあたって・著者インタビュー」(『文学通 2025年8月号』)より一部抜粋

    ※この文章は、何故か知らないけど書いてたらいつのまにか完成した、私の作品で唯一の夢小説(…)である「 ノスタルジア 標準語批判序説 」に寄せた文章です。ぜんぶがぜんぶ架空です。

    ――なぜ夢小説になったのか?
    津崎飛鳥(以下、津崎):第一に、私が二次創作で物語を書くのが得意ではないからではないか。具体的にいえば、筆者があえて描かなかった物語の余白を私の拙い描写で埋めることに冒涜と嫌悪を感じる時がある。また、それを感じない時もある。前者と後者には明確な違いがあり、おそらくそれは物語における「視座」の違いのはずだが、これを言語化することに未だ成功はしていない。そのため前者も後者も含まれた二次創作全般に苦手意識がある。
     ただ、その苦手な二次創作を描くための明快な解決方法はある。それは原作枠では確実に存在しないし、これからもあり得ない話を描く事だ。たとえば『マーダーボット・ダイアリー』で言うのならば「マルウェアに感染した警備ユニットがグラシンに一目ぼれする」とか、同シリーズの『ネットワーク・エフェクト』時に「ラッティとティアゴが不倫をしていて警備ユニットが満を持して『眼を潰す』」話とか、そんな話を描けばいいのだ。それは筆者があえてえがかなかった余白と余情を勝手に埋める行為でも、筆者のえがく素敵な話に勝手にらくがきを足しているとかでもなく、完全な二次時点での創作だ。それが二次創作というものだ。二次創作をする者はその両者を明確に区別し、自覚的に描くべきではないか、と感じている。また、この提言は筆者の物語にらくがきを描き出す行為が悪だと断じているのではないとは明言しておきたい。この点、夢小説は潔いほど「ありえない話」である。
     第二に、「ノスタルジア 標準語批判序説」はいわゆる夢小説というよりは『マーダーボット・ダイアリー』の世界観への所感の文章だ。いくつかのところに記載したが、あれはあの惑星の行政や福祉や「障害」の文章が主体となって構成されているのであって、「推し」キャラと自己が投影されたであるらしい架空キャラとの愉快な関係性の物語ではない。正直そんなものはどうでもいい。いわゆる純粋な「難民」といわれる立場に置かれている登場人物がマーダーボット以外に不在であったために、「障害」を明瞭化することが二次創作では困難だった。警備ユニットは人間の福利厚生など享受しない。医療福祉は人間のものであり、人間的な話でもある。病や貧困の話である。だから結果としてこのような形に落ち着いたまでだ。いわば夢小説とは氾濫した理論と形式のスケープゴートだ。この氾濫は命名により調停される。視座を失い、着地点が曖昧となった物語がたまたま夢小説と名づけられたにすぎない。
    ――着地点が曖昧となりつつも、物語で目指したものは何か?何度か指し示している「障害」と関係があるのだろうか?
    津崎:この物語は、ある種の難題的人生が社会用語へ収斂されていくさま、一個人の文学的ともいえる体験が行政に障害として認定されるさまを想定してえがいた。太宰治の破滅的人生と鬱鬱とした文学的思考が現代の精神医学へ繋がれたときそれは五六文字程度のただの病名として収斂される。収斂までのそれまでの経過は一言で断言しきられる。診断書などによって。あるいは素人の無邪気なレッテル貼りによって。
     この物語は「経過」が主題だ。昔の-1から現在の0への移行の間を経過と呼ぶ。0地点から見たその経過を、過去とか、追想とか、栄光とか、思い出とか、昨日の世界などと呼ぶ。それぞれがそれぞれの想いで名前をつけて過去を呼ぶ。主人公は過去を苦々しいベル・エポックと解釈していただろうし、アンは長期間の被虐待経験と呼ぶだろう。企業に雇われていた、灼熱の採掘施設で労働していた、選別台を動かしていた、同僚が殴られていた、集鉱機に落ちて死んでいった、働くことは辛くて熱くて苦しかった、誰かが泣いていた……だがそこには小さな石ころみたいな幸せがあったのだ、労働と幸福が奇妙に結びついていたのだ……という企業リムの世界は、プリザベーション・ステーション警備局の上級局員のインダーによって「企業の奴隷労働者収容所」と定義される。ここで私はヴィクトール・フランクルを想起する。ナチに囚われたユダヤ人の絶対的な強制収容所体験を喚起させる。彼には収容所においての経験がある。そこでも彼は点呼場の前で仲間たちと見た夕暮れの空の美しさを忘れなかった。彼は労働苦役で壕を掘っていた最中でも、外に見た絵画的情景を憶えていた。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所でも収容者たちは「感動する」という人間的感情を捨てなかったのだ。「奴隷労働者」が「収容所」で見た世界の美しさを、どうしてインダーが否定できよう。精神病既往歴や虐待経験歴を診断書に書かれたとき、誰にかれが「ただの不幸な人間」「かわいそうな人間」だと断定する権利があるだろう。それは他人に対する越権行為である。その行為に対して、自身も理由は分からないが一つの執着を感じている。人間の体験はそのように矮小化されてはならないと感じる。それが個人の負の時代であろうとも。いや負であるからこそ、なのか。
     また、この物語を完結させようとしたきっかけは今回の参議院選挙であったために、初期計画であった「障害」のほか、いわゆる「難民」、移民の物語という色も濃く現れた。「ファースト」と呼ばれる人種が存在する、という思想が存在する、という一つの共同体が存在する、ということも念頭に置いて書いた。また、日本語=標準語と生存の関係については、李良枝の愛読者を自負する者として一定の考慮をしたつもりだ。
    ――内容の出来に自信はあるか?
    津崎:夢小説マニアではないので夢小説みを達成しているのかわからないが、一つの小説としては正直、多少なら面白いと思う。
    ――正直疲れてる?(笑)
    津崎:疲れてる(笑笑)普段やってないことをやっている自覚はある。この夢小説もそのひとつにすぎない。いずれにせよ、それを自覚し、自省し、ここから跛行し出発するしかないように、私は思うのだ。

