※2章の何話に挿入するか悩んでいる小話たちです。
1
「伊号百五十七潜水艦の艦上で、あいつと一緒に敗戦を迎えた。後日、あいつは五島列島沖で爆破処分されたと聞いた」
「……それじゃあ、」
と、言葉に悩んだくろしおが言えたのは、何の意味にもならないその一言だけだった。そんな精一杯の言葉も艦長の耳には入っていないようだった。
「戦争が終わった、俺たちの帝国海軍が、大日本帝国が負けたと聞いて、悔しいという気持ちや純粋な怒りが……、生きる意味を見失った、そういった気持ちが……ああ、いや」
艦長は目を閉じ一瞬黙った後、ふと苦渋の笑みを漏らしながらこう言った。いけしゃあしゃあと、恥知らずにも言ってのけた。
「『生きていてよかった』。……そう思ったよ。伊百五十七のこれからのことも、海の底で爆雷を受けて、魚雷や砲撃で木端微塵にされて、無残に沈んで行った多くの戦友のことも、これっぽっちも頭になかった。生きていてよかった。死ななくてよかった。俺には果てしない未来があった。たとえ祖国にはなかったとしても。伊百五十七や戦友にはなくなっていたとしても。純粋なエゴだよ。……アメリカとの戦争を始めたのは俺たち、海軍の軍人だったのになぁ」
「……」
それはくろしおに対してだから言えたことなのかもしれない。艦長にとって、くろしおは未だ日本人でも日本の艦でもなく、アメ公の潜水艦だったのかもしれなかった。
[※略]
2
「おやしお」
「ん?」
くろしおは小さき潜水艦相手にうやうやしく片膝をついた。ホワイトの手袋に包まれた小さな右手を両手で包む。この特注の手袋、あまり質が良くない気がするぞとくろしおは思った。この国は、その場しのぎで作ったありあわせのものばかりだった。
目的を忘れ、礼儀にうるさいアメリカ人の目線で手袋を点検していたくろしおは、おやしおの軽蔑したようなジト目に気づき、この日一番のキメ顔をキメてみせた。
「……君は、作戦潜水艦ではなく、『水中目標艦』としての使命を担っています」
小さな子供に――実際そうなのだが――言い聞かせるように、くろしおは優しく言った。
「君は攻撃、機雷敷設や哨戒―そういった潜水艦の陰の栄光すら受けることはありません」
「そうなの?」とおやしおは不思議そうに尋ねた。水中目標艦の意味も機雷敷設の意味もよくわかっていないようだった。「そうだよ。でも、それはぼくもおなじ。一緒にがんばろうね」
「……君には、先代はいない。見据えていいのは前だけです」
そこまで説いて、彼が静かにこちらを見つめていることに気づいた。ひたすらに穏やかな瞳。エメラルドグリーンでもナイルブルーでもセピア色でもない、ただただ深遠な黒さを湛えた瞳。
「君は、いい目をしているね」
思わず口から出たそれは、当初、先輩として潜水艦の教えを説こうとしたものとは関係のない、単なる感想だった。意外な感想だった。己はこの黒い瞳を、なにより不気味がっていたのではなかったか。
あ、そうか。そしてくろしおは気づいた。
海の底の色と一緒だ、と。
僕が見慣れた、海底の色。戦争の色、恐怖の色。安堵の色。
ぼくの存在の象徴の色だ。
「ここが海。海へようこそ。君の本体が入っているあそこが海の中だよ。これから君の見る世界は真っ黒だ。君の考える世界はいつも真っ黒」
くろしおのその言葉に、初めておやしおの瞳が揺れた。波のように静かに揺蕩う。
「的」としての艦生は、海底で爆発を起こして重油を――あるいは煙草やバターやハムや燐寸を――水面に浮かせ、沈んでいくことより、誇りあることなのだろうか、と元ミンゴは思う。
ぼくは残念ながら、選択権があったのなら後者を選ぶだろう。「潜水艦」という名称すら忌避され「水中目標艦」として扱われるなんて、あの昂揚を味わった後ではできるはずがなかった。だがぼくはそれをしなければならない。そしてそれは、この子も同様だった。
しばらく黙っていたおやしおが、ふと口を開いた。
「でも、そこにはくろもいるんでしょ?」
「え、」
「じゃあ大丈夫だよ」
二人で頑張ろ。おやしおはあっさりとそう言ってのけた。
[※略]
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