艦船擬人化 【紹介】新田丸/冲鷹#紹介:艦船擬人化貨客船「新田丸」/航空母艦「冲鷹」新田丸/冲鷹(ギャラリー表示) #新田丸/冲鷹設 定 日本郵船の貨客船。そのことに対して愛着と誇りが高く、貨客船としての生を喜んでいた。 長い黒髪が印象的な深窓の令嬢。自分の名前が好き。 航空母艦「冲鷹」に改造されてからは「軍艦であること」に対して正しく忠実であろうと努力している。 が、小柄なため、周りからは侮られがち。 長い髪がだんだんと短くなっていくさまは、彼女の望郷への決別精神の発露であった。船 歴新田丸級貨客船・新田丸 日本郵船株式会社の貨客船。 1939年5月20日進水。 日中戦争下、また日米戦争(太平洋戦争)開戦の気配色濃い情勢の下に誕生した。 建造の費用は「優秀船舶建造助成施設」による補助を受けていて、建造当初から航空母艦への改造を構想されている。 船名は新田神社から。 姉妹船は 八幡丸 と 春日丸 。 ちなみにNittamaru, Yawatamaru, Kasugamaruの頭文字はNYK(NIPPON YUSEN KAISHA)となる。 彼女は自分の名前に愛着があり、よく新田丸の由来を触れ回っていた。 いわゆる「現代日本様式」の内装の船として造られている。 浅間丸や氷川丸が「西欧」の内装であるのに対して、新田丸は日本式(和式)/モダニズムの内装となっている。 貨客船新田丸は欧州航路に配船されることになっていた。 が、1939年9月、欧州で対独戦争が始まったため、比較的安全な北米航路に変更された。 しかしその航路も、日米関係の悪化によって1941年7月の第7回航海で中止となった。 9月、新田丸は海軍徴用船となる。太平洋戦争開戦 1941年12月太平洋戦争開戦。新田丸は輸送船として任務に従事。 この時の捕虜輸送任務で捕虜を処刑している。 この頃から新田丸の名への想いと、外航航路への再就航の期待の話をしなくなる。 1942年5月、呉海軍工廠で空母への改装工事の命令を受け、改造後に航空母艦「冲鷹」となる。航空母艦・冲鷹として 8月20日航空母艦冲鷹として完成。 新田丸貨客船で最後に改造された。 そのため新田丸級貨客船は「大鷹型航空母艦」となる(ネームシップは大鷹(元新田丸級貨客船三番船・春日丸))。 空母となったものの、カタパルト装備などの問題で戦闘は難しく、航空機の輸送任務に就く。 彼女にとってこのことは屈辱であり、華の戦闘へと加わっている商船改造航空母の隼鷹への憧憬をどうしても隠せなかったという。 1943年12月4日の雷撃(魚雷攻撃)により戦没。
#紹介:艦船擬人化
貨客船「新田丸」/航空母艦「冲鷹」
新田丸/冲鷹(ギャラリー表示)
#新田丸/冲鷹
設 定
日本郵船の貨客船。そのことに対して愛着と誇りが高く、貨客船としての生を喜んでいた。
長い黒髪が印象的な深窓の令嬢。自分の名前が好き。
航空母艦「冲鷹」に改造されてからは「軍艦であること」に対して正しく忠実であろうと努力している。
が、小柄なため、周りからは侮られがち。
長い髪がだんだんと短くなっていくさまは、彼女の望郷への決別精神の発露であった。
船 歴
新田丸級貨客船・新田丸
日本郵船株式会社の貨客船。
1939年5月20日進水。
日中戦争下、また日米戦争(太平洋戦争)開戦の気配色濃い情勢の下に誕生した。
建造の費用は「優秀船舶建造助成施設」による補助を受けていて、建造当初から航空母艦への改造を構想されている。
船名は新田神社から。
姉妹船は 八幡丸 と 春日丸 。
ちなみにNittamaru, Yawatamaru, Kasugamaruの頭文字はNYK(NIPPON YUSEN KAISHA)となる。
彼女は自分の名前に愛着があり、よく新田丸の由来を触れ回っていた。
いわゆる「現代日本様式」の内装の船として造られている。
浅間丸や氷川丸が「西欧」の内装であるのに対して、新田丸は日本式(和式)/モダニズムの内装となっている。
貨客船新田丸は欧州航路に配船されることになっていた。
が、1939年9月、欧州で対独戦争が始まったため、比較的安全な北米航路に変更された。
しかしその航路も、日米関係の悪化によって1941年7月の第7回航海で中止となった。
9月、新田丸は海軍徴用船となる。
太平洋戦争開戦
1941年12月太平洋戦争開戦。新田丸は輸送船として任務に従事。
この時の捕虜輸送任務で捕虜を処刑している。
この頃から新田丸の名への想いと、外航航路への再就航の期待の話をしなくなる。
1942年5月、呉海軍工廠で空母への改装工事の命令を受け、改造後に航空母艦「冲鷹」となる。
航空母艦・冲鷹として
8月20日航空母艦冲鷹として完成。
新田丸貨客船で最後に改造された。
そのため新田丸級貨客船は「大鷹型航空母艦」となる(ネームシップは大鷹(元新田丸級貨客船三番船・春日丸))。
空母となったものの、カタパルト装備などの問題で戦闘は難しく、航空機の輸送任務に就く。
彼女にとってこのことは屈辱であり、華の戦闘へと加わっている商船改造航空母の隼鷹への憧憬をどうしても隠せなかったという。
1943年12月4日の雷撃(魚雷攻撃)により戦没。