『関釜連絡船』を読む/つづけて『あまりに野蛮な』を読みすすめる、他
金賛汀『関釜連絡船 海峡を渡った朝鮮人』を先日読了。
下関-釜山間の鉄道連絡船こと関釜連絡船について、またその航路のもたらしたものについての書籍であった。壱岐丸からはじまり崑崙丸へ至るまでの命名地の変遷がなまなましい。やがて大陸へ。やがて世界へ。
また津島佑子『あまりに野蛮な』を読み進める。李良枝が在日コリアンの目線から「朝鮮と身体性」に迫ってえがいたものを、津島は日本人の目線から「(植民地)台湾と身体性」に迫ってえがいている。すぐれた物語。
また、ここでは台湾航路の蓬莱丸が出てくる。
こちらは古本相場15000円なのに、なぜか1500円で入手できたもの。古本屋では時折ある事案。
こちらは新品で。
林和の詩を再び想起してみよう。先に見た詩「海峡のロマンチシズム」で、林和は東京を、芸術や学問、思想など近代性が「高くうねる」場所であると宣言した。資本主義近代文明の象徴・東京で「すべてを学び、すべてを身につけ」、ふたたび玄海灘を渡るときは、悲しい故郷の夜を明るく照らすと歌った。「相手の刀で相手を打つ」という命題である。
/『帝国大学の朝鮮人』
『外地巡礼』の世界観を物語として私なりに描けないか、と思う。
『日本郵船戦時船史』を読んだり読まなかったり
最近、というか少し前の一時期、『日本郵船戦時船史 太平洋戦争下の社船挽歌』を読み進めていた。これからも少しずつ読み進めるつもりだ。
戦争で戦没した企業の船(軍隊の艦、ではない)の記録である。
◎デジコレで『日本郵船戦時船史』読む。
圧倒的に読みやすい。紙の本は分厚く、稀少なので本に遠慮してしまう。
◎船を失ったが優秀な乗組員も失った、という記述。
◎発行時の社長は有吉義弥氏。
◎「三菱商事株式会社船舶部並びにその後身である三菱汽船株式会社の所有船も併せ記録されて居ります」。(コマ番号9/519)
◎三菱汽船株式会社も所有船の九割を喪失して乗組員も殉職したけど、船の大半が油槽船だったから遭難状況は一層壮絶だったと思うのよね、とさらっと書かれている……(9/519)
◎「これ以上遅延することは資料散逸の恐れがある」ため、先に合併した三菱海運株式会社の前身である三菱汽船株式会社の所属船を含んで記録書の発行を計画、とある
◎「日本郵船二百三十七隻、三菱汽船四十八隻の他に日本郵船所属の小蒸汽船、機帆船などを加え、計二百八十二編に及び、戦没者は日本郵船四千百四十三人、三菱汽船四百八十七人、更に他社よりの派遣者、徴用による乗組員など、七十八人、計四千七百十七人」の記録(10/519)
◎第一船は照国丸。1930年の話。「日米開戦を前に欧州に勃発した第二次世界大戦の余禍を受けて沈没した」。
◎照国丸乗組員「遭難時殉職者なし」の記述、いまだ留めたる平時とその栄光だ
◎第二船は香取丸。ここから太平洋戦争期となる。基本全ての船に「徴用種別」欄があるのでわかりやすく便利(香取丸は「陸軍期間傭船」)。また「護衛艦艇」「僚船」欄もある……(さいごがひとりなのはさみしい)
◎「暮れ近い夕日は瀬戸の海を美しい朱に染めて、この海の続く果てに香取丸が撃沈させられた血なまぐさい戦争が起こっているとは思えないような美しさであった。」(24/519)
◎救助してくれた駆逐艦吹雪や沈没後の司令部の乗組員への対応…緒戦当事にあった陸海軍と商船側との温かい交流を永く忘れることができない、戦争末期にあったようなとげとげしい対立はまったくなく、心から商船隊の苦労に感謝していたようだった、との機関長の証言。勝ち戦ゆえに軍部にも余裕があったのだろう、という指摘がある。
◎盛岡丸は、船のなかで密航者(炭坑夫)を捕まえたために引き返している途中で日本の敷設機雷に掛かって沈没、という船。密航者のその後も気になる。
◎甲谷陀丸はカルカッタまると読む。
[続く]
Amazon「ペーパーバック」版の本を買ってみた
森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』(平凡社ライブラリー)のkindleは、バージョンが古いのかなんなのか、フォントや表示が微妙に他の電子書籍と違う。
こういうものははじめて見たし、この本でしか見たことがない。
実はhontoを使っていない大きな理由の一つが「発行年の古い本はビューアも古い」ことにある。本によって表示や使い方が違うとなんとももやもやする。気が散るのだ。理由はわからない。神経質だと自分でも思う。でも統一感が欲しい。
というわけで『奈落の神々 炭坑労働精神史』は紙で入手したかった。敬愛する森崎和江の本だし……。
