▼お知らせ
2026年2月22日のコミティア155に申し込みました(当落不明)。
船舶擬人化創作同人誌『春のまひる』いちおう頒布予定です。

1937年の盧溝橋事件から1941年の真珠湾攻撃の時代のまにまにたゆたう、ある船の話。
◆当落について
前回のコミティア154では、
コミティア154(11/24)
コミティア154の当落発表(10/24:開催の一か月前)
コミティア154の当落アリのお知らせ(10/2:申込締切から+13日)
コミティア154の申込締切(おそらく9/19)
なので、
同じであれば155は、
申込締切:12/5
当落のあるなし:12/18
(当落発表:1/22)
開催:2/22
くらいかと思います。
▼はじめにお読みください
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▼作品目次
▼作品ログ(ほぼすべての作品があります)
▼24(日常メモ)
◎12.14 (Loading…)…
◎12.14 いや一次創作でSFが描きたいな >歯車と歯車が描かれていた時に噛み合わせや回り方が滅茶苦茶だとひどく気になる、というフォロワーがいて、私はそういうが気にならない人間だけど、ここが気になるのか気にならないのかがSFが描けるか描けないかの分かれ道…な気がしている >>が、同時に概念的なものや雰囲気、というものも重要なので、そこは固く捉えないでいたい >フォロワーさんが宇宙への植民を「移民船という存在が実感としてあった時代」としてのSFだ、という趣旨の話をされていたけど 私は90年代くらいまでにえがかれたSFには、「資本とその搾取」というか、炭鉱の世紀や石牟礼道子の描く水俣ものでの「会社」(チッソ)という感覚の延長にあるもの、としての企業があるとおもう あれはGoogleやApple社の未来ではなくて、水俣のチッソや与論の三井物産や炭鉱の三菱の過去の反復なんじゃないか >SFは未来の希望の話というよりは、人類の過去にあったトラウマの反復行為、それこそ「トラウマの再演」なんじゃないか…と感じる時がある >>だからSFの最前線に必要なのはトラウマやケアの物語であり、私がマダボが好きなのは事実マダボがSF×ケアだからなんだワ



