貨物や旅客を運ぶためにたくさんの美しい船が造られた世紀をご存知でしょうか。
 20世紀前半まではまだ旅客手段としての航空が発達しておらず、海を越えた国と国を行き交うには船を使うのが一般的でした。船会社の所有する船に乗り、外国へと渡っていくのです。
 たとえばアメリカに行くとすれば、あなたは荷物とパスポートを持ち、横浜で貨客船に乗り海を渡ります。出航の時には皆の別れの挨拶、歓声、笑い声、声、声が混じりあい、汽笛と歓声が響き、五色の紙テープが投げられて、別れを惜しむように後を引くのです。段々と陸は、祖国は遠ざかっていきます。海の色は段々と深くなっていくでしょう。あなたは船上からそれを眺めているはずです。そして船はシアトルやサンフランシスコへと向かうのです。あなたは東北の農家出身の四男で貧しく、亜米利加あるいは南米で食いしのごうとしている日本人移民で、もう二度と日本という祖国に帰って来ないかもしれないし、大日本帝国の外交官として亜米利加合衆国に渡り、かの国を牽制し、逆にかの国の国力を見せつけられて、内心舌を巻きながら帰ってくるのかもしれません。
 船は国と国とを行き交うのですから、国に属す船は国家の船、国家の顔でした。船のサービスすなわち国の礼節、船の清潔さすなわち国の秩序たりえるのです。日本国の、大日本帝国の船は親切で丁寧で洗練されていなくてはいけません。またその船客、一等船客もそうです。それらには著名人も多かったと言います。例えばチャップリンは日本郵船の船を好みましたし、船には皇族が乗ることもありました。
 しかし語るべきもう一つの主役は多くの三等船客の民衆たちでしょう。亜米利加や南米への移民として彼らは船に乗りました。美しい船に乗り美しく旅立ち、果実もまともに実らないような開拓地に行くこともありました。差別と何も育たない畑しかないような異国でやっていくしか生きる方法がなかったのです。だってあなたは不作続きの農民の四男で、姉たちは娘売りに売られていて、働き口も耕す畑も日本には無いのです。この国は貧乏で、人だけが多かったのですから。また、三等船客にすらなれないような、船底に隠れて海を渡る人びとも居ました。からゆきさんと呼ばれる女性たちです。女たちはひそかにふねに乗り乗せられ、朝鮮やシンガポールなどに運ばれて行きます。一つは誘拐や嘘で騙されて、一つは食べるにはそうするしかなかったので。あなたの住んでいる土地は人が多く、畑はやせ細っていてやはり貧しかったのです。のちにからゆきさんという集団名で呼ばれることになるあなたは、人目を避けてその船に乗るのです。船底で溺れようが機関室近くで焼け死のうが女たちは船底から異国へと渡りました。渡された、という方が適切かもしれません。あなたは甘言で騙されて娼婦になるのですから。華やかな世界と共にあった、これもひとつの地獄の情景でありました。
 あなたを乗せるその船はなにより美しくなければなりません。国家の顔なのですから。離別への装置なのですから。旅立ちの美しい瞬間の舞台なのですから。あなたを祝福する五色のテープが、船が美しくないわけがない。たとえ向かう先が地獄だろうがその美しさは誰にも犯せない。
 またそうでなくとも無邪気に人間たちは船を美しく造りたがりました。ふねは人間の道具であり、愛し子だったのだから、というのが私の見解です。設計家のあなたはわが娘を美しく造りたかったはずです。そして生まれたその内装の美しいこと、はじめは西洋に追いつかんとし、基本を西欧式として造られました。細部は髙島屋や川島織物に頼むことがあっても、全体のデザインはやはりフランスやイギリスに注文することが多かったのです。たとえば横浜に現存している日本郵船の貨客船氷川丸は横浜船渠で1930年に竣工、そのアールデコ調の内装はフランスの工芸家マルク・シモンによる設計です。
 氷川丸の竣工から数年後ほどのち、戦火が近づき国威の高揚に至っては、モダニズムを孕んだ日本様式を発露せんとして貨客船の内装が造られました。日本人の船は日本式でないといけない!あなたは大日本帝国の臣民で、視察や洋行に行くために日本郵船の誇る浅間丸に乗ります、祖国からサンフランシスコに行く時に、その船の内装が英国式格調の高い古典的なデザインではまったく駄目なのです。あなたはその美しさに見惚れながら、失望して怒りを表明するでしょう。国土の延長たる船で!なんたる国辱!すでに日本は一等国であり、西洋なんぞに随従しているわけではないのですから!
