海を越えなかった握手1:「ぼくの小さな神さま」

海を越える握手(ハンドス・アクロス・ザ・シー)」は、アメリカ合衆国の愛国心の象徴として有名な「星条旗よ永遠なれ(スターズ・アンド・ストライプズ・フォーエバー)」を作曲した行進曲(マーチ)王、ジョン・フィリップ・スーザが一八九九年に作曲した、とある日の沈まない斜陽国家との友情を謳った、華やかで華々しく華麗な行進曲である。
 曲の冒頭は管楽器の音色が――あるいは海を越えて結ばれる友情の風が――テンポ一二〇で逆巻くように流れる。彼の行進曲はピッコロの陽気なトリル*1が特徴的だが、他曲に比べ控えめなピッコロの輪舞とフルートの転調、重厚な音色のティンパニーとシンバルが控えめに唱和する。そしてその後はクレッシェンド、クレッシェンド、ガクッと肩を落とすようなフォルツァート。この行進曲は作曲から一〇年前の一九八九年の米西戦争で、マニラ湾において苦戦していたアメリカ海軍のデューウェイ提督を、イギリス海軍のチチェスター大佐が救援したことにいたく感激した行進曲狂いのスーザ(作曲した行進曲は一〇〇を超える!)が、米英の友情を願って「変わらぬ友情を誓いあおう(オワ・フレンドシップ・イズ・フォーエバー)」と書き下ろしたものである。アメリカの崇高な博愛精神と、世界すべての友人を自称する立場から考えれば、それはイギリスだけではなく、海を越えるすべての国に向けられた友情の証といえよう(一八九六年までアラスカを所有していた現ソ連は、作曲時には陸続きの国という認識の〝時効〟がアメリカ人の中では切れておらず、ゆえにこの友情は当時から今にいたるまで無効であった)*2。
 しかし実際のところ、海を越えた握手というものは、しばしば打算的で、俗物根性、即物なものであることを、彼は知っていた。
 それは見返りを求められることが多い。それは上っ面の友情の現れ、金銭的問題、外交情勢のためでもある。それは嫌らしい姦計。
 あるいは潜水艦の足りない国に自国のそれを貸与することであり、そしてその国は日本(ジャパン)とアメリカであり、たとえばその上で求められる協力、たとえば日本に求められるアメリカへの協力、たとえば海上自衛隊に求められるアメリカ軍への協力、たとえば海上自衛隊に求められるアメリカ軍への対潜目標艦としての協力、たとえば海上自衛隊に求められるアメリカ軍への対潜哨戒機の目標艦としての海自潜水艦の協力。
 海上自衛隊に潜水艦を貸与して、アメリカ軍の対潜哨戒機の目標艦として手伝ってもらおうということ*3。
 アメリカ海軍の(ユーエスエス・ ミンゴ)ガトー級潜水艦ミンゴ(エスエスートゥーハンドレット・アンド・シックスティーワン)(この艦名は、太陽が燦々と輝くカリブ海に生息しているフエダイ科ベニフエダイの通称「ミンゴ・スナッパー」――陸のうえに釣り上げられるとパクパクと口をひらき、マヌケな赤っ面を披露することで有名――にちなんでいた)は、この日、これからのアイデンティティについて悩んでいた。正義と栄光ある神の国・アメリカでではなく、一〇年前――主に駆逐艦タマナミや、名前が気にくわなかったManilaマルを沈没させた*5という貢献で――その調子の乗った横っ面を叩いてやった敗戦国・日本で行う使命とやらを、精巧な造りの機材で出来た優秀な頭脳で、絶望的な気持ちで考えていたのだった。
 そんな絶望的な絞首台を上がりきる前に、ミンゴは今まで歩んできた己の人生――もとい()生を回想していた。西部戦線・太平洋戦争を通じて二〇〇隻近く建造された潜水艦で、主に日本船団への攻撃、機雷敷設、哨戒、太陽に近づきすぎて羽のとけてしまった(もとい太陽(ライジング)の国(・サン)への攻撃にむかっていったが帰還に失敗した)英雄・B-29搭乗員の救出、ゲリラ活動の支援など、さまざまな栄光ある雑用に使われた汎用性のたかいガトー級の一隻(五九男)として「ミンゴ」は生まれる。
 なお、このガトー級は、広くは「ガトー」*6(SS-212)から足をもがれたメキシコサンショウウオのような魚の名〔伊語〕をつけられた「ティル」(SS-416)までをさす。しかしながらその中でも、びっくりするほど下あごが鋭利に突きだしている魚から借名され、本人もよろしくそれをものまねネタとして披露していた面白ネームシップの「バラオ」(SS-286)以降の潜水艦を、敬意と愛情をこめてバラオ級、と呼ぶのが一般的である。
 一番艦ガトーは一九四一年に就役し、ミンゴは一九四三年二月一二日の戦時中――ちょうど日本軍がガタルカナル島から撤退した頃――就役した。いわゆる、すでにアメリカ率いる正義の連合国が戦争で優勢(イケイケ)になりつつあった時期であり、ミンゴはアメリカ国民がリメンバー・パールハーバー真珠湾を忘れるな、と開戦よいしょ一発奮起していたという過去の出来事もしらない(フォゲット)し、なんならポーランド侵攻も戦争への行進の一歩だった世界恐慌も、狂騒の(ローリング・)二〇年代(トゥエンティース)も、あるいは(歴史にはてんで興味はなかったので)アメリカ人が神の導きで大陸に移ってきたということもそんなに――そして本人は気づいていなかったが、アメリカが自惚れた戦勝国になる前のつつましい、たった少し前の時代すらも知らないのだった。
 いい戦争(グッド・ウォー)だったな、とミンゴは思っていた。結局のところ、戦争で我が子を失った人間を除けば(というわけで我が子をうしなっていない潜水艦ミンゴも除く)、あれは最高に面白い時代だった。アメリカは大規模な本土爆撃をされていないし、経済だって立て直すこともできたし、長かった南北戦争の軋轢が癒えたのは戦友との団結であったし、世界でのリーダーシップも示せた。戦争にはそれら「よいもの」が一杯詰まっていた。それに単純にぼくら艦艇にとって戦闘は本能だし、そうそうそうだよ、ああでも、それは人間もおなじか、あきずに戦争しまくるもんな、剣呑。
 軍隊には、外にはない幸せがある(ゼア・イズ・ハピネス・オンリー・イン・ザ・ネイヴィ)
 戦時中の我が輝かしい戦果はあまりに偉大すぎて(ファッキン・アンビリーバブル)、こんこんと説明するには長すぎるのでここでは置いておくとして(太平洋に来た、潜望鏡で見た、小難しい国家理想をかかげる国に勝った、終わり)今は(くど)く長々とした苦渋の心情と過去の歴史の描写――これはおもに彼の現実逃避であった――を終えるときだろう。
 そんなわけで潜水艦(サブマリン)ミンゴくんは、アメリカ西海岸の都市サンティエゴにあるサンティエゴ軍港の桟橋で、盛大にお別れ会をひらかれていたところであった。
 お別れ会もといアメリカからの引き渡し式典は、ストライプ模様が美しい軍艦旗降下、凛々しい米国乗員の退艦、日本側乗員乗艦まで行われ――今、「ミンゴ」の艦尾にはジエイカンキ*7が掲揚されようとしている。ミンゴはそれを横目で見ながらバラオよろしくあごをしゃくらせて歯ぎしりをしていたが、アメリカ(元!)乗組員の一人がそれを見咎めるように睨んでいるのを機敏に察知し、アメリカ海軍軍人としての最後のプライドを見せつけるべく、その端整な顔を凛々しく引き締めた。
「ミンゴ」艦尾右側の「MINGO」と書かれたプレートを水兵が外すと、そこに現れたのは馴染みのない(ミンゴは数年前の戦争中に、そのフォントが「ひらがな」と呼ばれていることを知っていた)異国の文字――「くろしお」。
 ぼくは友情の握手の後の雑談ついでに差し出す、ちょっとしたお土産のようなものとして、あの国の戦後初めての潜水艦になるらしい。
 今日、このサンディエゴの海は一段と穏やかだ。ミンゴの心もこの瞬間だけは非常に穏やかだった。精神医学はいわゆる恩赦妄想という病像を知っている。すなわち死刑を宣告された者がその最後の瞬間、絞首のまさに直前に恩赦されるだろうと空想しはじめることである。かくしてミンゴも希望にからみつき、最後の瞬間までそんなに事態は悪くないのだろうと信じたのであった*8。しかし妄想はしょせん妄想であり、彼らの末路はただひとつである――。
 そう、その太陽に透かされた、十六条の血のような色の旗が翻ったところで丁度、元ミンゴもとい爆誕くろしおは、ついに絞首台を上がりきったのだった。終わり(ジ・エンド)