    (『文学通 2025年8月号』「『 ノスタルジア 標準語批判序説 』完結にあたって・著者インタビュー」より一部抜粋)

  • 企業・組織擬人化創作小説「人間(ひと)の愛し子 抄」

    企業・組織擬人化創作小説「人間(ひと)の愛し子 抄」



    ※この物語はフィクションです

     この混乱期に長崎に向かうことができたのは幸運だったに違いない。
     三菱重工業はそう己に言い聞かせていた。
     祖国の敗戦を受けてたった三日後、彼は故郷であったその地に赴くことができた。本社の面倒を打ち捨て、一心不乱にただ長崎へと向かった。あとで社員や重役に露呈すれば怒られるにちがいなかった。それに失望されるだろう。この非常時に己の会社を捨ててくるうつしみがいるだろうか。
     会社である義務を捨て矜持を捨て、まるで一人の人間のように、欲求のままその地へ赴いた。わが胎動の揺り籠。官営の長崎造船局を前身に戴き、三菱の長崎造船所として彼はその地で生まれた。彼は上海が間近なその地を恰好の稼ぎ場として愛し、八幡製鉄所の温かい膝元として愛し、端島炭坑と高島炭鉱の供給場所として愛していた。それ以上に、東京とはまた一味違う風情を愛していた。グラバー邸や中華街のような異国情緒を、長崎くんちの華やかさを、坂の多い街を、人びとを愛していた。まるで人間のように。人間のようにそれらを愛していることを実感する時に、自分が人間のようだと感じることを愛していた。彼は、長崎が好きだった。
     汽車の中で彼はその「幸運」を己に言い聞かせていたが、もしまわりの人びとがそれを聞いたのなら正気を疑ったに違いない。
     誰も故郷が爆心地となっているところを見たいとは思わないだろう、しかも自分のせいでそうなったのに、と。