 それでも戦火がちらつき見える世界で、日本人と日本人、日本人と外国人、外国人と外国人は船上で友好を結びました。演奏会やダンスパーティーや赤道祭や船上運動会などのイベントもありました。そこは一つの文化の舞台で、秩序と優しさのある平和な世界でありました。
 あなたは祖国と諸外国との関係に漠然と不安を抱えながら、それでもただ一度だけの今を想いワルツを踊ったでしょう。あなたが何人で相手が何人だろうがここでは関係ないのでしょう。いまここだけなら世界平和の境地なのに、とさまざまな矛盾を無視しながらあなたはそう錯覚したはずです。
 茫漠と漂う爛熟した幸福と、ちりばめられた奢侈な調度品、海の上だからこそなおさら祈らざるを得なかった素朴な平和と友好の念、海を越えた友情の握手――そんなやさしい世界がそこにはありました。あなたは船長で、著名人と並んで写真を撮ったはずです。あなたはスキヤキ・パーティーという日本船の奇祭と箸に戸惑ったでしょう。あるいはあなたはこれから終の棲家となる南米での礼儀や常識の教育と講義を受けたはずです。あなたの夫はあなたの写真を見てあなたを自分の花嫁に迎え、あなたはまだ実際にはまだ見ぬ夫に不安を募らせているでしょう。あなたは船酔いに悩み、あなたは来たるべき新天地に心を寄せ、あなたは置いてきた老父母を想い、それでも新しい地で生きていくことを決意しました。船は海の上の社交界であり、新しい門出の地であり、祝福でした。
 あなたが愛した千紫万紅を彩る客船文化は花弁零れんばかりに開花していたのです。
 そしてあの第二次世界大戦が始まります。
 たとえばあなたが戦場へ行くとすれば、ふつうは赤紙で徴兵され、徴兵検査を受けて、合格して、万歳三唱で見送られて――となるかもしれません。そしてあなたは千人針と神社のお守りをひそかに胸にしまい込み、兵員輸送船へと乗るでしょう。そうです、たとえば、この兵士を戦地へと送る輸送船です。
 とりわけ南洋に広がった太平洋戦争では、兵隊や物資を運ぶたくさんの船が必要とされました。またその船を運航する人員が必要とされました。徴用船とその船員です。その両者は艦艇と軍人とは違い、軍そのものではありませんでした。運ぶだけの軍属であり、戦闘を行うわけではなかったのです。だからこそ戦場と軍隊のなかでは身分の保証がされ得ず、戦地ではなおさら悲惨な状態へと転落していきました。あなたは赤紙で徴兵されたのではなく、軍属として輸送船ともども徴用されたかもしれません。あなたはフィリピン海沖での輸送任務中に米潜水艦の魚雷で船ごと沈み、仲間をその後の機銃掃射で失い、あるいは溺死で、餓死で、兵士からの虐待で失うか、あなた自らがそれで死ぬのです。あなたが戦場で軍隊のなかで軍人として秩序たらしめられているのと、戦場で軍隊のなかで軍に雇われた軍属であるのとは地位と権威が変わってくるのです。そしてそれは大きく運命を分かちます。もちろんあなたが兵隊であってもあなたには別の地獄があり、悲惨な状況であるのにまったく変わりはないのですが……。
 海軍軍人よりも多くの割合で人員が戦死した、という軍属たちの怨嗟の声は、その華やかであったはずの叙述詩的世界からの転落とその戦地との落差に鮮やかに彩られ、殊更に悲惨に感じられます。
 だからこそ私は戦時下の海運というものをえがこうと思いました。
 美しかった生や美しくなるはずだった未来が戦争という災厄により無残にも失われ、灰色の徴用船や特設軍艦へと装いを変えられて戦場という火の海の中へと向かう元貨客船や元貨物船など(またその乗組員たち)は、私に越境文学的な離別を容易に彷彿とさせました。
 それを悲劇と捉えて消費するそこに一種の危うさがなかったといえば嘘になります。が、それでも私はそれを自分の命題として受容したのです。この世界を、世界の情景を描かねばならない、という想いを抱きました。
 この物語は、無名の多くの人間たちが交差することで成り立つ群像劇でした。
 それは企業擬人化という手法で、海運会社の「何も無くなった状態」を描くときに、唯一描けるのが人間模様だったからです。
 成熟した文化やそれを担ったわが船たち、それらが戦禍で失われた状況にあったとき、それでも手元に残ったのは人間たちでした。彼らは、あなたは、生を謳歌し、怒り、嘆き、喜ぶのです。全てを失った企業にあった、人間という淡い希望と重さが描かれています。
