そして別れを告げられた貨客船橿原丸は隼鷹の空想の中の大海原へと、人々の幻想の中の大海原へと永遠の航海の旅に出るのだった。帰る港もなく。いつまでも、それは美しく。
「建造計画のはじめから、軍艦――この場合航空母艦――への改装が条件付けられていたのであるから、豪華客船「橿原丸」はいずれ戦闘に参加せざるを得なくなること位は艤装担当者にはわかっていたはずだ。戦闘用の艦船にはあれこれという装飾問題は生じなかったであろう。だが、しかしなのである。艤装担当者達は「橿原丸」という、まだ目鼻だちのはっきりしない娘に対して「想い」のたけを込め、担当者間でその意気の高さを無言のうちに競い合ったのではあるまいか。戦闘に向かえば、必ずや凱旋するという保証は、もとより客船としての体軀だからなおさらなかったであろう。人が「死に赴く生」を生きる時に似て、「死に赴く生」に人が形を与えてゆく過程は、近代的な効用論を超えて成立する。そして、それは「気高さ」を湛えてしか成り立たない。まさしく己の内の「散華」の美学が「橿原丸」という娘の「旅装」に託されていたのだと思えてならない」
『艤装の美』「橿原丸」