     長崎への原爆投下はたった数日前のことであった。
     その状況の惨状は彼の耳にも入っていた。たくさんの人間が焼けただれ果てるとはどういうことなのか?東京の空襲とはどう違うのか?一面が更地になっているとはどんな情景なのか?すべてがすべて、空絵のように想像がつかなかった。だから直接見に行くしかなかった。
     どうにか運行していた列車を乗りついだ。軍隊から解放された兵士や労働者や、朝鮮人。早くも復員につけた幸福な内地人。もう空襲が来ないことで堂々と町へ帰ることができる疎開した人びと。
     泥と埃にまみれ、皆が皆疲れ果てた顔をしていた。敗戦に打ちひしがれているというよりも、ただ単純に、疲れているだけに見えた。そこにはお国や鬼畜米英や大東亜共栄圏などの栄えある大義がなかった。やつれた小さな人間たちがいるだけだった。
     窓際の席に押し込まれるように座っていた重工は、ぼんやりと外の風景を眺めていた。なにもなかった。彼が気づかないうちに、この国はなにもなくなっていた。
    「土佐は、どう思うかな」
     ぽつりとつぶやいた自分の言葉に、重工は驚いた。ふいに大声で笑いそうになり、どうにか堪えた。
     なんだ、やはり自分はあの子の処遇を気にしていたのだ、と今更に彼は気づかされたのだった。
     ワシントン海軍軍縮条約下のもと、せっかく生んだにもかかわらず軍縮のためにそのまま沈めるしかなかった日本海軍発注の戦艦・土佐。三菱重工業にとっては第三三三番船たるふねの死を、とっくに乗り越えた――あるいはそもそもあまり気にしてもいなかった――と彼は思っていた。手渡しさえすればそれは発注相手の所有する製品なのだ。自分の物ではない。好きに自沈させればよい。それなのにいま思いだすのは未完のふねの容貌と、そのうつしみたるあの子の鮮明な眼差しだった。彼の脳裏の戦艦土佐は今、その視線で親の末路を問うていた。

     あの海が見えれば、長崎も近い。彼は気持ちに急かされて、長崎造船所を訪れた。
     長崎造船所だった場所を訪れた。
     彼は「幸運」の結末をその地で見た。
     瓦礫に埃、何が焼け焦げたのかわからない痕、死臭、死体、服の切れ端、そういったものすべてが、「かつてのもの」としてそこにあった。
     浦上駅を降りた先に、浦上天主堂がある。彼は異教徒ではなかったが、その建築と意匠に密かに感銘を受けていた。人間の造る構造物が好きなのだ。それにキリスト者の人間たちが熱心に祈るその姿を、長崎特有の美徳として彼は認めていた。浦上天主堂はがらくたのように崩れ落ち、原型を留めていなかった。
     そこには三菱長崎造船所幸町工場があった。三菱長崎製鋼所第一工場、三菱長崎製鋼所第二工場、三菱長崎製鋼所第三工場があった。三菱兵器茂里町工場が、三菱工業青年学校が三菱電機鋳造工場、三菱兵器半地下工場があった。多くの人間たちが居たはずだった。多くの人間たちが兵器を造り、それが飛び立ち駆り出され、戦地へと向かい、敵国人を殺戮していたはずだった。原爆の目的が自分の兵器工場であろうことを彼は理解していた。自分だったらそうするだろうからだ。
     