 そしてだからこそ、描かれなかったもの、残らなかった人間たちや船の影が本作を通してちらついているのです。あまりに美しかったものの喪失と、それとの離別の世界。
 少しでもあなたにこの世界の”さみしさ”が伝わればいいと思うのです。
1-2企業・組織/企業・組織擬人化
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世界のさみしさ
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企業・組織擬人化創作小説「人間(ひと)の愛し子 抄」
 ※この物語はフィクションです
 この混乱期に長崎に向かうことができたのは幸運だったに違いない。
 三菱重工業はそう己に言い聞かせていた。
 祖国の敗戦を受けてたった三日後、彼は故郷であったその地に赴くことができた。本社の面倒を打ち捨て、一心不乱にただ長崎へと向かった。あとで社員や重役に露呈すれば怒られるにちがいなかった。それに失望されるだろう。この非常時に己の会社を捨ててくるうつしみがいるだろうか。
 会社である義務を捨て矜持を捨て、まるで一人の人間のように、欲求のままその地へ赴いた。わが胎動の揺り籠。官営の長崎造船局を前身に戴き、三菱の長崎造船所として彼はその地で生まれた。彼は上海が間近なその地を恰好の稼ぎ場として愛し、八幡製鉄所の温かい膝元として愛し、端島炭坑と高島炭鉱の供給場所として愛していた。それ以上に、東京とはまた一味違う風情を愛していた。グラバー邸や中華街のような異国情緒を、長崎くんちの華やかさを、坂の多い街を、人びとを愛していた。まるで人間のように。人間のようにそれらを愛していることを実感する時に、自分が人間のようだと感じることを愛していた。彼は、長崎が好きだった。
 汽車の中で彼はその「幸運」を己に言い聞かせていたが、もしまわりの人びとがそれを聞いたのなら正気を疑ったに違いない。
 誰も故郷が爆心地となっているところを見たいとは思わないだろう、しかも自分のせいでそうなったのに、と。
 長崎への原爆投下はたった数日前のことであった。
 その状況の惨状は彼の耳にも入っていた。たくさんの人間が焼けただれ果てるとはどういうことなのか?東京の空襲とはどう違うのか?一面が更地になっているとはどんな情景なのか?すべてがすべて、空絵のように想像がつかなかった。だから直接見に行くしかなかった。
 どうにか運行していた列車を乗りついだ。軍隊から解放された兵士や労働者や、朝鮮人。早くも復員につけた幸福な内地人。もう空襲が来ないことで堂々と町へ帰ることができる疎開した人びと。
 泥と埃にまみれ、皆が皆疲れ果てた顔をしていた。敗戦に打ちひしがれているというよりも、ただ単純に、疲れているだけに見えた。そこにはお国や鬼畜米英や大東亜共栄圏などの栄えある大義がなかった。やつれた小さな人間たちがいるだけだった。
 窓際の席に押し込まれるように座っていた重工は、ぼんやりと外の風景を眺めていた。なにもなかった。彼が気づかないうちに、この国はなにもなくなっていた。
 「土佐は、どう思うかな」
 ぽつりとつぶやいた自分の言葉に、重工は驚いた。ふいに大声で笑いそうになり、どうにか堪えた。
 なんだ、やはり自分はあの子の処遇を気にしていたのだ、と今更に彼は気づかされたのだった。
 ワシントン海軍軍縮条約下のもと、せっかく生んだにもかかわらず軍縮のためにそのまま沈めるしかなかった日本海軍発注の戦艦・土佐。三菱重工業にとっては第三三三番船たるふねの死を、とっくに乗り越えた――あるいはそもそもあまり気にしてもいなかった――と彼は思っていた。手渡しさえすればそれは発注相手の所有する製品なのだ。自分の物ではない。好きに自沈させればよい。それなのにいま思いだすのは未完のふねの容貌と、そのうつしみたるあの子の鮮明な眼差しだった。彼の脳裏の戦艦土佐は今、その視線で親の末路を問うていた。
 あの海が見えれば、長崎も近い。彼は気持ちに急かされて、長崎造船所を訪れた。
 長崎造船所だった場所を訪れた。
 彼は「幸運」の結末をその地で見た。
 瓦礫に埃、何が焼け焦げたのかわからない痕、死臭、死体、服の切れ端、そういったものすべてが、「かつてのもの」としてそこにあった。