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*1 「トリル」=ある音とその半音下がった音を早連続して奏でること。このバカ陽気なトリルは、我らの行進曲「星条旗よ永遠なれ」に顕著である。
*2 ロシア領アメリカ。今のアラスカ州。一八世紀から一九世紀まで帝政ロシア(現ソ連)は土地に飽き足らず北米にまで領土を持っていた。
*3 当初、在日アメリカ大海軍は訓練への潜水艦派遣をその心の広さからこころよく受け入れたが、訓練頻度が増え、また朝鮮戦争時の極東情勢への対処などから要望に応えきれなくなってきた。そこで日本側の潜水艦貸与要請を、日米相互防衛援助協定において受諾しおおせたのである。
*4 内訳・モルモン教や福音主義、ユダヤ教、個人的な信念、国家、金、あるいは無宗教という宗教など。
*5 駆逐艦「玉波」と陸軍輸送船「まにら丸」。まにら丸が沈んだのはマニラ市街戦の三か月前であり、また前述のマニラ湾もふくめ、毎度様のマニラにはアメリカ国民として頭があがらない。
*6 「ガトー」:メキシコ海岸に生息する小さなトラザメの総称から。「ゲイトー」が正しい発音。ゲイ、トー。
*7  自衛艦旗。あの国の軍艦らしき軍艦じゃないフネが掲げる、かぎりなく軍艦旗にちかいもの。
*8 ヴィクトール・E・フランクル『ある(エリン・)心理学者、(プスュヒョロギー・エーリィブト)強制収容所を体験する(・ダズ・コンツェントラツィオンス・ラーガー)』、一九四六年。

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