     一機のB-29が飛んでいた。
     その下には膨大な瓦礫があった。
     瓦礫の上に立っていたのは、自分の「子ども」たる戦艦土佐だった。彼は親切に教えてやった。
    「あれはB-29と言ってね。いろいろなものを日本へ運んできた。まあ、黒船のようなものだよ。でも砲をぶっ放している黒船だ。ボクたちはいつもアメリカの乗り物に手が届かずに、ぼんやり見つめているだけだねえ……」
     土佐はにこりと笑って言った。悪戯に成功した子どものような笑みだった。
    「もう少しで届いたかもしれませんよ」
    「そうかもね。お前のようなふねをいっぱい生んで対抗したから」
    「頼りなくて、ごめんなさい」
    「そんなことはない。お前たちは上手くやったよ。ボクがそう造ったからね。悪いのは運用者だ」
    「にんげん?」
    「人間と、人間と同じような存在のボクだ。土佐」
     すぐ近くに赤ん坊の死体が残されていた。この子にもこの世に生まれた理由あったに違いなかった。三菱重工業の兵器工場を狙った原爆に巻き込まれずに、生きる価値があったに違いなかった。まっすぐな親の愛情が、この生を生み育んていたに違いなかった。
     だが重工はそれを無視して言った。今はただ自分の子どもである土佐に土佐だけに顔を向けた。土佐を見つめて、土佐の顔を懐かしく思い、それが狂おしいほど愛おしく思えた。彼は土佐の顔を覚えていた。記憶と寸分も違わぬあどけない顔だった。記憶が違わなかったことが嬉しく、また誇らしかった。彼は自分の製品の容貌と顔をひとつたりとも忘れたことがなかった。それが彼の誇りだった。
     重工は背筋を伸ばし、それから頭を深く下げて土佐に言った。
    「お前には、ほんとうにすまなかったね」
    「そうしたくなくても、そうしなければならなかったのでしょう?」
    「ただ金儲けしか考えてなかったのかもしれないよ」
     その言葉を聞いて土佐は淡く笑った。すべてを知っている、わかっているというような笑みだった。受容、寛容、侮蔑、拒否、愛情、憎悪、離別、そのようなものをすべて含んだ横顔だった。土佐は殺すために自分を生んだ親を理解していた。⁠その表情を見た瞬間、重工は灼熱の業火の中にいた。溶接の炎の中にいた。砲火の炎の中にいた。空襲の炎の中にいた。B-29が放った炎の中にいた。この炎が蜃気楼なのか夏の灼熱の幻影なのかも重工にはわからなかった。それでもその熱さを甘受するしかなかった。辛くはなかった。なぜなら空襲の戦火も、長崎の原爆も、艦砲射撃の砲火も、八幡製鉄所の鉄も、その熱さは重工とつねに共にあったからだ。この熱さをわが親とし、伴侶と決め、産屋と思い、揺り籠であると知っていた。⁠だからこの熱さでボクはまだやっていける、まだ生きていけると重工は思った。すなわち此処こそが重工にさだめられた生業であり常態の地獄であるに違いなかった。
     B-29が飛んでいく。
     蜘蛛の糸のような白い飛行機雲をえがき飛んでいく。
     自分の生んだ航空機と同じ音を立てて飛んでいく。
    「綺麗ですね」
     と土佐が言う。空を仰ぎ見る彼の眦が無垢に染められ、きらきらと光っていた。
     戦艦土佐が笑う。
     重工も晴れ晴れと笑った。
    「うん」
     八月十八日、三菱重工業は被爆した自分の誕生地で、戦禍と同じように自分が生んだふねであり沈ませたふねである戦艦土佐に、わが製品に、わがふねに、わが存在意義に、わが愛し子に、赦されたことを理解した。

  • oekaki練習コーナー

    oekaki練習コーナー

    お絵描き練習です


  • 「渺渺録」構想(合冊版にする際の構成順)

    「渺渺録」構想(合冊版にする際の構成順)

    ※「渺渺録」がすべて完成して、通しで1つの物語あるいは合冊版同人誌にする時の構想として、順番に並べておきます。少々長いですが。

    切れ端だらけで何が何だか分からないと思いますが、点を点とを線にするために頑張っている次第です。ほんとうに先が長いですね。

    ※漫画を描き次第、合間合間に挿入していく形です。時折加筆修正を施しており、その場合はページ「渺渺録」に掲載のある各話(単話)ページではなく、まずここに最新修正版が掲載される場合があります(両方差し替えるのが面倒なので…)。基本的にこのページの作品が最新です

    ※2025/10/23更新


    企業・組織擬人化>「渺渺録

  • 企業・組織擬人化創作漫画「ほなさいなら」(「渺渺録」)

    企業・組織擬人化創作漫画「ほなさいなら」(「渺渺録」)

    それぞれの追想

    Bluesky X

    企業・組織擬人化>企業・組織擬人化創作漫画「渺渺録」>「ほなさいなら」