ミンゴが日本人の乗員――のちの潜水艦「くろしお」(SS-501)乗員――と最初に出会ったのは、お別れ会から遡ること一ヵ月と二十五日前の、一九五五年六月二十一日あたりのことだったと記憶している。ミンゴはその日、メア・アイランド海軍工廠の人間と彼ら乗員たちの登場を待っていた。
遠くからやってきた彼らの、足並みの揃わない行進、小綺麗なもののどこかみすぼらしさを感じる身なり。何より印象的だったのは、彼らが明らかに軍人ではないということ――軍人の気質を持っていないということだった。後から知ったことだが、彼ら日本人の米国留学組の中には、今は亡き大日本帝国海軍の潜水艦乗組員も混じっていた。つまりは元軍人もいたはずで、実際のところミンゴの感想は完全に間違っていたわけだ。ではなぜ、彼らに対してそんな的外れの感想を持ったのか。日本人に対する敵愾心か?日本には軍隊を持たない空白期間があったから?ミンゴは、その感想の原因がしっかりとわかっていた。みすぼらしく笑う彼らの振る舞いは、完璧に敗戦国のそれだった。
ミンゴは決して大柄な体躯ではなく、それはアメリカの潜水艦乗組員も同様であった――潜水艦は乗組員の身体を置く場所すら惜しいほど狭い場所なのだ――が、はじめて間近で見た日本人は「ちっさ(笑)」の一言に過ぎた。
彼らの小さい背丈、細く切れあがった黒い瞳、黄色い肌――それらは、ミンゴが写真や映画、あるいはロサンゼルスの日本人街の近くやどこにでもある中国人街の片隅で見ていた「東洋人」そのものであった。ミンゴにとって彼らは異質の存在で、たとえば顔の区別がつかないとか、何を考えているのかわからないとか、みんな髪が黒いとか、そういう抽象的、観念的な存在でしかなかった。それが目前に現れている。
日本人達は海軍工廠の人間たちへの挨拶もそこそこに、自己紹介をしはじめた。
一九四四年の一月に横浜第四埠頭から米軍輸送船「サルタン」でサンフランシスコに来たこと、ここからさらに飛行機でニューヨークに向かったこと。またさらにニューロンドンに来て、そこのニューロンドン米潜水学校の一〇〇期生として抗議と実習を受けたこと。僭越ながら言わせていただくと術科成績は学校始まって以来の好成績で――英語はちょっとアレだったが――卒業したこと。卒業式には大西洋方面艦隊司令官と大西洋潜水艦隊司令官を来賓に迎えたこと――そして今、君を貰いに我々は来たんだよ、ミンゴ。
ええ、ええ、知っていますとも、その成績のよさは戦争中にも存分に発揮していましたものね、と連中に皮肉の一つでも言ってやろうとも思ったが、結局それは八つ当たりでしかないだろう。ミンゴはニヤッと気味の悪い笑顔(日本で言うらしい「愛想笑い」)で、彼らのプロポーズを有耶無耶に流した。彼らはその笑顔をいい意味でとらえたらしい。ミンゴ以外の海軍工廠の人間と後の乗組員との間に和やかな雰囲気が漂う。
[※後略]