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▼1937年04月01日(水)
「優秀船舶建造助成施設」施行。海運の増強と国防上の見地から、有事の際に軍艦に転用できる大型優秀船の整備を目的とした。この施設は6000総トン以上、速力19ノットの高速貨客船および貨物船それぞれ15満総トン、合計30万トンを助成の対象とした。高速貨客船は日本郵船6隻(「新田丸」級貨客船、「三池丸」級貨客船(※「三島丸」は資材不足のため建造中止))大阪商船5隻(「あるぜんちな丸」級貨客船、「報国丸」級貨客船)を建造、貨物船は日本郵船や大阪商船など7社が各1隻、タンカ―船については昭和タンカーなど8社が1万重量トン級タンカーを各1隻ずつ建造。[『氷川丸とその時代』p149]設計は艦政本部の指導を受ける[『戦時標準船入門』p23] ②東京~札幌定期空路が開設される。[『新潟県の歴史』p146]
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2
▼1937年04月02日(木)
(予定は何もありません)
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3
▼1937年04月03日(金)
(予定は何もありません)
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4
▼1937年04月04日(土)
(予定は何もありません)
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5
▼1937年04月05日(日)
②仏客船ノルマンディー号が大西洋横断に新記録。[『新潟県の歴史』p146] ③保健所法公布。全国49か所に保健所を設置。[『新潟県の歴史』p146]
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6
▼1937年04月06日(月)
①朝日新聞社の神風号が訪欧飛行に出発する。(『日本歴史シリーズ 第21巻』「年表」) ②内務省が警察部長会議で言論取り締まり強化を指示。[『新潟県の歴史』p146]
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7
▼1937年04月07日(火)
(予定は何もありません)
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8
▼1937年04月08日(水)
(予定は何もありません)
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9
▼1937年04月09日(木)
東京、京都帝大などが日本精神の講座を新設。[『新潟県の歴史』p146]
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10
▼1937年04月10日(金)
(予定は何もありません)
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11
▼1937年04月11日(土)
(予定は何もありません)
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12
▼1937年04月12日(日)
(予定は何もありません)
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13
▼1937年04月13日(月)
(予定は何もありません)
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14
▼1937年04月14日(火)
(予定は何もありません)
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15
▼1937年04月15日(水)
ヘレン・ケラー、サンフランシスコ-日本を「浅間丸」で横断。[『氷川丸とその時代』p96、p126]/ヘレンケラーが来日。[『新潟県の歴史』p146]
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16
▼1937年04月16日(木)
(予定は何もありません)
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17
▼1937年04月17日(金)
(予定は何もありません)
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18
▼1937年04月18日(土)
(予定は何もありません)
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19
▼1937年04月19日(日)
(予定は何もありません)
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20
▼1937年04月20日(月)
(予定は何もありません)
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21
▼1937年04月21日(火)
(予定は何もありません)
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22
▼1937年04月22日(水)
(予定は何もありません)
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23
▼1937年04月23日(木)
(予定は何もありません)
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24
▼1937年04月24日(金)
(予定は何もありません)
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25
▼1937年04月25日(土)
(予定は何もありません)
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26
▼1937年04月26日(日)
ドイツ空軍、スペインのゲルニカを爆撃する。(『日本歴史シリーズ 第21巻』「年表」)
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27
▼1937年04月27日(月)
大阪商船の貨客船「鴨緑丸」進水。
「早産の鴨緑丸」 昭和12年4月27日進水の貨客船鴨緑丸はその日の昼前に進水の予定であったがトリガの試験中に、船がすりだしてしまった.4時間まえに進水したのである.報告をうけた所長は早速宿舎平野屋に船主の大阪商船村田社長のもとに副長をお詫びに参上させると,村田社長はすでに知っておられたのか「そりゃよかった.怪我人はないか.母体を出るのが待ち切れずお産が早かったのだからお目出度いことではないか」と言って.当所の失敗を責められなかったということである. /『創業百年の長崎造船所』p41
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28
▼1937年04月28日(火)
(予定は何もありません)
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29
▼1937年04月29日(水)
(予定は何もありません)
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30
▼1937年04月30日(木)
(予定は何もありません)
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