海上自衛隊は、米海軍軍人の手によって創られた。このことを多くの日本人は知らない。
この半分事実の冗談を揚々と披露しても、大抵の日本人は意味が分からずキョトンとしたままだ。というか、多くの日本人は海上自衛隊や海上自衛官のことは、新しく出来たよくわからない人種だと思っている。なんか日本海軍っぽい、よくわからない後裔集団だと思っているのだ。だが、セーラー服にポパイ帽姿の保安庁警備隊の隊員を、朝鮮人か中国人の水兵だと勘違いする日本人すらいた頃に比べれば、海上自衛官とそれ以外の区別がつくだけとても有難いのだろう。ミンゴは――じゃなかった、くろしおは思った。
くろしおが半ば海上自衛隊創設に携わったアメリカ人、アーレイ・バークと相見えたのはただ一度、日本が神武以来の好景気に沸く一九五七年の夏、東京においてだった。「三十一ノットバーク」って結局どこからのどういう由来だったっけか、とくろしおは頭の中でくり返しながら帝国ホテルのレストランで彼と話をしたのだが、くろしおは結局、なぜこの男が日本を評価する親日家となったのかを聞き損ねてしまった。くろしおとしては、この日本という国を好きになるための秘訣のひとつやふたつを聞き、参考にしたかったのだが。非常に残念だった。
彼はくろしおに、いろいろな戦時中の思い出や、潜水艦としての戦果(潜水艦ミンゴの個人的な武勲としては、喧嘩で乗組員に小魚を生で飲み込んでみろと煽られ実行し、相手を黙らせたことだった)、あるいは日本においての対潜水艦訓練目標としての苦労話や、ちょっと面白いと思う日本語の単語部門(くろしおは、ユーモラスなおしゃべりを指す「おちゃっぴー」かなぁ発音的にと答えた)などを一通り聞いた。ホワイトアスパラガスのマリネの前菜に、フランスオニオンスープ、赤ワインソースの鹿肉のメダイヨンに、デザートとして洋梨のベルエレーヌを一緒に食し、別れる際にメインロビーの大谷石の壁泉の前でその同胞と固く握手をした。これからのお互いの人生あるいは艦生に健闘を祈り合った後、別れの言葉を最後に彼はこちらを見つめて押し黙り、ふと思い立ったように言った。君はいつか、この国を深く愛するようになるだろう、海よりもなお深く、深くね。
ぼくは、そうは思えない。くろしおは目線をそらし彼にぽつりともらしたが、彼はただ父親のような慈愛の目でこちらを見つめるだけだった。
くろしおが今も強く覚えているのは、目をそらした先にあった彫刻された大谷石と、透しテラコッタによって様々に装飾された帝国ホテルの内装の美しさだけだ。
[※後略]