 浦上駅を降りた先に、浦上天主堂がある。彼は異教徒ではなかったが、その建築と意匠に密かに感銘を受けていた。人間の造る構造物が好きなのだ。それにキリスト者の人間たちが熱心に祈るその姿を、長崎特有の美徳として彼は認めていた。浦上天主堂はがらくたのように崩れ落ち、原型を留めていなかった。
 そこには三菱長崎造船所幸町工場があった。三菱長崎製鋼所第一工場、三菱長崎製鋼所第二工場、三菱長崎製鋼所第三工場があった。三菱兵器茂里町工場が、三菱工業青年学校が三菱電機鋳造工場、三菱兵器半地下工場があった。多くの人間たちが居たはずだった。多くの人間たちが兵器を造り、それが飛び立ち駆り出され、戦地へと向かい、敵国人を殺戮していたはずだった。原爆の目的が自分の兵器工場であろうことを彼は理解していた。自分だったらそうするだろうからだ。
 
 一機のB-29が飛んでいた。
 その下には膨大な瓦礫があった。
 瓦礫の上に立っていたのは、自分の「子ども」たる戦艦土佐だった。彼は親切に教えてやった。
 「あれはB-29と言ってね。いろいろなものを日本へ運んできた。まあ、黒船のようなものだよ。でも砲をぶっ放している黒船だ。ボクたちはいつもアメリカの乗り物に手が届かずに、ぼんやり見つめているだけだねえ……」
 土佐はにこりと笑って言った。悪戯に成功した子どものような笑みだった。
 「もう少しで届いたかもしれませんよ」
 「そうかもね。お前のようなふねをいっぱい生んで対抗したから」
 「頼りなくて、ごめんなさい」
 「そんなことはない。お前たちは上手くやったよ。ボクがそう造ったからね。悪いのは運用者だ」
 「にんげん?」
 「人間と、人間と同じような存在のボクだ。土佐」
 すぐ近くに赤ん坊の死体が残されていた。この子にもこの世に生まれた理由あったに違いなかった。三菱重工業の兵器工場を狙った原爆に巻き込まれずに、生きる価値があったに違いなかった。まっすぐな親の愛情が、この生を生み育んていたに違いなかった。
 だが重工はそれを無視して言った。今はただ自分の子どもである土佐に土佐だけに顔を向けた。土佐を見つめて、土佐の顔を懐かしく思い、それが狂おしいほど愛おしく思えた。彼は土佐の顔を覚えていた。記憶と寸分も違わぬあどけない顔だった。記憶が違わなかったことが嬉しく、また誇らしかった。彼は自分の製品の容貌と顔をひとつたりとも忘れたことがなかった。それが彼の誇りだった。
 重工は背筋を伸ばし、それから頭を深く下げて土佐に言った。
 「お前には、ほんとうにすまなかったね」
 「そうしたくなくても、そうしなければならなかったのでしょう?」
 「ただ金儲けしか考えてなかったのかもしれないよ」
 その言葉を聞いて土佐は淡く笑った。すべてを知っている、わかっているというような笑みだった。受容、寛容、侮蔑、拒否、愛情、憎悪、離別、そのようなものをすべて含んだ横顔だった。土佐は殺すために自分を生んだ親を理解していた。その表情を見た瞬間、重工は灼熱の業火の中にいた。溶接の炎の中にいた。砲火の炎の中にいた。空襲の炎の中にいた。B-29が放った炎の中にいた。この炎が蜃気楼なのか夏の灼熱の幻影なのかも重工にはわからなかった。それでもその熱さを甘受するしかなかった。辛くはなかった。なぜなら空襲の戦火も、長崎の原爆も、艦砲射撃の砲火も、八幡製鉄所の鉄も、その熱さは重工とつねに共にあったからだ。この熱さをわが親とし、伴侶と決め、産屋と思い、揺り籠であると知っていた。だからこの熱さでボクはまだやっていける、まだ生きていけると重工は思った。すなわち此処こそが重工にさだめられた生業であり常態の地獄であるに違いなかった。
 B-29が飛んでいく。
 蜘蛛の糸のような白い飛行機雲をえがき飛んでいく。
 自分の生んだ航空機と同じ音を立てて飛んでいく。
 「綺麗ですね」
 と土佐が言う。空を仰ぎ見る彼の眦が無垢に染められ、きらきらと光っていた。
 戦艦土佐が笑う。
 重工も晴れ晴れと笑った。
 「うん」
 八月十八日、三菱重工業は被爆した自分の誕生地で、戦禍と同じように自分が生んだふねであり沈ませたふねである戦艦土佐に、わが製品に、わがふねに、わが存在意義に、わが愛し子に、赦されたことを理解した。