とはいえ、出版社のサイトでも絶版表示。他のオフライン・オンライン書店にも在庫はあるわけがない。「悔しい……あと10年早く生まれていれば……」と思う瞬間、それは本が絶版し、新品で入手できない時だ。
無駄な足掻きとわかっていてもひたすら在庫を検索し続ける日々であった。
だがしかし、実はなぜかAmazonには在庫があるのにはそもそも気づいていた。
(これ)
この情報はあえて無視していた。
たとえば、2670円のペーパーバック、とある。
が、『奈落の神々』の定価は出版社サイトによると1495円(本体1359円+税)である。なぜか高いのだ。転売かなにかか?と疑ったりした。
それにしては発売元も出荷元もAmazonである。そして新品のようだ。在庫も少なくない様子。
うーん怪しい……。昨今のAmazonを信じていいのだろうか……。でも紙本があるなら是非欲しい……。なぜ定価より高いのだろうか……。それに他の場所ではどこも絶版なのに……。
と悩みながら、ひたすらネットで調べていたところ、Amazonペーパーバックについての情報ブログ記事があった。
どうやらAmazon社が書籍を紙として印刷してペーパーバックとして販売しているらしい。たしか岩波オンデマンドブックスも似たような方式だった気がする。
ダメ元で、また怖いもの見たさで実際に頼んでみた。
下の『近代の呪い』は絶版でない平凡社ライブラリーの書籍だ。新品で入手した正規のもの。文庫本+カバーつき。
上にある『奈落の神々 炭坑労働精神史』が今回Amazonで注文した「オンデマンド」版となる。まさにペーパーバックである。カバーもない。
開いたところ、内容についてはおかしいところもなく、印刷も綺麗だった。
フルカラー印刷となるとまた変わってくるのだろうが、モノクロの文章主体の本なら違和感はない。
絶版本が多い昨今、興味深く、悪くない制度だと感じた。導入している出版社がいくつかあるのだろうか?
もう少し情報を発信してもらえると利用する客も増えるだろうし安心感もあるだろうと感じた。逆にこれを全く知らずにペーパーバックを注文した人は「偽物」だと感じるかもしれないので……。
第二君が代丸の時代
大阪の港の写真を見つけたが、済州島の写真は見当たらず……どのような港だったのだろうか
杉原達『越境する民 近代大阪の朝鮮人史』をだいぶ昔に読んだ。とても興味深かった覚えがあるが、内容の仔細をしっかりとは覚えていない。やはり読書をしたらメモやノートを作らなければ……。
「君が代丸に乗った時に嗅いだにおいが忘れられない」といったような証言を読んだ記憶があるが、それもどこにあるのかわからなくなった。よくない。重要で身を切るような証言だと感じる。
著者は朝鮮にルーツのある知人との語らいのなかでの「「まあ言うたら、あの船が自分たちのここでのくらしをもたらしたんやな」というさりげない供述が、実は本書の組み立てに影響している」という。船によって功罪、損益、悲喜、それら諸々がもたらされ、またそれらを軽く超越して、君が代丸は「ただそこにあった」。
「君が代丸」とは、疑いもなく「奴隷船」であり、しかしながらうまくいけば白い飯や小金儲けが可能となるかもしれぬ手立てであり、「文明」の体現者として帰還する夢を見させてくれる「憧れの船」でもあった。また「君が代丸」は、民族独立・階級解放闘争の公然たる(あるいは非公然の)現場であった。この意味では、敵の存在、敵の制度、敵の技術を「生かし」「利用」しながら、それを乗り越え克服してゆくべき象徴に他ならなかった。
/『越境する民 近代大阪の朝鮮人史』
津島佑子『あまりに野蛮な』ひきつづき読む
『あまりに野蛮な』について、津島佑子は「植民地の問題というのは男女問題とアナロジーになっているというのがクセモノで、エロスの問題につながってるんじゃないかと思います。この小説も植民地の問題を扱っているんですが、そのため、ものすごくしつこく夫婦のいとなみを書き込んでいるんです」(『植民地文化研究』第十号:孫引『外地巡礼』より)と言っているらしい。その植民地の話、その男女関係の話、と一緒に、父になること/母になることについて津島は描いているように思える。私はここで、『トラウマの医療人類学』にある「スピヴァックは「ポストコロニアリティとは強姦によって生まれた子どもである」と言う。日本の多文化間精神医学の課題を考えていくときに、これほど鋭い言葉を私は知らない」という記述を再び想起する。切れば血のほとばしるばかりの物語だ。ほかの津島作品も読まねば……。
祈りにかえて > 2024年11月17日~11月20日